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②握手
<会話>

 九月も、下旬。
 席替えをしてから一ヶ月近く。当然ながら、二学期になってからも、学校が始まってからも一ヶ月近く。
 後ろが眞清だと知っているから、神経を張り詰めることなく授業に参加できた。
 あたしの前の席は、更科だ。
 元々は春那ちゃんの隣の席だったから、ちらほら話したことはある。
 誰かがカッコイイって言ってた。カッコよさの基準は人それぞれだが…まぁ、ブサイクって感じじゃない。背はあたしより5cmくらい高いってトコロ。
「なぁ大森、シャーペン余計に持ってる?」
 振り返りながら言った更科にあたしは「シャーペン?」と聞き返してからペンケースを探った。「一応入ってる」と応じる。
「貸してくれねぇ? 忘れちまって」
「いいよ」と言いながらあたしは一本を更科に差し出した。
 いつも使っている握りやすいお気に入りのシャーペンは自分で確保しつつ。
「消しゴムはないぞ」
 シャーペンはともかく、消しゴムは2つとかは持ってない。
「あぁ、また借りるわ」
「りょーかい」と応じると、更科は前へ向き直った。なんとなく、更科の背中を眺める。

 授業中、更科は消しゴムを使うのに何度か振り返った。
「…使うとき返してもらうから、しばらく持ってていいぞ」
 何度か…っていうか、結構何度も振り返る更科に思わずそう言うと「大森のなのにそれは変だろう」と、更科はいちいち消しゴムを返してきた。
 ――結局また、ちょくちょく消しゴム使ってんだから持ってればいいのに、と思う。よく書き間違えるんだな。

「大森、今更だけどさ」
 授業――数学が終わると、更科は言った。
「これ、今日一日借りていい?」
 更科の言葉に「ホント、今更だな」と思わず笑ってしまう。
「いいよ。だって、ないんだろ?」
 頷いて、「わりぃな」と続ける更科に「いいよ」とあたしは繰り返した。

※ ※ ※

 選挙の事前準備があるせいか、学生会室に顔を出すと何かしらやらされた。まぁ、いいけど。手伝いは大まか冊子作りだ。冊子作りは手が多いほうが早く終わるもんな。
 話し合いをしている時にはこっそり隣にいるか、早々に帰ることにした。帰らなくても、まぁ、教室に戻ったりとか。
 じわじわと選挙が近づいていく。っつっても、十二月だが。
 その前に、中間テストのほうが問題だ。十月の頭…あと、一週間くらい。
 テスト一週間前には、基本的に部活動は休止になる。だけど眞清は余裕で「図書室に行く」とか言う。まぁ、眞清の勝手だから、ひとまず教室で待ってることにした。
 いつもだったら誰かと雑談してるんだけど、今日はみんないない。
 割とこういう時に付き合ってくれる益美ちゃんも春那ちゃんも、今日は用事があるらしくてもういなかった。
 誰もいない教室に、一人。外の様子を見てるとまだ明るい。一応、四時になるのに。
(あぁ…でも一時期に比べれば日も短くなったか…?)
 夏休みの間とか、四時なんてまだ昼間みたいな雰囲気だったもんな。
 ぼんやり窓の外を見ている。時折誰かの声が聞こえたりしたけど、教室内は静かだ。
 ガラッというドアが開く音に視線を左へと向けた。眞清かと思ったら、更科だった。
「あれ? 大森一人?」
「おう」と頷くと「蘇我は?」と聞き返された。「いつも一緒じゃん?」と言われて「図書室」と応じる。あたしの前の席の更科は、自分の席に腰を下ろした。
 壁に背中を預けたままのあたしに更科は言葉を続けた。話し相手になってくれるっぽい。
「蘇我と大森って仲いいよな。中学一緒なんだっけ?」
「ああ。ついでに幼馴染みなんだ」
 一緒の中学っていっても、同じ中学に通ったのは半年くらいで、幼馴染みっていっても、過ごした時間は合計して五、六年ってところだけど。
「え? あ、そうなんだ」
「はぁん」となんとも言い難い声をあげる更科。
「で、別に付き合っちゃいない、と」
「そうだな」
 あたしは首を縦に振る。「そぉか」と更科が頷いた。そういえば前にも「付き合ってるの?」とか訊かれたな。…誰に訊かれたんだっけ? ちょっと考える。
「なぁ」
「お? あ、わり。なんだ?」
 ちょっとばかり考えてたら、更科に呼ばれてたのに反応が遅れた。
「大森って、内川さんと仲いい?」
「春那ちゃん? うん」
 内川さんが誰か一瞬わからなかった。春那ちゃんは内川だった、そういえば。
「内川さんってカレシいるか知ってる?」
「…え」
 更科の言葉に瞬いた。自分の中で更科の言葉を繰り返して視線を向ける。
「…いない、んじゃないか? ――少なくてもあたしは知らないけど」
 あたしがちょっと間を置きつつ答えると「ナルホドね」と更科は少し笑った。春那ちゃんにカレシがいなくて笑う――嬉しいなら、つまり。
(コイツ…春那ちゃんが好きなのか?)
 他人のそういうハナシは、全然わからない。
(益美ちゃんは詳しそうだ)
 一人、そんなことを思う。
 ガラッとまた、戸の開く音がした。今度は眞清だった。
「おかえり」
 眞清がいつもの表情で「お待たせしました」と言う。
「更科は誰か待ち?」
「あ? …あぁ、まぁ」
「じゃあ、お先」とあたしは立ち上がった。「また明日な」とカバンを背負う。
「それじゃあ」
 眞清も更科に言って、教室を後にした。

