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②始まり
<関係>

「お。ハヨ」
「…おはようございます。今日も散歩ですか?」
 あきませんか? と、それは言葉にしないまま脳内だけで呟く。
 眞清が新聞を取りに出るのが大体七時頃なのだが…克己は大抵その時には散歩を始めていた。
 克己の家は眞清の家のすぐ隣で、克己もまたちょうど七時頃に家を出るらしく、ちょくちょく遭遇した。顔を合わせると大抵克己のほうから声をかけてくる。声をかけられれば、眞清が無視をすることはなかった。
 どうしてこんな時間から散歩なんてするのか、と一度問いかけたことがある。インドア派の眞清はやろうと思えば一週間くらい家の敷地から出ない生活もできそうで、わざわざ朝から外を出歩く克己の行動が…ひとまず、眞清からしてみれば…随分行動派だな、と思っていた。心底不思議にも思って、問いかけたのだ。
 答えは「涼しい時間うちに見て回ろうと思って」というものだった。
 確かに昼間は暑くてとても歩き回れない。朝のほうが幾分、動き回るのに適しているかもしれなかった。暑い時は朝っぱらから暑かったりもするが。
 ただ…何を見て回っているのか? とも思う。この周辺にそんなに珍しいモノはないはずだが。それとも八年の空白を克己なりに埋めようとしているのだろうか。
 そう思っても、そこまで突っ込んで問いかけたりしないが。だからこれは眞清の勝手な想像だった。
 いつも挨拶をして、二、三言葉を交わし、克己が立ち去る…というパターンで固定されている。

 散歩か? と訊ねた眞清の問いかけに「おう」と頷き、立ち止まった克己は「なぁ」と言葉を続けた。
「眞清、今日暇か?」
「…はい?」
 聞こえていたのだが、聞き返すような声を上げてしまった。
 名前を告げてから、克己は眞清を当然のように呼び捨てで呼んだ。小さい時から「ますみ」と呼ばれていた気もしたから、そこに反応したわけではない。
「今日、眞清は暇か?」
 眞清の反応に対し、克己は同じような言葉を繰り返す。
 暇か? と言われれば…眞清は決して暇ではなかった。
 眞清は一応受験生。中学最後の夏休みだ。勉強をやって、それから学校の図書室で借りた本を読む…という立派な脳内予定がある。
 今日の分の勉強が終わったら後は本を読んでいることが多く、むしろ読書の時間のほうが長い…なんていう事実ことはあえて言わなくてもいいだろう。
 しかし、それは他人に言わせれば『暇』ということになることも知っている。
 時間の過ごし方は人それぞれで、誰かにあえて突っ込まれるような理由も本来であればない…とも思うが。
「――特別な予定はないですね」
 そう、答えた。『暇』ではない。時間が余っているわけではけっしてない。なぜなら眞清は本を読むのが趣味で、夏の暑い日に涼しい部屋で思う存分本読む…という立派な時間の過ごし方があるからだ。
「予定はない? じゃあさ」
 克己が眞清に近付いた。
 克己はいつもカバンを背負っていて、今日もカバンを背負っている。…たかが散歩で何を持ち歩いているというのだろう、と思っていた。ウォーキングをする人をたまに見かけるが、その人達は首にタオルを巻き、帽子を被ったりしているだけで特に荷物を持っているのは見ない気がする。熱中症対策に水分でも持ち歩いているのだろうか。
 背中を覆うカバンは歩いているうちに蒸れてきそうだと思うのだが。正直、暑そうだと思う。
「ちょっとさー、時間がある時、勉強教えてくれないか?」
「…勉強、ですか?」
 聞き返した眞清に克己は頷いた。
「向こうでもやってはいたけど…学校が始まってからついてけなくても困るじゃん? 一応受験生だし」
「…ああ…」

 確かに、と思って今更ながら「おや?」と思った。
「…受験生なんですか」
「あ? ああ。中三だぞ」
 同じ年だろ? と克己は自分自身と眞清とを示す。
(そういえば…小学校に入学する直前にいなくなった…ん、でしたっけ?)
 眞清は自分の記憶を探るように目を細める。
 同じ年だったのか…と思って、そういえば幼稚園の時同じクラスだったかもしれない、と思いなおした。『同じクラス』とは言っても、眞清達が通っていた幼稚園…眞清達の学年は二つしかクラスがなかったから、二分の一の確率で同じクラスになったのだが。
「授業でどういうことやってる…っていうことだけでも教えてもらえると助かるんだけど」
 眞清の沈黙を克己がそう言って、破る。
 無理か? と言われて眞清は口を開いた。
「…僕に教えられることなら」
 母の言葉があったからか…予定はない、と言ってしまった手前うまく断る理由も思いつけなかったからか、眞清はそう応じる。
 眞清の答えに「おっしゃ」と言いつつ克己は軽く拳を握った。

