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─1─

「ワタシの姿が『視える』のか?」
「――へ?」
 遙は男の言葉の意味が瞬時には理解できず、妙な声をあげると共に首を傾げてしまった。
『ワタシの姿が視えるのか?』って…。
 しばらく、考える。
 考えて、考えて…男の体温や、気配を感じて、その男が『ヒト』ではないことに気付いてしまった。
 ――ついでに、男の影がない。足元に視線を落とした遙の目に映ったのは、遙の影が妙な銅像のような体勢になっている現状だった。
 言葉の意味をきちんと理解して、遙は血の気が失せた。…自分が『視える』人間であることをすっかり忘れていた。
 ――だが…。
(…人間以外の奴が働き手を必要とするのか…?)
 わざわざ呼び込みまでして、働き手を欲しがる人外のモノ…。
 しかし、遙の経験上、こういった人外の『モノ』に関わりをもって、いいことがあった経験はなかった。
 まだ小学校に上がる前には他の人に見えない『モノ』を見る子供として両親に疎まれ、小学校に上がってからは『視える』遙を人外の『モノ』からからかわれて遊ばれて…周囲の人間には見えないため『変人』のレッテルを貼られた。
 中学校に上がってから『視えないフリ』と『視えても気付かないフリ』という技と、人外の遙しか視えないらしい『モノ』と他の人が見えている『モノ』との区別がつけられるようになり、高校に入ってからは『変人』扱いされることもなくなった。
 遙が『関わらない』努力の結果だった。
(やっぱり他のヒトにあたってください!)
 …と言うのは無理だろうか、と遙は視線を男に戻す。そろり、と手を外そうとした。
 …その、前に。
「明日からなんて言わず、今日からでも」
 男は言いながらにっこりと笑った。男の腕をつかんでいた遙の手を、今度は男がガッツリ握る。その手は、冷たい。
 細かった目を…細めていて、笑っているようにも見えた目を開いた。――深い…よく見ればさまざまな『赤』を塗り重ねればこんな色になるのではないかと思われる瞳の色に気付く。人外の『モノ』は、続ける。
「…今更『やらない』なんて、言わないよな?」
 まるで心を読んだかのように、ボソリと遙の耳元で囁いた。男は再びニッと笑う。先ほどまでとは印象が違う――剣呑な笑みだ。
 もし、蛇が笑えばこんな雰囲気になるかもしれない。
(――同じ顔なのに、どうしてここまで印象が違うんだろう…)
 遙は男に手首をつかまれたまま強制連行されつつ、関係ないことを思った…。

*** *** ***

 線路からは少し離れた、住宅地も抜けた。
 けれど電車の音が聞こえる。そんなに遠くまでは来ていない。…ハズだ。きっと。
 公園の雑木なのか、木々が多い。
 さわっと風に揺れる竹の葉の音が聞こえた。その時になって竹林もあることに気付く。
 男に強制連行されつつ到着したのは、木造で平屋の一軒家だった。特別大きくもなければ驚くほど小さいというわけでもない――普通の。
 その家は、遙の肩程度の高さの塀に囲まれているらしい。なんという種類かは分らないがツタ植物が絡まり、そのツタに隠されたような表札には『三尋木』と書いてあった。
 …しかし、なんと読むのだろう。
「お邪魔します…」
 遙は小さく言いつつ、門をくぐり、男の後に続く。
 ガラガラガラッとすりガラスとアルミの引き戸を勢いよく開けると、男は「け〜い〜?」と声をあげつつ、玄関からさっさと上がって廊下を歩いていってしまった。
 玄関の正面に早速部屋があるらしく、廊下を挟んで襖がある。玄関の正面にある部屋の右側に添って、廊下があった。
 少し年代がかった廊下に見えた。足音を立てずに廊下に上がった男の様子に『やっぱりヒトではない』と再確認しつつ…自分も上がっていいのだろうか、と遙は迷った。
「…なんだ? 上がれよ」
 開けたままの玄関の外で立ったままの遙に、奥へと続く廊下に進んだ男は無愛想な声で…ついでに「ちんたらしてんじゃねぇぞ」とかいう言葉オプションがつきそうな雰囲気で…言った。
 ――呼び込みの時と同一人物とは思えない。あの、笑っていたような顔は一体ドコに?
「はぁ」
 遙はため息のような返事をし、玄関に入って引き戸を閉めると、靴を脱いだ。
 男に続いて廊下に上がると、右側にも部屋があるようだった。こちらは襖ではなく、木枠でガラスのはめられた横開きの扉だ。
 …ふと、違和感がある。視線を落とし気味だった遙は顔を上げた。
「…?」
 男がさっさと歩きだしている廊下…その向かう先を見る。
 廊下を見て、思った。この家は、こんなにも奥行きがあっただろうか。
 外観では『普通の規模』の一軒家だったように見えたのだが…。
(やたらと奥行きのある家、だったのか?)
 ウナギの寝床…とかいうヤツなのだろうか。
 思考の隅でそんなことを思いつつ、遙は廊下に上がる。遙が足を進めるたびに、うぐいす張り程の音はないが、廊下の軋む音がした。…当然、人外であろう男は未だに足音を立てていない。
 きゅ きゅ きゅ …
 遙は男に続いて足を進めていく。廊下を、ただ進んでいく。
(…なんか、やっぱり…)
 ――おかしい。
 廊下の両側には部屋があるのか、右側には障子と壁と時折廊下が、左側にも障子と壁とが交互にあるような感じだった。
 …それはまぁ、いい。
 しかし、いくらなんでも、ここまで奥行きがあるものだろうか。
 ウナギの寝床なんてものじゃない気がする。真っすぐに真っすぐに…足を進めた遙が振り返って玄関を見てみれば、小指の爪程度の光が見えた。
 あれが、玄関から洩れる光…だとすれば…。
(オカシイだろ、おい)
 ツッコミを入れたくなる程度に、遠い。玄関から判断して、そんなに広い豪邸には見えなかった。
 足を止めて振り返っていた遙の耳に、男が「お」と声をあげたのが聞こえた。視線を向けると、男が立ち止まる。
 なんだ? と思っていた遙に男は手招きをした。
 恐る恐る足を進めた遙の背後に、男は瞬時に収まる。え、と思う遙に突発的に『膝カックン』をかました。
 予想外、想定外の出来事に、遙はよろける。
「何を…っ!」
 するのか、と問いかけようとしたら、そのまま肩を押された。遙はその場に座り込む。
「…イタイ…」
 思わずもれた呟き。
 強制的に座らせられたせいで、膝が痛い。
 遙の声を全く気にする様子はなく、遙の膝に障害を与えた男は何事もなかったかのようにガラリと障子を開けた。
 …てっきり障子の向こうは和室だと思っていたのだが、庭だった。
(――やっぱりこの家、おかしい)
 障子の向こうに見えたのは中庭なんていうシロモノではなかった。
 見渡す限りの草原が、遙の目に飛び込んできた。

 
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