会の家では、逢いたい人に『会える』。
遙の『一緒に食事をしよう』という提案に頷いてくれた慧に、遙は明るい気持ちで慧に続いて歩いていた。
…若干、忘れていた。浮かれてしまっていたのかもしれない。
慧が、『遙に客だ』と言っていたことを。
「この部屋だ」
慧はそう言って立ち止まる。その言葉で遙は自分に客が来ていて、現状になっているのだと思いだした。
じっと遙を見る慧に言葉はなかったが、その瞳で「どうした」と訴えているようだ。
――訴えているようなのだが――。
(なんでいつだかの『エセ宇宙空間』なんだ?!)
慧が立ち止まり、遙が障子を開けてみれば…その向こうにはいつか来た宇宙のような空間が広がっていた。
遙の客というのが、なぜここに…ついでに、よりによってなぜこの部屋にいるというのだ。
というより…今更だが、遙に客とは誰だ?
遙がここにいると…この家に居候させてもらっていると告げた人間…友人などいない。
そういえば、バイト先の面接した人は履歴書を提出して、そこには住所も書いてあるのだから知っているかもしれないが…なんでわざわざ客としてここに来るのだ。
むしろ、ありえない。
(誰だよ、おれに客って…)
「行け」
遙の混乱する思考にはおそらく気付かず、慧は先日遙が見事落ちていったエセ宇宙空間を指さしながら遙に言う。
慧が示した先に、あずまやがある。慧はそこに行けと言っているのだろうが…。
「…行けって…。やっぱ、一人で?」
「ハルの客。当然」
頷きながらも慧は淡々と述べる。
「…」
遙は今も「えぇ?」と困惑したまま、立ちつくす。
行け、と言われても…先日は落ちたし、その後はこの部屋には来ていないし…未だに行き方が分からないのだが。
少しばかり考えて、先日のことを考える。
あの日、慧は霄と共に目が強烈なライトになっている、巨大な猫に乗っていたことを思いだす。
…もしや、慧が乗っていた巨大猫に乗っていかなければならないのだろうか。
「…ヒメ。巨大猫は?」
遙の言った『巨大猫』が何を示すか慧には伝わらなかったらしい。 遙は少しの間をおいて「この前、ヒメが乗ってたヤツ」と言いなおした。
遙の言った『巨大猫』が何か分かってくれたらしい慧は「…ここ」と呟く。
その言葉と共に、ポンッと突如姿を現したのは羽付き猫・ミニチュアだった。
先日遙の部屋に来たキジトラではなく、ブチ柄の羽付き猫である。
「ヒメ、大きさが違う」
遙は右手を軽く左右に振った。確か…遙の記憶が正しければ、慧が乗っていたのはこんなようなブチ柄の巨大羽付き猫だったかもしれないが、大きさが全く違う。
ここにいるのは遙の部屋に来たものと同じくらいの大きさだ。慧が乗っていたのは、慧が乗れたのだから当然もっと大きい。
「……」
慧は遙を無言で見上げていたが、おもむろに羽付き猫・ミニチュアの尾を構いだした。
遙のもとに来た羽付き猫・ミニチュアと同様、三つに分かれているらしい。
…すると…。
「ピョッ」という声…いや、『音』と言うべきであろうか…が聞こえたと同時に、巨大猫が現れた。
「………」
そこに現れたのは、紛れもなく慧(と霄)が乗っていた巨大羽付き猫だった。
「…三つ編み」
慧が巨大羽付き猫の尾を指さしながら言った。…確かに巨大羽付き猫の尾は三つ編みで、まるで神社などにあるしめ縄のようだ。
(もしかして、三つに分かれてるしっぽを三つ編みにすると羽付き猫が巨大化する…のか?)
「…。――あー…。……ヒメ、これ、借りてっていい?」
何か別のことを言おうかとも思ったが、やめた。むしろ、なんと言っていいかわからない。
遙の問いかけに、慧は頷く。
遙は恐る恐る巨大羽付き猫に乗り込んだ。
…反応がない。
「…あの…動いて、くれる?」
巨大羽付き猫の毛は柔らかく、ある程度の長さがあるのでつかまることができる。
つかまるところの心配はしなくていいのだが…エセ宇宙空間へと向かわない。動きださない。
「…えぇと…」
どうすれば動いてくれるのだろう?
困惑のまま声を上げた遙に慧は一言。
「ボタン」
そう言いつつ、小さな手で猫の一部を示した。慧の指をたどれば…なんと、言葉どおりボタンがあるではないか。
(…生物じゃなかったのか)
遙はやや関係ない衝撃を覚えた。
では、遙の部屋などにいて、遙が出掛けて帰ってくると迎えてくれる『生物』達も実はみんな作り物だったりするのだろうか。
(…って、ロボットにしたって、しっぽを三つ編みにしたら大きくなるなんて性能はないだろう、多分…)
一人でそんなことも考え、とりあえず慧に「ありがとう」と礼を言う。
やっぱりこの家は『怪の場』なのだろうか。
「…行け」
遙の礼に特に応じることなく、慧は再びエセ宇宙空間を示す。
――そういえば誰だか知らないが遙の客がいるのだった。
遙は巨大羽付き猫の両耳の間にある『進』のボタンを押した。ちなみにボタンは『進』、『止』、『回』、『転』の四つだ。
(…『進』と『止』はなんとなく分かるとして…『回』と『転』はなんだ?)
巨大羽付き猫はスイッとエセ宇宙空間を進んでいく。
見た目で勝手に想像していたより、進むのが早いように感じられた。
*** *** ***
「…おれの客?」
遙は小さく呟く。霄が一人の男と共に、エセ宇宙空間の中にいたのが確認できた。
二人は空間にポツリと浮かぶ石のあずまやのような建物の中にいる。
ブチ柄の巨大羽付き猫から降りると、遙は視線で「本当に?」と訊ねる。霄はその視線だけの問いかけに頷いた。
「では、ごゆっくり」
霄はおそらく客人にそう言って、二人のもとを去った。
…さすが、人外なだけある。遙が落ちていくであろう空間を、霄は普通に歩いて障子に向かっていた。
遙はしばらく霄の後ろ姿を見ていたが、視線を霄から『自分の客』だという男に移した。
刈り上げられた髪、意志の強そうな眉。
年は大体二十代後半から三十代前半だろうか。
…誰かに似ている、とは思うのだが、その『誰か』が分からない。
とりあえず、遙がすぐに思いだせるほどの知り合いではない。
遙は意を決して口を開いた。
「誰ですか?」
単刀直入、である。遙の問いかけに男は一度ゆっくりと瞬きをした。
綿のシャツにクリーム色のズボン。シンプルな格好だ。
体格がいいというわけではないが、細くて弱弱しいというわけでもない。身長は、だいたい遙と同じくらいだろうか。
男は一度口を開き、やめた。
そしてじっと遙を見つめる。…遙を少しでも長く見る、とばかりに。
(な…なんなんだ…? ついでに、本当に、誰なんだ…?)
あまりじーっと見られることに慣れない遙は居心地が悪い。
「あの…」
もう一度、「誰ですか」と遙が問いかけようとした時、男は口を開いた。
「誰か分からないか?」
…その、声は、妙に耳に馴染んだ声。
でも、誰かが分からない。
まるで半透明のベールに包まれたかのように『誰か』が、分からない。
――わからない、はずなのに。
我知らず、唇がかたどる。声にはならない。
『じーさん』と、唇だけがかたどる。…遙自身、知らぬまま。