「いやぁ、勉強見てくれる人がいなくってさ。助かる」
 克己の言葉に「そうですか」と頷いた。
 今までは誰か、克己の勉強を見ていたということなのだろう。あえて、突っ込んだりもしない。必要も感じないからだ。
「どうすればいい? 眞清の家行ってもいいか?」
 頷いた眞清にそう切り返しながら「家に来てもらってもいいんだけど」と軽く克己の家の玄関を示した。
 …そう、克己の家は見えるくらい近い。
 道を出てから三段跳び並みに張りきれば、それこそ三歩で克己の家の門前に到着できるくらいに。
「…家に来てもらってもいいですか?」
 他人を家に招くのはあまりすきではなかった。けれど、他人の家に行くのもまたすきではなかった。
 克己のことは『元幼馴染み』とでもいえばいいのか。
 小さい時にはそれこそ毎日のように遊んでいて、お互いの家にもちょくちょく行き来していた…と思いだしたけれど、八年の間というのは短くはない。
 いくら『かっちゃん』でもまだ友人ではなく、『他人』だ。
 あまり知らない他人の領域に行くより、まだ一人の異分子他人を家に入れるほうがマシだった。
 というか、自分が外を出歩くのも億劫だ。…という本音は自分の中だけのものとする。
「わかった」
 眞清の本音におそらく気付かないまま、克己が頷いた。
 十時くらいに顔を出す…という約束をして克己はまた散歩を始める。なんとなく、眞清はそんな克己の背を見送った。
(…あぁ、一応母さんに言いますか)
 突発的な来客とも言える。一応、母にも伝えるべきだろう、と考えた。

 新聞を持ったまま居間に行くと、いつものように母が朝食の用意をしていた。
 父はまだ起きてきていないようだ。これは、日によって違う。
「おはようございます」
「おはよ」
 眞清は居間の机に新聞を置いた。一面に軽く目を通す。読書が好きなせいか、字を読むことは嫌いではない。ただ、今日も別段興味が惹かれる記事もなかったが。
「あぁ…母さん」
 眞清はうっかりいつものように新聞を斜め読みしてしまった後、口を開いた。
「今日、かっちゃんが家に来るそうです」
「あらあら」
 母は声を上げて、テーブルに焼いた魚を置いてから続けた。
「遊びに来るの?」
「…遊びに…というか、勉強を見てくれ、ということでしたが…」
 そう、と母はにこにこしながら頷く。
「また仲良くできるといいわね」
 笑顔のまま言われて「それはわかりませんが」と応じた。
 表面上は付き合って、あえて避けたりすることはないつもりだが…昔のように親しくできるかは、別だ。
「もう、ひーみたいなこと言わなくてもいいのに」
 母は少しばかりため息交じりに呟く。しかし、「父みたいなことを言うな」と言われても…。
人付き合いの考え方そういう部分は似ているから、なんとも…)
 穏やかな顔で、なんとなくいつも笑っているような印象の父。ある意味思考が見えにくいポーカーフェイスとも言える――眞清はそんな父とよく似ている、とよく言われるが。それはさておき。
 顔立ちが似ているらしい父とは、思考――考え方にも似ている部分がある。
「僕がなんですか?」
 噂をしたら父が起きてきた。
「おはよ。眞清ってばかっちゃんと仲良くできるかはわからない、なんて言うのよ」
 ひーも、久しぶりに会った友達にそういうこと言いそうじゃない? と少しばかり睨むようにしながら母は言った。
「おはようございます」と応じつつ、睨むような母に父は笑顔のままで切り返した。
「まぁ、それはそうでしょうね」
「…そこは普通に「できればいいね」って頷けばいいのに」
「変なところで正直なんでしょう」
 父は言いながら口元に笑みを浮かべた。
「変なところで、なの?」
「親しくできるかできないかわからないことを『できます』と言いきることはできないんじゃないですか」
 父はそう言うと眞清に視線を向けた。
 そのとおりと言えばそのとおり。
 だが、頷くのがなんとなく癪で、別段反応はしない。…母の言葉には素直に応じようと思うが、なぜか父の言葉には妙に素直になれないことがある。…というか、多いかもしれない。
「そこは『言ったもん勝ち』で、有言実行にすればいいじゃない」
「…男前な考え方ですね、千紗さん…」
「そぉ?」
 ごはんを盛った茶碗を運ぶ。  食卓に並ぶのは、大まか和の朝食。焼き魚と味噌汁と白いご飯…。それからヒジキの煮つけときゅうりの浅漬け。冷奴の上にトマトと玉ねぎをスライスした物とドレッシング…というあたりが純粋な和の朝食とは言えないだろうか。
「…以前むかし現在いまは同じとは言えないと思います」
 いただきます、と言ってから箸に手を付ける。
「二人は変なところで似てるわねぇ…」
 シミジミ呟く母の言葉に眞清はそっと父と目配せをした。

 
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