「失礼します…」
「あ、おかえり〜、蘇我くん」
眞清が戻ってきた。
アサエさんの言葉に眞清は微かに頭を下げて応じる。
手には、本。
(…ってか…)
一応、今日までテストだったはずだが、忘れ物が本ってどういうことなんだ?
新しく借りてきたんだろうか。
(ま、いいか…)
読書は眞清の趣味だ。やりたいことを邪魔することもないだろう。
ふと、窓の外を見た。――ら。
「あ」
「あ?」
思わずもらした声に、眞清が…ついでにノリコさんやアサエさんが…あたしのほうに視線を向ける。
その視線に気付いてはいたけど、あたしはそれに応じることなく立ち上がった。
天井までとどきそうな大きな窓を開ける。
「副会長!」
呼びかけに男が振り返った。
背が高いが、威圧感はない。ラブラドール・レトリーバー辺りの人懐こい大型犬を連想させるような人だ。野里亮太という。
「おう、大森じゃん。なんだ?」
「あたしは用事ないけど」と前置きしてから言った。
「涼さんが探してた、ぞ」
あたしが「涼さん」と言ったあたりで副会長が一瞬固まった…ように感じた。
涼さんが結構な剣幕で探していた相手だ。涼さんの『剣幕』の原因をわかっているのだろうか。
「あぁ、わかった。もしも涼に会ったら『まだ校内にいる』って言っといてくれるか?」
「…あたしは伝言板か?」
「いいじゃん、頼むよ」
…いいけどさ、別に。
「会ったら、な」
「おう、頼むわ」
そう言って、副会長は去っていった。
(…そういえばケータイとか持ってないのか? あの二人…)
あたしはそんなことを思った。
「大森さんって顔が広いんだね」
エリカさんの言葉に一瞬どきっとした。
「そうか? 普通の広さだと思うが」
あたしは軽く頬を叩いた。
「随分ベタなボケ方ですね…」
眞清のボソリとしたつっこみに「うるせぇ」と小さく返す。
「なんつーか、これでも一応代議員だからさ」
「そうなんだ」と納得した様子のエリカさん…とアサエさんとノリコさん…の様子に頷き返す。
「そういえば野里くんって副会長のこと好きらしいじゃんね?」
「いや、あれは態度丸出しだよ」
ノリコさんは涼さんを副会長と呼ぶらしい。あたしは野里サンを副会長って呼ぶから…ある意味あたしと逆だ。
「ふ…野里サンと仲いいんだ」
副会長、と言おうと思ってやめた。
ちょっとこんがらがりそうだと思ったから。
「あ、別に?」
…即答か…。
ちょっと言葉を詰まらせたあたしに「同じクラスなの」と笑うノリコさん。
「あれだけ態度丸出しの人も珍しいよね? …あれ、そうでもない?」
ノリコさんの問いかけにアサエさんとエリカさんが頷いた。
「態度丸出しなんですか」
ミサオさんの言葉にノリコさんは頷いた。
――というか、女の子ってこういう話本当にすきだよな…。
「うん。でも、珍しいね。野里くんが副会長を探してるんじゃなくて、副会長が野里くんを探してるなんて」
「あ…そう言えばそうかもね」
アサエさんが頷いた。
「何かやらかしたんじゃねぇの? 野里サン」
あたしは笑う。苦笑、か。
やや怒りを含んだ涼さんの様子を思い出したから。
「野里くん、何やったんだろうねぇ」
それはわからない。あたしは「さぁ」と首を傾げるだけだ。
「あ、おかえり葛木ちゃん」
エリカさんの言葉に少し笑って応じるケイさん。
…今頃思ったが、ちょっとだけ雰囲気が眞清に似てるかもしれない。
『ちょっとだけ』『かもしれない』だが。
「――克己」
「!!」
(び、…)
びびった…。(ある意味)眞清のことを考えてたときに、本人の声。
――しかも、近い。
「な」
なんだ? と言おうとしたが、思わず止まる。
…眞清の声が違いはずだ。
発信源――顔?――が近い。
引き続きびっくり。言葉を続けることができない。
眞清の手が、あたしの肩に触れた。
…さっきまで絶え間なく続いていたおしゃべりが止まっている。
なんだこの沈黙は。
(…ん?)
眞清の触れる肩が、熱い。
触れられているから、だろうか。
(…いや…)
「あ…」
何か言おうとした眞清の頬に、右手で触れる。
続けて、左手でも頬に触れる。
「克己…?」
――美術室が妙な沈黙に包まれていたが、あたしは気付いてなかった。
ついでに何か期待したような目で――主にノリコさんとアサエさん――が見ていたことにも。
眞清の結構長いまつげに縁取られた目が、潤んでいた。
「眞清…」
あたしは、名を呼ぶ。
眞清の唇が何かを言おうとしたのはわかった。
だけどあたしは、眞清が何か言う前に…
「熱ないか?」
右手を額に移動させて、そう問いかけた。