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◆◇◆ Ⅸ ◆◇◆

 馴染みのないニオイが鼻腔を刺激した。
 ゆるゆると目を開くと、カーテンの隙間から日の光がファズの目に飛び込む。
 眩しさのあまりそれを遮ろうと手をかざそうとしたが、腕が動かなかった。
「……?」
 なんだ、と思う。
 ――腕が、重い。
 ゆっくりと上半身を起こした。
 腹部に痛みが走り、奥歯を噛み締める。
 頭を振って痛みを追い払い、未だぼんやりした頭でそこにつっぷしている存在を見つめた。
 赤茶の長い髪。
 自分の腕が持ち上がらなかったのは、手のひらが握られていたためだと気付いた。
 瞬きを繰り返し、自分の手を握るのが少女だと理解する。
 じっと見つめ、少女が誰なのかわかった。
 顔は見えない…けれど。

「…リコ…」

 呟く声が掠れていた。
 ――自分で呟きながら、震えているようだと思った。

 コンコン。
 ファズはノックの音にハッとする。
 顔を向けると、ドアが開いた。
「デ…」
「――しーっ」
 顔を覗かせた相手の名を呼ぼうとして、相手に制された。
 目配らせをして、リコを示す。
 …今も眠っている少女を。
「気がつかれましたか…。どうですか? 気分のほうは」
 相手――白銀の髪、青い瞳の青年は声を潜め、穏やかに笑った。
 医師である彼のその言葉と、眠るリコ。
 そして自分の腹部の痛みに、ファズは今更合点がいった。
「そういやオレ…」
 呟いて、脳裏に浮かぶ――。

『レイミ! アヴィア!』
 リコが友人のもとへ歩み寄る。
 その後ろ姿を見て、ひどくほっとした。
『お手柄だったね! ファズ』
 ソリュートの言葉と、ファルアの笑み。

 ――そして…ブラックアウト。
 遠くで自分を呼ぶ声が聞こえたように思う。

「…あの時…?」
 意識せずもらした独り言に、白銀の髪の青年…デリーは僅かに目を細めた。
「ファルアやソリュートがここまで運んでくれたんですよ。――それに、彼女も」
 彼女と言ったデリーの視線の先にはリコがいる。
 自分の手を握り眠る少女。
 ――温かい。
「…そ…か…」
 言いながらファズはひとつ息を吐き出した。
「皆さん心配していましたよ。…もちろん、私も」
 その言葉にリコからデリーへと視線を移した。
 デリーは唇に苦笑を浮かべる。
「たまに来たかと思ったらこんなに大怪我で。…しかも、出血多量で」
 苦笑のまま淡々と紡がれる言葉にファズは思わず「あ゛〜…」と声をあげる。
「――ワリ…」
 確かにファズは、滅多に病院の世話になることはなかった。
 …意識を失ってしまったような大怪我なんて、もしかして生まれて初めてではないだろうか。
 謝罪するファズに、デリーは今も苦笑を見せていた。
 ふと、視線を落とす。
「――特に、彼女」
「へ?」
 その言葉にファズは首を傾げた。
 そんなファズに、デリーはリコに椅子にかかっていた上着を被せつつ続ける。

「…血が、ね。足りなかったんですよ」
 前置きなく始まったデリーの話に、ファズはゆっくりと瞬きを繰り返した。
 返すべき言葉も思いつけず、ファズは沈黙を守る。
「あるにはあったんですよ、O型の血液。…でも、足りなかったんです」
 ファズの血液型はO型だ。
「……」
 それがどうしたのか、と思った。
 そんな思いが表情にでていたのか、デリーは苦笑ではなく、ほんの少しだけ笑う。
「血液型がOの方がいませんか、と言いましたら彼女が…」

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 ファルアやソリュートによって運ばれたファズの顔に、血の気がなかった。
 腹部には見てすぐにわかる出血。
 ――血液のスペアはあったが、足りなかった。
 ファズは血を流しすぎていた。

『O型…?! あたし…あたしも、O型なんです!!』
 デリーの問いかけにリコは目に涙を浮かべて言った。
『足りないのなら、使ってください! それで…それでファズさんが助かるなら』
 落ち着いて、と言おうとするデリーの言葉を遮り、リコは半ば叫んだ。
『――助けてください…っ。――あ、あたしの血…全部あげますから…だから…っ』
 言い切った瞬間、朱色の瞳に浮かんだ涙がこぼれた。
 一途な瞳がデリーを射抜く。
『お願いします…!!』

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

「…そう言って、彼女が。…驚きましたよ、あの勢いには」
 そう言いながらも、デリーの瞳に浮かぶのは優しげな光だ。
 ファズは息を呑む。
 リコ、と声なく唇がかたどった。
「――なので、流石に全部ではありませんけど、検査の結果大丈夫だったので、彼女にも血液を分けていただいたんですよ」

 ファズはゆっくりと視線を落とす。
「オレのために…そんなことを」
 ぽつり、と呟く。
 未だ眠る少女。――握られた手。
 温かい。…それは、手だけではなく。

「…ファ…ズさ…ん…」
 まるでファズの呟きに応じるかのような…かすかな、吐息のような声が聞こえた。
 ――寝言なのだろうか。

(リコ…)

 温かい。
 ――手のひらと、心と。

 この感情はなんだろう。

 
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