「眞清、春那ちゃんに彼氏がいるかどうかなんて知ってるか?」
「…なんですか、突然」
 学校から駅までは大体十分。…かからない。
 九月下旬とはいっても、ホームに出ると日光が厳しいから、一応日陰になってる待合室で電車が来るのを待つ。
「そう、更科に訊かれた」
「…知りませんよ、僕は」
 淡々と答えた眞清に「そぉか」とあたしは時計を見上げる。
 丸い時計は駅員がいる窓口の上にかけてあった。時刻表はホームへ向かう戸の上に。
 両方を見比べて確認すれば…そろそろ、電車が来る時間だ。
 そんなことを思っていたら警報が鳴り始める。あたしと眞清、それから待合室にいた五人ぐらいがホームに移動を始めた。
 進行方向と逆のほう…待合室から遠いほうのドアを目指す。
 後ろの車両のほうが空いている割合が高い。
 座りたいっていうよりは、知らない誰かにあんまり背中を晒したくなくて空いてるの車両を好んだ。後ろの車輛のほうが空いてるって教えてくれたのは、眞清だ。
 豊里駅が最寄りの高校は二校ある。
 けど、学校が終わって即行帰ろうと思うと今の電車より前の電車で帰れた。
 今日の電車は豊里より南の学校の学生が、即行帰ると乗る時間の電車だったらしく、いつもに比べると人が多かった。いつもだと立ってる客は数える程度しかいないが、今日は結構いる。
 端っこに行きたい、とか思うが端っこ…とりあえず背中を預けられるような場所が空いていない。リュックを背負ってるから、いいっちゃいいんだが――あたしは一つ、息を吐き出した。
 まぁ、途中の小高駅で降りるだろう、とも予測する。いつも、小高で電車の中の客は結構減った。
 あたしの斜め後ろくらいに眞清が立つ。
 少し振り返って確かめると、目が合った。眞清はいつものように、笑う。

(――ああ)
 何度も、何度も思う。眞清がいて、よかった、と。
 中学の時は…日本コッチに来てからは、一人で立っていたはずなのに。
 ――眞清に気付かれるまで、一人で『背中』のことを考えていたはずなのに。

 これはある意味、弱くなった証拠なんだろうか。
 そうだとしたら…ダメだなぁ。
(眞清に甘えっぱなし、ってことだもんな)
 一人で立つこと。それは――当り前のこと。
(眞清に甘えてばっかいないで…)
 自分で、自分一人で――立てるように、ならないと。
 そう思う。――そう思うんだけど。
 吊革に掴まって、瞳を閉じる。
 ざわめき。誰かの声、会話。――『誰か』が、自分の背後にいる状態。
 …だけど。
 目を開いた。足元を見下ろすと、斜め後ろに眞清の靴が見える。
 見えなくても…なんとなく、わかる。
 安心感。安定感。…眞清が、傍にいるっていうこと。
 ――眞清が、傍にいるから。いてくれるから『大丈夫』だと、思う。思える。
(どーすりゃあいいかな…)
 眞清に甘えてばっかじゃダメだな、って頭ではわかってんだけど。そのつもりなんだけど。自分から眞清に「背中にならなくていい」って、今すぐには言えなさそうだ。
「克己」
 小高の前の駅、八代町に到着すると、壁側が空いた。
 眞清が空いたその場所を示す。
「ん」
 壁に背中を預けて、眞清と並んだ。眞清とは、視線の高さが同じだ。
「今日は何借りたんだ?」
「本です」
「…いくらあたしでもそれは言われなくてもわかるぞ」
「そうですか?」と眞清が空っとぼける。――この野郎。
 思わず裏手で腹を殴った。(もちろん軽く)「痛いですよ」と眞清は腹を撫でる。
「――別に、調子が悪いわけではないですね」
「へ?」
 呟きの内容は聞こえた。…でも、聞き返してしまった。
「若干肩が落ちているように見えたんです」
「……」
 ――そんなに、肩が下がっていたんだろうか。
「「自分ダメだな」って思ってただけだ」
「…?」
 眞清が瞬いたのがわかった。あたしは、ちょっと笑う。苦笑っぽくなってしまったかもしれない。
「ごめんな」と声にしないで呟いた。眞清に届いたのか「克己?」と名を呼ばれる。
 ――あぁ、眞清と再会して一年以上になるのか、と今更気づく。
 もう、一年か。――まだ、一年か。判断しかねるが。

 ちゃんと、一人でいられるように。
『僕が克己の背中になりますよ』
 ――眞清の言葉に甘えたままでいないように。
 ならないといけない、と思う。
 いつか…できることなら、そう遠くない未来いつか。一人で、立てるように。
「もうちょっと、頼むわ」
「…?」
 眞清が瞬いた。わからなくていいと思う。…伝わればいいとも、思う。
「…わかりました」
 眞清に伝わったのか伝わらなかったのか、あたしにはわからなかった。
 …けど、眞清はそう言って――いつもみたいに笑ったから。
「ヨロシク」
 あたしは眞清の肩に手を置いた。
「改まった克己なんて変ですね」
「…ケンカ売ってるか、眞清」
「まさか」
 置いた手でバシバシ肩を叩く。「痛いですよ」と言う眞清を無視してまだ叩く。
「なーんであのまま成長しなかったんだ、眞清」
 定期入れに入ってる写真を思って呟いた。
「…克己こそ、喧嘩売ってますか」
「誰が売るか」
 眞清にケンカ売るなんて、そんな面倒くさそうなことしたくない。
(敵に回したら…)
 ――想像したくない。と、思った。
 それだけ、眞清が傍にいるっていう現状いまが、心地いい証なのかもしれないけど。

 
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