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─2─

「――で…」
『起きろ』と倒した本人が遙を蹴り起こし、部屋を移動した。
 …驚くことに、廊下にはまだ奥があった。
 玄関からほぼ真っすぐ。
 未だに左側は障子、壁、障子、壁といった具合で、右側も障子、壁…時折廊下、というような状態である。
(…一体どこまで続いているんだろう…)
 むしろ、終わりなどあるのだろうか。
 遙はそう考えて、案外冷静な自分に気付く。
(…もう少し慌てたほうが、人間らしい反応か…?)
「ここか」
 霄は言いながら、障子を開けた。
 何が、と思いつつその開かれた障子を見て、遙の思考は停止する。
「…――」
 思考を自ら止めたのではない。
 障子を開けた向こう側…その、遙の目に移る部屋が…そこが。
「…あー…? ――えぇ…と…」
 なぜか、遙の借りている部屋アパートにそっくりだった。
 間取り、まとめられてある荷物、ちゃぶ台と、プラスチック製の青いゴミ箱…。
 ――それらは、むしろ。
「…これ、おれの部屋ですかね…?」
 遙の部屋としか思えなかった。
 そんな、誰ともなく訊ねた声に…。
「だから『ここか』と訊いている〜」
「…」
 言葉と共に、チョップが返ってくる。今度は正面からではなく、右側面からである。
 霄は呑気な声だったが、そのチョップは今回もやっぱり痛い。
 じりじりと痛む。先ほどくらった脳天チョップの痛みも再発したようにも感じられる。
『「実は夢」説』は、残念ながらありえないようだった。

*** *** ***

「――で…」
 荷物が少ない引越しは、早々に終了した。
『引越し』とはいっても、遙の部屋から障子を通じて廊下にまずは 移動、というだけなのだが。――ともかく。
 長い間世話になった管理人に…また改めて顔を出す、とは言ったものの…挨拶も済ませ、本格的にこのとっても不思議な家――いや、外観はともかく実際の広さから屋敷と呼べるかもしれない――に住み込むことになった。
(――しかし、まさか今日から住み込むことになろうとは予想しなかったぞ…?)
 心中で頭を抱えつつも、もう自分の気付かぬうちに腹が決まってしまっているらしい遙はふっと息を吐く。遙の住み込む新しい部屋に案内されるべく、今まで来た廊下を霄に続きながら逆流しつつ歩いていた。
 視界の隅で動くモノを感じ、遙はふと思う。
 まとめた荷物…段ボール箱やちゃぶ台などを遙は持っていない。霄が運んでいるわけでもない。だが。
(――荷物が勝手に動くのは、一体どんな仕掛けなんだろう…?)
 霄に続く遙に続くように、段ボール箱もまた遙の後を付いてきていた。
 もしかしたら考えても仕方がないのかもしれない、非常識な事態を遙はチラリと振り返って視界に収めつつ思った。

 そういえば、と思考を切り替え、霄に問いかける。
「働くって、何をするんですか?」
 遙の問いかけに霄は「ん〜」と何か考えるようなしぐさで応じる。
 …まさか、働く内容を考えてないのに呼び込みをして、遙を強制連行してきたのだろうか…?
(――それはどうだろう)
 そんな遙の思いをよそに、霄は遙を指さしながら、慧に問いかける。
「慧は、気に入ったか〜?」
 …何を?
 いや、指さす方向からして十中八九遙のことだとは思うのだが…。
「…弱そう…」
 ――本日そんなような言葉を聞いたのは二回…いや、三回目の言葉である。
 そのうちの一回は『弱い』と断言された。
 遙の可憐…と自分で言うのもなんだが…なハートは、ちょっぴり傷ついた。
「…番犬には向いてない…」
 ――なんの話ですか?
 と、口にしそうになる。
 …なんだか今までの会話の流れから『番犬に向いてない』のが自分のような気がしてならない。
「そ〜だね〜。弱いしね〜」
 あはははは〜、と霄は朗らかに笑った。
「――でも…」と慧は口を開く。霄は笑うのを止め、言葉の続きを待った。
「…割と、気に入った…」

 ――その瞬間。
「慧に手ぇ出してたら、ぶっコロス
 …遙の耳に、そんな声が聞こえた。耳元で凄まれるような音量だった。
 ちなみに遙の目で見る限り、霄は慧の隣で「そっか〜」と朗らかに微笑んでいる。
 しかし声は、先ほど「慧に手を出したらコロス」と凄んでいた霄と同じモノで…。
(はいはい…)
 そんな心中での遙の回答に、霄は振り返り、眼光を鋭くさせた。
 ――霄の目は語る。『返事は一度で』と。

「じゃ、愛玩犬ってことで〜」
「犬なのには変わりないんですか?!」
 思わず遙は言った。半ば叫びに近い。
 遙の叫びに、その場にしばしの沈黙が流れる。
「だってそういう用途で呼び込みしてたし〜?」
 ケロリと霄は言い切った。
 同意を求められた慧はコックリと頷く。
「…。――あー…はい、そうですか…」
「そうですよ〜」
(犬…犬ごっこ…でも、まぁ、それで金もらえて住み込みで飯つきなんだから、いいのか…?)
「何考えてんだ〜?」
 遙が考えた瞬間、霄は振り返った。
「何…って…」
 慧のもとから離れ、遙の隣へ。
(そういえば、時給…いや、日給か? いくらなんだろう?)
 そう思っていると、霄は低く囁く。
「住むところ、飯をもらってさらに金をもらうつもりだったのか…?」
 遙の耳元でボソリと、霄は言った。ダークオーラ満載である。思わず「…え?」と切り返した遙に霄は淡々と言い放つ。
「犬に出す金は一文とてない」
「…!」
 今の金の単位は『円』です! …と思ってしまう程度に遙は衝撃を受けた。
 しばらくしてから正気を取り戻した遙は愕然とする。
(給料なしだったのかーっ?!?!)
 霄は呼び込みで『働かないかい』と言っていたはずなのに…衝撃の事実だった。

 
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