夕食が食べ終わり、片付けられた。
カタカタと音がする。食器を洗ってくれているらしい。
…片付けたのは『やはり』というべきか…人ではなかった。
手、だった。
手首もない、複数の『手』がいそいそと食器を片付けてくれた。
不可思議なモノを視る遙ではあるが、今回ばかりはさすがにぎょっとした。慧がいたからかどうにか悲鳴をあげるまでにはならなかったが。
今までの食事もおそらくあの手が作ってくれていたということなのだろう。
…それはともかく。今夜も旨かった。
しかし、さらに美味しく感じられたのは、一緒に食べる相手がいたということだ。
ぽつり、ぽつりとではあったが、会話をした。一人ではない食事はやはりいい。
慧は食後のお茶を飲んでいた。当然、このお茶を入れてくれたのも『手』だ。
遙もそれに付き合って、テーブルについたままでいる。
…沈黙。
慧は何か考えているのか、わずかに俯いている。
食事中とは違い、少し話しかけにくい。
しかし…話しかけられないためか、視線は慧へと集中してしまう。
(やっぱり将来美人さんになりそうだよな、ヒメって)
長い黒髪、長いまつげに覆われた二重の瞳。
肌が白く、きめ細かい。
唇は厚すぎず、上品な感じだ。
クラスメイトの女子達を思い浮かべ、少し比べてしまう。
(大人っぽいってのとは、また違うっぽいな)
作りが整っているというか、それぞれのバランスがいいというか…など、一人でそんなことを考えつつ、遙は慧を見つめている。
…ふと、慧が顔を上げた。
まつげが震えることまで観察して…次の瞬間、目があった。
遙の心臓が飛び跳ねる。うわ、心の中だけで声を上げる。慌てて立ち上がったりしなかった自分自身を褒めたい。
(じーっと見ちゃったよ…)
遙は意識せず口に蓋をした。今更ではあったが、慧から視線を外す。
人間、あまり直視されて気分がよくなるものは少ないだろう。
(あんま嬉しいコトじゃないよな…)
悪いことをしてしまったと思う。ごめん、と声にできないまま謝罪した。
しかしそんな遙の心中をよそに、慧は特に気を悪くするようでもなく…というより、全く気にした様子はなく、「ハル」と口を開いた。
呼びかけに、遙は一度外した視線を慧へと戻す。
「…実は…」
何か、重い事実を告げるような慧の口調。――まぁ、慧は常に淡々とした喋り方をするのだが。
ともかく、遙は思わず背筋を伸ばした。
…慧は、遙に何を告げるつもりなのだろう。少しばかり身構える部分もあった。
「…この家は、普通の家ではないんだ…」
続いた言葉に遙の思考は停止する。
「…――」
ついでに、遙の感覚時間も停止した。
「…え…?」
聞き返した遙に「だから」と慧はもう一度同じ言葉を続ける。
声音にあきれたような響きや苛立ちのような響きもない。ただ、先ほどと同じように淡々と『この家は普通の家ではない』と繰り返した。
思考が停止し、感覚時間も停止していた遙だったが、しばらくして慧の言葉を自分の中で明確に理解する。
(…って…)
理解して、それでも遙は固まったままだった。
(ヒメ、ごめん、おれめっちゃ知ってた)
普通の家だったら手乗り羽付き猫はいないだろうし、条件によって廊下がのびたり部屋数が増えたり…なんてこともないだろう。なんといっても障子の向こうに草原やエセ宇宙空間なんかひろがっていたりしない。
普通の家ならば。
…ヒメはわざわざそれを告げにきたのだろうか。
――と、考えていた時、遙がどんな表情をしていたのか遙自身には分からなかったが、慧は「…驚いたか…」と淡々と述べた。
…多分きっと、慧の予想する遙が驚いた点と、遙が実際驚いた点は違うだろうと思われる。
それはさておき、慧は言葉を続けた。
「ここは、…この家は、『会の場』とか『架け橋』とも呼ばれる」
そう言うと慧はゆっくりと目を閉じた。…まつげの影が落ちる。やはり、慧はまつげが長い。
慧は瞳を開くと同時に「…ハルに客だ」言い放った。
「…へ?」
この家が『カイノバ』とか『架け橋』と呼ばれるのと一体何の関係が?
遙は思わず首を傾げてしまう。
(ついでに『カイノバ』って、何? 貝の場? …怪の場? とか?)
そんなことを考えている遙に構わず、慧は言った。
「だから、来い」
*** *** ***
何がなんだか遙にはさっぱり分からないが…とりあえず、慧が『来い』と、ついて来いというのだから、ついて行くしかないだろう。
…そういえば、慧と二人だけで行動するなんてことは今までなかった。家の中を『散歩』する時にも霄はいたし…慧とは常に、霄が一緒にいたのだ。
黙々と歩いていた慧に遙は「ヒメ」と声をかけた。こんな時しか言い出せない。霄がいる時に言ったら遙の身がどうなるかわからない。
慧はふと遙を見上げた。慧の視線を受け、遙は問いかける。
「ヒメはいつも自分の部屋で飯を食べてんの?」
それは唐突な問いかけだった。
慧の表情にあまり変化が見えなかったが、『何を言い出すんだ?』くらい思っているかもしれない。
少々の間はあったが、慧は頷くことで応じた。そんな慧に遙は提案する。
「ヒメ。飯をさ、さっきみたいに一緒に食べないか?」
一度視線を正面に戻した慧だったが、再度遙を見上げた。
『何を言ってるんだ』…とか思っているのだろうか。そう思いつつ、遙は言葉を続ける。
「飯ってさ、一人で食うより何人かで一緒に食った方が旨いと思うんだ。…あ、まぁ、ヒメはトノと一緒に食ってるんだろうけど…」
そう言った後に、遙はハッとした。あまり考えず続けた言葉に…その内容に、気付く。
(こ、これじゃあおれが『一人で食うのが寂しい』と宣言しているようなものじゃないか!)
そう思ったら、恥ずかしくなってきてしまった。
もうすぐ…というか実は本日十七歳になる、男子高校生が『一人で飯を食うのが寂しい』などと…。
(うっわー…ハズッ!!)
頭に血が上る。
…赤面していたらどうしよう。遙の思考はぐるぐる回る。
「…そうか」
そんな遙の様子を見ながら、慧は口を開いた。
「…寂しいんだな」
慧の言葉に、遙がかーっ、と赤面したのが自身で分かった。…バレバレである。
「あ、いや、…その!」
何を言えばいいやら。頭が混乱して、言葉が出てこない。
「…いいぞ」
アワアワしていた遙の脳に、その言葉がとどいたのはしばらく経ってから。三、四歩進んでからだ。
「――え?」
遙は視線を慧へと落とす。再び視線を正面へ戻した慧は言った。
「…一緒に食べてやる」
遙は瞬きを数度繰り返した。そして、笑う。笑顔になる。
「サンキュ、ヒメ」
恥ずかしい思いはしたが『言ってよかった』と遙は思った。
そんな遙に、慧は「…ん」と言うと、遙の背をぽふぽふと叩く。
「…?」
その行動の意味が理解できたのは、慧が「この部屋だ」と言ってからだった。
(…あぁ、もしかして犬の頭を撫でるのと同じことか)
ハイハイおれは犬ですよ…とか思ったが、そんな少し拗ねるような気持ちよりも、遙の中で嬉しい気持ちの方が上回った。
だから、問題ないのだ。