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其の七

「「どうかしたのか?」」
月明かりの中。
少女は一人、泣いていた。
「「おうち…わかんなくなっちゃった…」」
寂しくて、心細くて。
「「…おいで」」
――その言葉に少女は瞳を大きく開いた。
「「私が…連れていってあげるよ」」
さし伸ばされた、少女とあまり大きさの変わらぬ手。
「「さ」」
優しそうなその人の笑顔と言葉。
少女はそっと、手のひらを重ねた。

 

 久々に『夢』を見た。
 ――正確には夢を『覚えていた』というべきか。
 ぼんやりしながら、蘭は瞬きを繰り返す。
(あれは…過去の記憶?)

「おはよう」
 刀流の声に蘭ははっとした。
「…おはよう」
 応じた蘭に刀流は「よく眠れたか?」と柔らかく、髪を梳いた。

 本日日曜日。
 ゆっくりのんびり過ごす蘭である。
 朝食も終わり、歯をみがいていた。
 蘭は鏡に映る自分を見るともなしに見ながら、考えつづけている。

 今朝見た夢は『嵐』としての記憶ものだろうか?
 すれとも『蘭』としての?

 相手の服装や周りの様子などは、正直覚えていない。
 けれど…。
「「…おいで」」
 その人の言葉と…。
「「私が…連れていってあげるよ」」
 差し出された、温かな手。
「「さ」」
 柔らかな、声音。

 嵐の記憶ものか、蘭の記憶ものか。…単なる『夢』か。
 そう考えながらも、記憶であればいいと思う。
 過去の事実であればいいと思う。
 蘭はその夢が…いや、あの『人』が、何故かひどく、気になった。

 もし仮にあの夢を『記憶』とするならば。
(あの…泣いていたのが、私かな…)
 そう考えて、蘭はふと思った。
 ――あの子…。
「…ねぇ、刀流」
「ん?」
 周りから見れば…とはいっても、蘭は現在自分の部屋に入って、この部屋には蘭と刀流しかいないのだが…独り言なのだが、蘭はそんなことも忘れて刀流に疑問を投げかけた。
「私…『嵐』って、女だったっけ?」
 蘭の言葉に刀流はぱちくりとした。なんとなく人懐っこい印象の刀流がそういう顔をすると、より幼い印象になる。
「嵐、が?」
(私…変な質問したかな?)
 刀流の反応に疑問を抱きつつも蘭は「うん」と答える。
 刀流は少し考えるように目を伏せた。
 顔を上げ、問いかける。
「蘭はどのくらい前…嵐だった頃のことを、覚えているんだ?」
 その瞳に複雑な思いが交錯していることに気付かないまま、蘭は「うーん」と小さく唸った。
「覚えている…というか…『思いだした』のほうが正しいかも。私は『嵐』だった時のことを夢に見るのよ」

 蘭の答えに「そうか」と刀流は頷いた。
 蘭もまた「うん」と頷き、蘭は自分が何を覚えているか…何を夢に見たかを刀流に告げた。
 自分の名前が『嵐』であったこと。
 刀流が自らの刀であり、友であったこと。
 そして…。
「それから?」
 続きを促す刀流に、蘭は困ったように頭を軽くノックした。
「…もしかしたら、この程度…かも」

 蘭の答えに刀流は細く息を吐いた。
 それは安堵のものにも見えたが、刀流はふっと表情を変える。
 ニヤリと笑った。
「オレとの運命的出会いは?」
 刀流の言葉に蘭は瞬く。「運命的出会い?」と思わず繰り返した。
 蘭の反応に刀流はもう一度笑って「そうそう」と頷く。
 『運命的出会い』なんていう物言いに、蘭もまた笑って「覚えてないなぁ」と応じた。
 そんな蘭に刀流はくるりと人差し指を回す。
「つまり、あんまり思いだしてないってわけか」
「そうとも言える…」
 刀流に答えて、蘭はハッとした。
 そうだ、もう一つあるではないか。

