TOP
 

─4─

 彼は、星空が好きだった。

(バイトも無事決定、っと)
 学校の卒業などで人の入れ変わりがあったのか、『早速明日から』ということになった。
 ちなみにスーパーのレジ係だ。
 時給は七百六十円。…まぁまぁだろうか。
 面接に行った帰り、すでに夜空になっていた。
 雲はあるものの、晴れている。遙は星空を見上げた。

 そういえば、と遙はふと思いだした。
(じーさん、星を見るのがすきだったよな…)
 一緒に暮らしていた祖父は、母方の祖父だ。
 この二月に大きな流星群が見られるということだったのだが…その流星群を見ることなく、遙の祖父は逝った。
 確か、八十八歳だった。『確か』となってしまうのは、小学校の時からずっと、二人で暮らしていたにも関わらず、遙が祖父の誕生日は覚えているものの、正確な年を知らないせいだったりした。
(百まで生きる、とかほざいてたクセになぁ…)
 遙は北の空を見上げた。
 不動の星、北極星。
 北極星をふくむ、北斗七星。
 …遙が分かる星は、これくらいだ。
 遙の祖父は、もっといろいろな星を知っていた。
 小さい頃の、夜の散歩を思いだす。
 夜桜。蛍。虫の。闇に浮かぶ白い息。
 祖父は遙の手を握り、夜空の星の説明をしてくれた。
 春の星座、夏の天の川、秋の一番星、冬の晴天の星空…。
 遙には四季の星の違いがよく分からない。それは、今見上げていても同じことで。
 星は光る。ただ、静かに。
 ひゅうっと風がふく。遙は首をすくめた。
(ん…)
 二月よりは断然温かくなり、春の陽射しを感じられるようになった。それでも…三月も下旬に入ったとはいえ、夜はやはり冷え込んだ。

*** *** ***

 この家に来て一週間。出掛けて戻ってくると、何かしら『生物』が遙を出迎えてくれた。
 返事がなくても、迎えてくれる存在モノがあるということは、なんとなく嬉しいものだ。
 遙は様々な『生物』をカワイイとも思いはじめていた。

 先日、遙が霄に「慧と霄が遙をいつでも呼べるのに、遙から慧と霄を呼べないのは不公平だ」と言った。
「どうにかしてくれ」と頼んだら――頬をつねられはしたが――霄は「どうにかしてやる」と言った。
 そう言ったとおり、霄は意外と早く…と言ったら、また頬をつねられたりしそうだが…対応をしてくれた。
 遙の部屋や、廊下…下手をすれば風呂場など、常に遙のいる場所に、あえて奥に行かなくても何かしら『生物』がいるようになった。
 その『生物』に話しかけて霄に呼びかけると、きちんと返事がもらえるようになった。
 …本当は慧にも話しかけたり呼びかけたりしてみたいのだが、慧を溺愛していると見てわかる霄は常に慧と共にいるようで、慧に話しかけたところで答えるのは霄だ。
 ついでに一度慧に話しかけてみたが…答えももらえたが…その後の霄が恐かった。
 デコピン、脳天チョップ、頬つねり…というトリプル攻撃に加え、ダークオーラを湛えたまま「いい根性してるじゃねぇか」耳元で囁かれた。
 ぶわっと毛穴が開くような声音で、背筋には変な汗がつたった。
 さすがに初っ端から「慧に手を出したらブッコロス」と言われただけある。
 それ以来、遙は慧ではなく霄にだけ声をかけるようにしていた。
 …それはさておき、慧や霄との連絡係の『生物』は羽付きの猫や犬、空を泳ぐ魚、あるいは角の生えたカエルなどなど…おそらく世間一般の『生物』とは違う姿だ。
 この家にいる『生物』は遙が『視える』モノ達と同類に思えた。
 …一時、視ないように…見えないフリをしていた『存在モノ』と。
 うるさいほどはいない。不思議と、迷惑だとも思わない。ただ、なかなかファンタジックな状態になったな、とは思う。
 がらがらがら、と玄関を開け、「ただいま…」戻りました、と遙は言おうとした。
 丁寧に言おうとするのは、声が慧や霄にも届くかもしれない、と思うからだったが…。
「…――」
 目に映った存在に、思わず言葉が止まった。
 そこにいて、遙を出迎えたのはミニチュア猫系生物…ではなく、柑橘系の香りを振りまくヤモリ系生物…でもなく。
「ん」
 慧が、玄関の前で…まるで遙を出迎えるためにいたかのように…そこにいた。
 …一人で。
「え? …えぇ?」
 出迎えが動く豚の貯金箱とか、話すショッキングピンクなカタツムリのほうがまだ驚かなかったかもしれない。
 さらに驚かされたのが、慧が一人でいるということだ。
 遙はいつも、片時も、霄が離れたところを見たことがなかった。
「ヒメ…? 一体、どうしたの?」
 靴を脱ぎつつ、遙は疑問を投げかける。
 動揺してしまっているからか、うまく靴が脱げない。
「…食べる」
 遙の問いに慧は端的に呟いた。淡々と。
(――何を?!)
 もしやおれか? おれを食うのか?!
 …とか思ってしまったが、どうやら違うらしい。
 ぎょっとして瞬時に顔を変えた遙に気付かなかったのか、興味がなかったのか、慧はクルリと背を向けた。
 玄関側から見て、遙の寝起きしている部屋の廊下を挟んだ右隣の部屋に入っていく。
 遙は荷物を部屋に置くと、慧の入った部屋に続いた。
 あてがわれた部屋と風呂場、洗面所、トイレしか遙は入ったことがなかった。
 勝手に入っていいか判断できなかったし、食事も膳で用意されて、遙の部屋の前に用意されることもあり、なんだかんだで必要もなかったということもある。
 木枠でガラスのはめられた横開きの扉を開け、慧が入っていったのは居間のような部屋だった。奥には台所もある。
 その部屋にはテーブルと椅子があり、棚があった。
 棚には大小様々な本が置いてある。…棚というか、本棚というべきだろうか。
 入って正面の棚はどの段も本で埋め尽くされている。
 慧はすでに席に着いており、テーブルの上には夕食の支度がしてあった。
 先ほどの慧の「食べる」というのは、夕食のことだったらしい。 「このまま立っているのもおかしいな」と遙も慧の正面に座った。

 
TOP