単独行動がすきだった。
誰かに関わったりするのは、面倒で。
ある程度の付き合いはする。団体行動から外れない。
けれど、自分から踏み込むことはしない。――それが、眞清的な他者との距離間だった。
浮かず、つかず、離れすぎず…それが、眞清的人付き合いの方法だったのだが。
「眞清」
「眞清〜」
「おーい」
「………」
自分が関わろうとしなくても、自分を巻き込もうとするヤツが現れる。
自分の『昔の写真』なんていう弱みを握り、あっちへズルズル、こっちへズルズルと引きずり回されて。
――二度目の限界が来た。
二学期はイベントが多い。『中学最後』ということで、力が入っていることも、多い。…それに伴って、振り回された時間も長い。
――そして、一緒にいた時間の長さのせいか妙な噂がたっていた。
眞清の耳にも届いた噂…それは。
『蘇我と大森は付き合っているらしい』
※ ※ ※
明日から冬休み。
日は大分短くなり、四時を過ぎれば辺りは暗くなる。連休前のせいか生徒は殆ど帰宅したらしく、学校は静かだ。…いつもだったら眞清だってもう、学校にいない。
――克己が『探検♪』なんて言いつつ、自分を振り回すから…せいぜい運動部しかいない学校に、眞清も残っている。
眞清は階段を上っていた。上りながら、ひとつ息がこぼれた。
隣に並んで歩いていた克己が、笑う。
「でっかいため息だな」
「…誰のせいだと思ってるんです…」
「へ?」と妙な声と共に足を止めた克己の腕を、眞清は掴んだ。
「…誰のせいだと思ってるんです」
眞清は同じ言葉を繰り返す。克己が目を丸くして眞清を見つめた。
それは、同じ視線の高さで。これもまた、なんとなく腹立たしい。
「僕達いつも一緒にいるじゃないですか」
「…あ…あぁ…」
克己は掴まれた腕に一度目を向けて、再び視線を眞清へと戻した。
薄暗い、校舎内。それでも克己の瞳の『黒』は、わかる。
腕を掴んだまま、眞清は一歩近づいた。…一歩退いた克己に、なんだか眞清は意地悪な気持ちがむくむくと湧いてくる。
――いつも振り回されている分、今。
そんなことを、どこかで思った。
更に近づけば克己は階段の壁に背を預けるような状態になる。それ以上、克己は下がらない。…下がれない。
掴んだ克己の腕も壁に押し当てた。
空いた左手を壁に押し当て、眞清は克己の身動きを制限する。
手にじわりと、壁の冷たさが広がった。
…それと一緒に、眞清の中の意地の悪い思いも広がったように思えた。
「ま…すみ…?」
克己の小さな声に眞清は笑った。――口の端だけ、わずかに上がった。
克己が瞬く。
「噂、知ってます?」
「…噂?」
眞清に左腕を押さえられ、右側には腕が伸びていて移動できないようにさせられて、克己はふと息を吐き出した。
「…なん、の…だ…?」
途切れがちな声の克己の耳元に、眞清は囁いた。
「僕達、付き合ってるらしいですよ?」
いつも一緒にいるせいですかねぇ、と続ける。
壁に押し付けていた克己の右腕が動いた瞬間、その手首を眞清は押さえ込んだ。克己との距離が縮まる。
「――こんなの見られたら、尚のこと噂が広まりそうですね」
振り回されているのに、『付き合っている』…なんて、自分の意思で一緒にいるように思われるのにむっとした。
…振り回されて、克己は自分を『オトコ』として見ていない、というのはなんとなくわかった。――まぁ、自分だって克己を『異性』として見ていないのだが。
「……」
沈黙したままの克己に…どんな反応があるか、と眞清は見守る。
ただ見つめ返す、瞳。触れたところには、じわりとした熱が広がる。
(…反応ナシ、ですか?)
眞清は目を細める。
「眞清は…ソレが腹立つのか?」
沈黙を破った克己の問いかけに、眞清は瞬いた。
「…まぁ、ユカイではないですね」
眞清が応じると「そうか」と吐息のような呟きが届く。
「――離してもらえたりとか、できないか…?」
続いた克己の言葉に眞清はまた、笑った。
克己が離してほしいと、望んでいる。
いつも振り回されている自分が、今は克己を困らせている。その現状にまた、思わず笑った。
「イヤ、です。たまには立場の逆転もいいでしょう?」
意地悪な思いが、広がる。
克己の熱を手のひらに感じる。――下手をすれば、吐息を。
ぐ、と克己が抵抗をみせた。――軽いものだが。
眞清はソレを押さえる。手で、押さえこむことができる。
克己は視線を眞清の顔から押さえつけられた左手へと移した。壁から離れず、身動きができない。
「……」
――あれ、と思った。
克己の、抵抗がない。…いや、抵抗はあるのだが…。
(こんな程度…ですか…?)
克己は自分を押しのけようとしているようだ。だが、『効果』として、あまり出ていない。
――え、と思った。今更…気付いた。
「……」
掴んだ克己の腕の細さに、気付いた。
「ワリ…」
俯いていた克己の小さな声が眞清に届く。
「……限界…」
再び、「え」と思った。
震える肩。――細い腕。
黒い瞳と、黒い髪。
以前と変わったのは、ただ背が伸びて…ただ、年をとっただけだと。その程度だと、思っていた。――けれど。
「眞清…離して…」
今にも消え入りそうな声で克己は…少女は呟く。
「も…マジ、勘弁…」
…わずかに震えた声。
髪が伸びて、背が伸びて。それ以外は、変わらない。…変わっていない。そう、思った。――そう、思っていた。
…けれど。
震える声。震える、指。
…これは、誰だ?