「あ、もう一つ」
 そう、口にしてから――蘭は何故か、思った。
 ――刀流ニ言ッテモイイダロカ…?
 どうしてそんなことを思ったのか、自分自身でわからない。
「もう一つって?」
 刀流は蘭の言葉の続きを問う。
「あ…あぁ…」
 蘭はごめんと小さく謝罪し、言葉を紡ぐ。
「私が…」

 ドクン、と妙に鼓動を感じたように思えた。

「「…嵐…」」

 自分を呼ぶ声。
 …刀流とは違う、声音。

「「――で……るつもりか…?!」」

 ドクン、ドクンと心臓が…鳴る。
 うるさく、わずらわしいとさえ思えるような…。

(頭が…痛い…)
 顔が、見えない。…思いだせない。
「蘭?」
 頭痛のせいか、刀流の案じる声が遠い。

 ドクン、ドクン、ドクン…。
 聞こえる気がする心臓の音を封じようと、耳を塞ぐ。

「「…カツキ!!!」」

 …ドクン。
 声が、脳裏に蘇ったように思えた。
 あれは――自分の声、だろうか。
 なぜか、指先が震えるような気がした。

「…か、つ…き――?」
 そう、蘭が言葉こえにした途端――止め処なく、溢れる。

 こいしい せつない …さみしい
 かなしい せつない ――こいしい

「蘭」
 刀流はボロボロと涙を零す蘭を、呼んだ。
「あ…あれ?」
 おかしいねぇ、と蘭は言いながら溢れたものを拭った。
 何で急に涙なんかが…と、そう、続けようとした。
 …続けようと、した。――けれど。
 声にすることなく、蘭は口元を覆う。
 ――そうしなければ…。
「…ッ…」
 声が、嗚咽となってしまいそうだったから。

 カツキ。
 あの人の、名前。
 ――あの方の、名前。

 嗚咽を零すまいと唇を噛んだ。
 頭を振って、嗚咽を振り払おうとする。
 唇が震えていた。
 けれど――蘭は問いかける。
「刀流…教えて」
 自らの友。
 いつも一緒にいた、友。
 …『じぶん』よりも『じぶん』のこと知っている…覚えている、友。
のこと…」
 そして…もしかしたら、自分のこと以上に――…。
「カツキという人のことを…」

 『カツキ』という名を口にしただけで、また唇が震えた。
 ――これだけは、わかる。
 カツキは、自らが殺した。
 …嵐の手で、殺した。
 それを思うとまた、涙が溢れそうになる。

「お願い…刀流…」

 蘭の願い、望む声が震える。
 その蘭の声に、刀流はそっと目を閉じる。
「オレ…」
 ゆっくりと、言葉を紡いだ。
「蘭のこと…好きなんだ」

(――え…?)
 何故突然…と思った。
 けれど刀流はふざけているようには見えなかった。
 見つめ続ける蘭に、刀流は続ける。
「…大切なんだ」
 言いながら、目を開いた。
 まっすぐに、蘭の瞳を見つめる。
「――傷ついてほしくない」
 まっすぐな視線と、声音と。
『傷ついてほしくない』
 そう言った刀流の言葉に偽りがないのだと、わかる。

「…傷つくのかもしれない。でも…」
 蘭はぎゅっと自分の胸元を掴んだ。
 自分自身に、確認するように…目を閉じる。
(――それでも)
 蘭の思いは、変わらなかった。
「知りたい」

 言い切った蘭に、刀流は再び目を閉じた。
 蘭はベッドに腰を下ろして、刀流を見上げる。
 刀流が深呼吸をしたように見えた。
 意を決したように、目を開く。
 まっすぐな視線。――強い、視線。
 刀流は蘭の隣に腰を下ろした。
 ぎゅっと、頭を抱えるようにして蘭を抱きしめる。

「…蘭がいう『カツキ』は…」
 刀流の声が、耳元で響いた。
「――アイツは」

 ――傷ついてほしくないと、刀流は言った。
「『奴等』の『皇』だ」
 ――刀流は、言った。

 

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