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─3─

 不思議な家ここにきて、すでに三日経った。

 元々暮らしていた部屋アパートから持って来た荷物は、移動してきた時のように動くことはない。
 遙があてがわれたのは、玄関の真正面の部屋だったりする。押し入れと観音開きの収納がある十畳の和室で、なかなか広い。玄関の正面の部屋で、収納と廊下に囲まれていて窓はなかった。
 その十畳の和室にはちゃぶ台とゴミ箱が出ている。それ以外の荷物はすべて収納に納まった。ふとんもたためばきちんと入るスペースがある。
 起きて布団をたたんで、遙は襖に手をかけた。
 襖を開ければ、廊下を挟んですぐに玄関だ。
 そして今朝も、襖の前に膳があった。

 真っ白いほかほかご飯。
 サンマの塩焼き大根おろし添え。
 ナスとジャガイモの味噌汁。
 ダイコンの葉のおひたし。
 漬物、カボチャの煮物。
 季節感は無視されているが、日本の朝ごはんだ。――は、いいのだが。
(――コレ、誰が用意してるんだろう…?)
 遙ではない。
 多分、慧ことヒメ…と呼ばないと霄の目から灼熱ビームが炸裂しそうなほど睨まれる…でもない。
 絶対、霄ではない。断言できる。
 朝の七時頃になると遙の部屋――の前の廊下に、膳に並べられた朝食が準備されている。
 とても美味しいのだが…。
(一人で食べるの、味気ないよな…)
 せっかく(霄はともかく)慧がいるというのに。

 ――遙がこの(不思議)屋敷に移り住んでからすでに三日経った。
『犬』らしく、慧のお供として屋敷内を散歩して、『部屋』を散策して…一日一回で、たかが三回とはいえ、一日目は花畑、二日目は杉林、三日目は砂利浜の海辺…と一度も同じ部屋ではない。というか、とても『部屋』のくくりとは呼べないとも思う。
『犬』らしく慧と遊ぶのだが…遊ぶとは言っても会話するだけで、しかもあまり会話らしい会話でもない。
 慧と過ごさない他の時間で春休みの課題を片づけたりもしているが、ずいぶんのんびり時間を過ごしているというのが実情だ。
『犬』なのだから飼われているのであって――と自分でいうのも何かムナシイが、深く考えなくてもいいのかもしれないが…。
(これじゃタダ飯食いの居候、だよな…)
 これではいけない、と思う。
 いつかは自立しなければならないのだ。少しずつでもお金を貯めていかなくては。
(…トノの気分次第でいきなり『やっぱ必要ない。出てけ』とか言われそうだし)
 ちなみに『トノ』とは霄のことである。

「ごちそうさま」と小さく呟き、お椀などののっていた膳を廊下に出しておく。
 …すると、用意されていた時と同じように、やはり誰かが片付けておいてくれるのだ。
(案外、人間じゃないやつがやってくれてるのかな…)
 飯は旨いし、楽だからいいのだが。

 遙はそのまま、部屋から出て廊下を挟んだ左隣にある洗面所に向かう。
 歯を磨き終えると、今度は奥へ奥へと続く…続くはずの廊下へ出た。初めてこの家に来た時には、ずーっと真っ直ぐに続いていた廊下だが、今は行き止まりになっている。
 遙はその壁に向かって声をかけた。
「トノー」
 声をかけて、返事がある時とない時があるのだが――今は返事がない時のようだ。
 どうやら、慧か霄、または『生物』がいなければ摩訶不思議屋敷にならないらしく、今の状態では外見どおりの広くも狭くもない木造の家でしかないのだ。
 遙は小さく息を吐き出した。
(向こうからはいつでも呼べるのに、こっちからは向こうの気がむいた時しか返事がないのは不公平だよな)
 と、心中で呟く。
 とりあえず与えられた部屋に戻り――やはりいつの間に、廊下に出しておいた膳が片づけられていた――そのまま仰向けに倒れ込んだ。布団は片づけてしまったので、畳の上にそのまま転がる状態だ。
 一人で二部屋いらないから…と今まで暮らしていた部屋アパートから新たな住み込む先を見つけた。そして奇跡的にも見つけられたが、結局一人で広い家にいることには変わりない現状だな、などとぼんやり思う。
(ベッド欲しいよな…)
 遙はそう思いながらころりと転がった。横向きになりつつ、ふっと細く息を吐く。
 この二月、一緒に暮らしていた祖父が亡くなった。遙に両親はいない。祖父の葬儀にも顔を出さなかったくらいだ。
 ひとまず、住み込む先はできた。距離的にも、ここから今まで通っていた学校に通うこともできる。
 しかし…本当なら今年の四月から高校三年生になるところだが、授業料などの支払いをどうしようかと思って、迷っている。
 もしかしたら自主退学して、バイト漬けの日々を送らなければいけなくなるかもしれない。
 …まぁ、何はともあれ。
(金だよ、金)
 何かを買うにしても…とりあえず、生きていくためには金が必要だ。
 ――生きていく、ためには。
 そう考えた時、遙から我知らずもれたのは笑みだった。…自嘲と言えそうな――寂しげとも言えそうな。

 ――その時。
「『ハル』」
 襖が開いたりしていないのに、わりと近くで声がした。横向きになっていた遙は身を起こす。声に、遙は…早々に馴染み過ぎじゃないか? と自分でツッコミつつ…驚いたりしない。『呼ばれる』時はいつもこうだった。
 けれど…いつの間に入ってきたのだろうか、とは思う。
 遙に声をかけたのは、突如現れた猫だった。
 しかし、声をかけるという時点で普通の『猫』ではない。キジトラの猫と言えるが、手のひらに載るような大きさ――子猫くらいの大きさで、翼をはやしたような生物だった。大きさはともかく、翼がある(ついでに喋る)子猫はいないだろう。
 翼があるものの、その翼を動かしてはいない。…それにも関わらず、空に浮いている。襖を閉めた遙のいる部屋は密室のはずなのに、その生物は忽然と存在した。
 ちなみに昨日『呼ばれた』時は虹色のヤモリのような生物が、何か柑橘系の香りを振りまきながら登場した。声は、今と同じ…慧の声だったが。――それはさておき。
「お呼び?」
 遙は起き上がり、立ち上がる。空に浮いたままの生物が襖に向かった。襖を開けると、先導するように進む生物の後に続く。
 ――生物の尾は、三つに分かれていた。
 先ほど姿の見えない霄に声をかけた時には行き止まりになっていた壁が、廊下になっていた。…この家に初めて来た時と同じように、長い長い廊下が遙の目に映る。
 生物に続いて、遙は障子と壁とが延々と続くように思える廊下を進んだ。

「おはようございま…」
 遙は生物が止まった場所の障子を開けつつ、言った。挨拶は、中途半端なところで途切れてしまう。
「――…す…」
 尻すぼみながら、どうにか言い切った。
 開いた障子の向こうは…数多の星輝く、宇宙空間――のような空間。実際のところは謎――だった。

 
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