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①誰?
<女の子?>

「ただいま」
 来客と入れ替わるようにして、出かけていた父が戻ってきた。小説家である父の書斎には本が敷き詰められているが、そんな家に有る資料だけでは調べきれず、県立の図書館に足を伸ばしていたとのことだ。
「おかえり〜」
 母が父を迎える。エアコンのある部屋は居間と客間と書斎で、涼しい場所に身を寄せて居間にいた眞清も「おかえりなさい」と呟いた。

「大森さん、帰って来たんですね」
 来客と入れ替わるようにして帰って来た父は、先程までいた二人…かっちゃんと、その母親と顔を合わせたらしい。
 先程の少年が小さい頃によく遊んでいた『かっちゃん』だと気付いて驚いたけれど、正直、それ以上のことは特になかった。…懐かしさよりも驚きばかりが先立ってしまったのかもしれない。
 今も『かっちゃん』の本名フルネームすら知らない。『大森ナントカ』というらしい。眞清の知っている情報を合わせても『大森かっちゃん』か。
「そうそう、本当は春に戻ってこられる予定だったらしいんだけど…少し遅れたんだって」
「そうなんですか」
 母の情報に父は応じつつ、自然と椅子に着いた。まだ食事というわけではないのだけれど、書斎に行ったところで暑いからだろう。居間のほうが断然涼しいはずだ。
 眞清は読み始めていた本のページをパラリとめくる。父が小説家だから…なのか、昔から家に本がある環境だったからなのか、眞清は本を読むのが趣味だった。夏の暑い日に涼しい部屋で本を読む。最高の余暇だ。友人に言わせれば枯れてるらしいが。
 本を読んでいても、なんとなく父と母の声は聞こえていた。

「でも…かっちゃんも大きくなったわねぇ」
 しみじみと母が呟いた。
 とりあえず、隣に並んだ時かっちゃんと自分との目の高さが大体同じようなものだった、ということをなんとなく思いだす。
「会ったでしょ?」と問いかけた母に父は「ええ」と頷く。
「ですが…千紗ちささんに比べれば、今時の中高生は大体が大きいんじゃないですか?」
「…ウルサイよ、ひー」
 夫婦というよりは仲の良い友人のように会話が途切れない。今でも、と言うべきか。
 母…千紗と父…ひーこと聖は学生時代からの知り合いらしく、未だにその感覚が抜けきっていないらしかった。特に、小さな母は。
 眞清は確か小学生の高学年時には母の背を追いこしていた気がする。ぎりぎり一五〇センチくらいだった気がした。計り方によっては一四〇センチ代にもなる…とも聞いたことがある気がする。父の背は一八〇センチあり高いほうで、一六八センチの眞清はまだまだ追いつけていない。
 途切れない会話を右から左に聞き流していた。

「ですがまぁ…確かに、大きいほうかもしれませんね」
 両親の背が高いから、ウドはどうしてにょきにょき伸びるのか…とか会話の焦点が飛び飛びになっていたのだが、父が会話の軌道を元に戻した。
「女の子にしては」
「そうよねぇ。なんていうか、カッコイイ美人サンになりそうね、かっちゃん」
「…そういえば、かっちゃんの名前ってなんというんでしたっけ?」
「あら、覚えてないの?」
「………今」
 眞清はそこで思わず口を挟んだ。
「「え?」」
 二人が見事にハモッて眞清に顔を向ける。なんだろう、そのシンパシー。
「…今、なんと言いました?」

