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─2─

 そこは、草原だった。

『障子の向こうは、草原でした』
 そんなフレーズが、遙の頭の中に浮かんだ。何か、小説の一文のようなフレーズが。
(トンネルを抜けると、そこは雪国だった…だっけ?)
 いや、トンネルの向こうが雪国…雪だらけというのは分からないでもない。現実にありえる。――しかし。
(一軒家の障子をあけると)
 そこは草原だった…ってのは…。
(…ありえないだろう)
 ――いや、遙の目は今現在脳に草原の映像を送り続けているのだが。ついでに風が遙の頬や髪を撫でる。初夏、あるいは夏のまだ暑くなる前にふくような、避暑地で感じられるような心地よい冷たさのそれが『うそ』だとは思えなかった。

 緑の海、というような雰囲気だった。
 ところどころに白く薄い雲がかかっている青い空は春の空よりも濃い色。草の緑もまた、濃い。春に萌えいずる淡い緑色ではない。
 今は三月だ。花の蕾がほころび始めていたとしても、こんなにも緑の濃い季節ではない。
「…――…」
 どんな行動をとればいいのか分からず、遙はとりあえずこめかみをおさえてみた。
 ――何の変化もなかった。

 そんな遙の苦悩をよそに。
「け〜い〜」
 男はそういいつつ、草原に向かって声をかける。三回声をかけたところで、男は草原に足を進めた。
「けい〜」
 草を踏みしめる。男の膝程度までありそうな、なかなか長い草だった。
 大きな牧草、という感じだろうか。寝ころぶことができれば、その草に埋もれて案外気持ちいかもしれない。
 …と、足を進めていた男の動きがピタリと止まった。
「けい〜!」
 じっと男の様子を見ていた遙は『おや?』と思った。
 …男の表情が、呼び込みをしていたときと似たような…笑っているよな――いや、それよりももっと、優しい顔つきになっている。
 そして次の瞬間遙の視界に映ったのは、動く人影だった。
 どうも草原で寝転んでいたらしい。
 男がコチラを指さし、何か話しているようだ。
 二、三言葉を交わした後、身を起こした人影は立ち上がり、男と共にコチラに歩を進める。
 人影は、少女だった。
 年の頃は、十四、五…中学生くらいだろうか。遙より年下に見える。
 髪が長い。腰ほどまでにとどく、クセのないストレートだ。
 少女は淡い紫色のところどころに淡く桜の花びらがあしらわれている着物を着ている。真っ黒な髪と着物はよく似合った。
 座り込んでいる遙の前に、少女は立った。
 少女はじっと、遙を見下ろした。――少女が立ち、遙が座り込んでいるので当然のことなのだが。
 少女は左手を一度唇にあて、首を傾げた。
 首を傾げるしぐさの似合う、可愛い…というよりも将来が期待できる、美人になりそうな顔立ちの少女だ。
「…」
「――…」
「……――」
 ごすっ
「何か喋れ〜?」
 言葉と共に、遙は男にスバラシイチョップをくらった。脳髄にまで到達しそうな衝撃だ。視界がくらくらする気がする。
 何も言わないのは少女も遙も同様だった。しかし、チョップをくらったのは遙だけで…。
(…なぜに自分?)
 遙はそんなことを思った。
(ってか、何を喋ればいいんだ…?)
 ついでに、そんなことも思う。
 すると男は、そんな遙の心を読んだかのように――というより、実際読めるのかもしれない――呟く。「名前〜」と端的に。
 言葉と共に、遙はまたもや男からスバラシイチョップをくらった。再び視界がくらくら…ついでにチカチカする気もする。
「遙。…穂村遙、です」
 なんで、たかがチョップでこんなに痛いんだろう、などと思いつつ遙は告げた。意識せずチョップをくらったところを撫でても、誰も文句は言わないだろう。
 …すると。
「――女みたいな名前…」
 そこで少女は初めて口を開いた。
 …甘い声なのだが、遙が予想したものと違った、淡々とした口調である。
「…――」
 じっと、遙を見つめる目は深い色。…吸い込まれそうな、夜空の色。
「…弱そう…」
「…………」
 ――何が?
 遙はそう思ったが、どうやって――どのような反応すればよいか検討がつかず、まずはとりあえず、こめかみをおしてみた。
 当然かもしれないが…何も変化は起こらなかった。

「ハルカっていうのか〜。本当、女みたいな名前だね〜」
 今までにも何度も言われたことだったので、近頃はあまりムッとすることもない。
 …だが、続いた言葉にムッとはしなくても、「へっ?」とはなった。
「――じゃあ、『ハル』」
 何か考え込んでいたような少女は突如、そう言った。
「…へ?」
 なんのことだか分からず、遙は首を傾げる。
 そんな遙を少女は指さし、再度「ハル」と、淡々と呟く。続けて男も「ハル〜」などと言っていたりして。
 ――どうやら『ハル』とは、遙のことらしい。
(そういえば近所の犬でハルって犬がいたよなー…)
 確か薄茶色っぽい毛が短い、柴犬っぽい雑種だった…とそこまで考えて、遙は思った。
(…おれ、犬?)
 ……。
 深く考えるのは何か自分を追い詰めるような気がして、遙はそこで思考を停止させた。

「…で、あなた達は?」
 こちらが名乗ったのだから、そちらの名も教えて欲しい、と遙は視線で求めた。
 そういえば言ってなかったか、というような表情をして男は言った。
「ワタシはしょう。そしてこのけい、だ」
(ショウにケイ、か)
 自分の中で繰り返しつつ、遙が小さく頷くと、男…霄は、ぎゅっと少女…慧を抱きしめながら言った。
「しかし慧のことは『姫』と呼べ〜」
「ひ、姫?!」
 遙は思わず素っ頓狂な声をあげる。
 慧は確かに可愛い…というか将来が期待できそうな美少女ではあるが、なぜに『姫』?!
「ん〜、ワタシはなんでもいいぞ〜? よし、じゃあ『殿』と呼べ〜」
「えぇっ?!」
 それはどうかと!!
 遙は激しく思った。
 というか、『なんでもいい』と言ったのだからコチラで考えさせてくれてもいいではないか! …などと、思う。
 若干問答無用ちっくだ。
(ってか、おれ、もしかして完全に逃げられない…?)
 そんなことを考えているとズシリ、と遙の肩に重みがきた。その『重み』は、肩に何かが載ったとか物質的なモノではなく…なんというか、空気がぎゅっと濃縮して『重み』となった感覚だった。圧迫感といってもいいかもしれない。
「…慧に手を出してみろ。…コロスぞ」
 とってもハイパー重低音。遙は呼吸をしばし忘れる。
 空気の濃縮…『重み』は、霄が何かをした…霄からの『圧力』だったらしい。
 ちなみに霄は今も慧を後ろから抱きしめるような状態で、遙とは対面しているような現状だ。
「…――マジっすか?」
 やや間を置いた遙の切り返しに「手ぇだすつもりだったのか?」と霄の声がさらに低くなる。…霄の背後に、何か黒いダークモノオーラが見えるように思えるのは、遙の気のせいだろうか。
「――考えるだけで罪」
「考えてないから!!」
 霄の言葉に遙は即行応じたが、駄目だった。
 思わず後ろに倒れてしまう程度のでこピンを、霄からくらった。
 ――かなり、痛い…。声も出ない。

「…正義は勝つ〜」
 霄はそう言いつつ、慧の手をとった。…ちなみに遙はいまだ倒れた状態のままだったりする。
 そんな遙を見て、慧は一言。
「…弱い…」
「――…」
 淡々とした感想に、遙はなんとも応じることができなかった。

 
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