震えるこの少女は――震える、この少女が『克己』なのか?
眞清は思わず手を離していた。
解放された克己が小さく息を吐く。
束の間の、沈黙。
「壁、冷たいなぁ…」
沈黙を破ったのは、克己だった。
「………」
(今、なんと?)
克己の小さな呟きに眞清は思わず「え?」と声をあげて聞き返していた。眞清の「え?」に克己も「へ?」と妙な声をあげる。
そして「背中が冷えた」と少々首を傾げながら応じた。冬だなぁ、と続いた克己の台詞に眞清は瞬きを繰り返してしまう。
肩を摩りながら再び体を震わせる克己の様子に、眞清は先程の克己の震えは寒気からきたのだ、と理解した。
理解して、
(かなり見当違いだったようですね)
…そんなことを思った。
――眞清は、克己が狼狽えたのだと思ったのだ。自分の態度…力に驚いて。…自分を『異性』と意識して震えたのかと思った。
そんな風に思った…ある意味、『自意識過剰』というものだ。
「? ナニ笑ってんだ?」
克己に問われて、眞清は自分の口元を覆った。…意識せず笑っていたらしい。
「…なんでも?」
「そう言ってる辺りがアヤシイぞ」
教室に荷物を取りに戻るため、階段を進む克己に眞清も続く。
「…なんつーか、眞清っていっつも笑ってるよな」
階段を上りきると克己はそう切り出した。
「そうですか?」
意識して笑っているわけではないのだが…どうやら自分は、『そう』らしい。
答えながら廊下を進む。窓から、大分沈んだ夕日が見えた。空が紅い。
「何を考えてるかわからん、とか言われないか?」
「…ああ…」
言われたことはないが、思われているかもしれない。
自分と相手との距離をとるための『境界線』。
笑みは身内の影響だ。…気づけば自分にもうつっていた。口角を上げて、他者を踏みこませ過ぎず、周りから浮きすぎない――ある意味での、処世術で。
「――父の影響ですよ」
「答えになってない気がするぞ」
克己のつっこみに「そうですね」と思わず笑った。本当に、思わず。
「――無理といつも笑ってることないのに」
眞清を見ながら言った克己に「無理と笑っているわけじゃないですよ」と答える。
先程まで克己に対して湧き上がっていた意地の悪いような…相手を貶めたいような感情は鳴りを潜めていた。…理由は、わからないまま。
眞清の答えに克己は首を傾げて「そうか?」と言いながら腰から上のほうを摩る。その様子に「腰でも痛いんですか?」と訊ねていた。
「腰…ってか、背中が冷えると古傷が痛むんだよ」
眞清から、踏み込むような質問をしていた。
そのことに、克己の返答を聞いてから気付いた。
「古傷…って…一体何をやらかしたんですか」
克己の言い様にさらに言葉を重ねてしまう。けれど。
「ソレは言えないなぁ」
続いたのは、間延びした口調。
「気が向いたら、教えてやる」
さらに続いた克己の答えに眞清は意識しないまま息を吐き出す。
「なんですか、気が向いたらって…」
ため息交じりの眞清に、克己は振り返った。
「………」
眞清は思わず、ひとつ息を呑んだ。――克己のその表情が、なんとも言えないものだったから。
揺れる、克己の瞳。――その瞳に宿った光が、彼女に不釣合いと言えそうなものだったから。
…少なくとも眞清の見たことのない、悲しみや…寂しさと言えるような、光。
――見たことのない表情だった。
笑っているような。…苦笑のような。泣き出しそうな。――痛みに耐えるような。
克己の唇が動く。――声なく紡がれる、言葉。
…聞こえない。聞こえなかった、けれど。
『知りたいか』
――と。なぜかそう聞こえた気がした。
けれど、ゆっくりと瞬いた眞清が次に見た克己の表情は。
「帰るか」
…先程の複雑な表情が嘘だったような――幻だったような。
「? なんだ?」
見慣れた、いつもの。――眞清からすればいっそ、イラッとする…飄々とした表情で。
「――なんでも」
眞清の言葉に「変なヤツ」と克己がぼやいた。そのぼやきに「克己に言われたくありません」と返すと、克己は「ヒデェ」と飄々と笑う。
その態度にイラッとした。…前は。つい、先程までは。――けれど、今は。その表情が、『仮面』と思えた。
(…いや…)
自ら『仮面』と考え、思いとどまる。
――自分の笑顔と一緒か、と思った。
他人と距離を置くための。――踏み込ませないための『境界線』。
『知りたいか』
…聞こえなかった声が、聞こえたように思えた。
「――…」
もし、その問いが事実であるのなら。…その問いに答えるのならば。
(興味が、ある)
興味がわいた。『大森克己』という存在に。
飄々としたその内で――あんな表情を持つ、克己に。興味がわいた。…知りたいと、思う。
あの表情の意味を。――あの、瞳の中の感情を。