「今? ええと…」
 流れるように会話をしていて、とっさにわからないらしい。母が考えるように天井に視線を向ける。「動作が幼いから若く見られるんですよ」と、いつだかけなしているのか褒めているのか微妙な父の言葉が脳裏に浮かんだ。…と、今はそんなことはどうでもいい。
「あぁ、ひーに『覚えてないの?』って」
 違う、と眞清は思わず頭を振った。
「その前です。父さん」
 視線を父に向けた。
 今――なんだかスルーできないことを言っていた気がする。
「ん? えぇと…。あぁ、『かっちゃんの名前って』」
「その、前です」
 父が全てを言いきる前に、眞清はぶった切るように言葉を発した。
「その前?」
 何か特別なこと言っていたかしら…と言うように母が首を傾げる。言葉をぶった切るような眞清の行動に別段気を悪くする様子を見せず…というか、父は常に笑っているような雰囲気で、ある意味思考が見えにくいポーカーフェイスとも言えるのだが…続けた。
「千紗さんが、かっちゃんがカッコイイ美人サンになりそうだね、と」
「…――」
 そう、ソコも引っかかった。でも、ソコよりもさらに引っかかった発言があった。

「…父さん、今――かっちゃんが女の子だと言いませんでしたか?」
 眞清の問いかけに父は「おや」と口の中だけで呟いたらしかった。大きな表情の変化はなかったが、いつもより少しだけ目が丸い…気もする。呑気にそんな観察ができない程度に、眞清の中で父の発言が引っかかっていたのだが。
「女の子でしょう」
「眞清、変なトコロを気にするのねぇ」
「?! 変?」
 だって、かっちゃんは――。
「かっちゃんは女の子じゃない」
 母はズバッと言いきった。眞清が「かっちゃんは『男だろう』」と続けようとするよりも早く。
「こっちにいた時から髪の毛短かったし…すっごい元気な子だったけど」
 眞清より走り回ってたわよねぇ、と懐かしむように母は目を細めた。
 …いや、そこでそんな遠い目をされても、とか思う。
「眞清、骨格を見れば女の子でしょう」
骨格そこで判断できません」
 というか、骨格がとっさに判定できるというのだろうか、父は。体のラインからして…と言われるよりはいいのかもしれないが、微妙に引っかかる。…引っかかるが、眞清としては、それ以上にもっと、想定外のことを言われた。

「かっちゃんが…女の子?」
 意識せず呟く。
 幼い頃…まだ小学校に上がる前のことを、共に過ごした時を思いだす。
 正直、眞清は泣き虫で――少しばかり体が弱くて。…今と同様、インドア派で。そんな眞清を外へと連れ出したのがかっちゃんだった。
『ますみ、遊ぼ』
 小さな手をつないで、走った。すぐにへばる眞清をなじることはなく、「大丈夫か?」と気にかけた。
 眞清よりもずっと体力があって、勇気があって、活発で。
 …だから――。
同性だと、ばかり…」
 眞清は再び言葉を漏らす。
 そんな眞清に母は「あらあら」と声を上げた。
「かっちゃんは女の子よ。日本に帰ってきたのもこっちから引っ越してから…」
 母は考えるように指を折った。
「八年ぶり、とかね」
 小学校に入学する前に、かっちゃんは引っ越した。それがとても遠くに…ということは知っていたのだが、どこに引っ越したのか、ということまでは知らない。しかし今の言い方では国外にいたかのようだ。母はきちんとかっちゃんの行き先を知っていたのだろうか。

「眞清、仲良くしてね」
 母の言葉に眞清は瞬いた。「せっかく久々の再会なんだし」と母は笑う。
「久々だから不慣れなこともあるだろうし…多分、八年も経てば色々と変わっているだろうし」
「そうですね」
 母の言葉に父が頷く。「でしょう?」と母も頷く。
 十年一昔なんて言うし…確かに八年も経っていれば色々と変わっていることもあるだろうとは予測できるが――。
「一緒にいてあげてね」
 ――母が続けた言葉に応じることはできなかった。なんで自分が、とか。言い返そうと思えば言い返せた。けれど…眞清はどうも、母に逆らおうと思えない。マザコンと言われるかもしれないが…それでも。
「…――」
 声にしないまま、眞清は視線を落とす。明確な肯定も…拒否も、しなかった。

 
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