「テスト終了…っ!!」
あたしは思いっきり背伸びした。
テストは嫌だが、この解放感はいいな。
「結果は?」
「知らん」
更科に答える。「そういう更科はどうなんだ」と切り返すと「同じく」と苦笑した。
「数学の最後の文章問題とか、わけわかんなかった」
「あー…確かに」
文章問題は、苦手だ。暗記科目も得意じゃない。国語も苦手だ。
…あたしの得意教科ってなんだ…? まさか、ナシ?
そんなことを思ってひとつ溜息をついてしまった。
「? 大森、暗いな」
「いや、あたしの得意科目ってなんだ? って思ったら「ないなぁ」とか思って」
更科はしばらくの間をおいて「あぁ」と言った。
思わず「「あぁ」ってなんだソレ」と言い返す。
「そんなことねぇよ、とか言えるほど大森の成績知らねぇし」
「そりゃあそうだな」
知られててもビックリだ。
「眞清はどうだった?」
視線だけ後ろに向けて問いかけた。眞清は「いつも通りですかね」と答える。
「あー、そーか」
眞清の「いつも通り」は、あたしからすれば大抵「いいほう」だ。
隣の春那ちゃんにも「春那ちゃんの調子はどう?」とか訊いてみる。
「…数学は全部うまったけど…」
「うわ、ホント?」
春那ちゃんはこっくりと首を縦に振った。
まぁ、ウソついたってしょうがないだろうけど。それにしたってスゴイな。
最後の文章問題もうめられたのが。
そもそも問題の意味もあたしは理解できなかったってハナシだったり。
今回大丈夫そうなのは…英語のリスニングテストくらいか?
英語圏にいたから、聞き取りに関しては大丈夫だと思うんだが。
春那ちゃんとしばらく雑談する。
「なぁ、大森」
「んぁ?」
春那ちゃんとの雑談が途切れると、更科に呼びかけられて視線を向けた。更科は「ちょっと耳貸せ」と指先をくいくいと動かす。「なんだ?」と体を前のめりにした。
「ちょっと、相談があんだけどさ」
「…? あたしに?」
「そ、大森に」
更科に相談されるほど、あたし信頼されてんのか?
まぁ、名指しなんだから応じるか、と「なんだ」と繰り返す。
「今すぐじゃなくて…そうだな。どっかで、時間ねぇ?」
今すぐじゃない、相談?
「今日の放課後とかでもいいのか?」と切り返すと更科は「ああ」と首を縦に振った。「別にいいけど」と言えば更科は「おっしゃ」って、なんか、ほっとしたような表情を見せた。
「じゃ、放課後な」
「おー」
放課後っつっても、ホームルームやればもう、放課後だ。
「眞清」
「はい?」
もしかしたら聞こえたかもしれないけど、あたしは眞清に言った。
「なんか更科がハナシあるってから、ちょっと帰るの遅くなるわ」
「はい」
「…なんなら、先に帰っていいからな?」
一人に、慣れなきゃな、と思う。
ずっと、眞清に『背中』になっていてもらうのは…ダメだと。
眞清が瞬いた。ふわりと、笑う。
「勝手に、待ってますよ」
「――」
あぁホント、眞清ってイイヤツだなぁ…。
「ありがとな」と口の中だけで呟いた。
「はい、ホームルーム始めますよー」
担任の松坂さんの声が教室に響く。あたしは前に向き直った。
「相談って?」
テスト明け――部活やら遊びに行くやら、で教室内は割とさっさと人がいなくなる。まだ、何人か雑談してるヤツもいるけど。
眞清は図書室に行った。
あたしが声をかけると更科はきょろりと教室内を見渡した。
「あんま人に聞かれたくない」と言われて、瞬く。教室内にはまだ人がいる。
あたしはしばらく考えた。
人に聞かれたくないハナシ、ねぇ…。
(あんまヒトが来ねぇトコロっていうと…)
ちょっと考える。
――ひとつ、思い当たる場所があった。あまり気分のいい場所ではないのだが。
「更科はどっか、人が来なさそうな場所知ってるか?」
「…正直、思いつかない」
更科の答えを聞きながらあたしはひとつ息を吐き出す。しょうがねぇか、と思いつつ。
「じゃ、行くか」
カバンを背負って立ちあがった。直接背中を晒すことは未だに苦手だ。基本的にしたくない。
体育の授業とか、カバンを背負えないこともあるんだけど…そういう時以外は、信頼できる『誰か』がいない限り背中を晒そうとは思わない。思えない。
…その『誰か』も、片手で足りる程度しかいないんだけど。
「え? あ、ああ」
更科もカバンを持って立ち上げる。
人が来ない場所――使われていない机やら椅子やらが置いてある、体育館傍のプレハブへと向かった。
プレハブは、ムカつく野郎の記憶が残る場所だ。
三年の、モヤシ野郎。
美術部(一年で、違うクラス)のつばきちゃんを襲おうとする…なんていう最低行為を働こうとした、場所。
思いだしたらイラッとして、我知らず舌打ちしていた。
「…大森? どした?」
更科に声をかけられて、はっとする。
「あ?」
「舌打ち」
そんなにオレがムカつくか、と続いて「違う」と否定する。
「ムカつくこと思いだしただけ」
更科にムカつくわけではない、とも続けた。
プレハブの戸を、一応ノックする。多分誰もいないとは思うんだが。誰かいてもいいように。
一、二、三…とちょっと間をおいて、扉を開けた。
相変わらず人の出入りは多くないんだろう。若干暑く、空気が淀んでいる。
「…誰も来なそうだけど、ちょっと暑いな」
テストが終わった、十月の始め。
十月には入ったが「残暑っていつまで続くんだ」っていうくらいに、暑い。さすがに夏休み中並の暑さにはならないが。
あたしは「ここでもいいか?」と更科に振り返った。更科は「確かに暑いな」と呟く。
「あ」
「…あ?」
声をあげた更科にあたしは首を傾げた。
「生物室に上がってく階段…あっこ、結構涼しくないか?」
「生物室に上がってく…? あぁ、あっこか」
脳裏に思い描いて、頷く。ここよりは暑くなさそうなことは確かだ。
「じゃあソッチ行くか…」
暑さに襟元からバサバサと空気を送る。今日は七分袖の赤紫っぽいTシャツを着ていた。
これから夕方になってくし、少しは涼しくなればいいな。こっそりそんなことを思いつつ、更科とは、多分相談と関係ない雑談をしつつ足を進める。
生物室に上がっていく階段の途中で止まった。
窓はあるが、日差しの差し込む方向ではないから明るいだけだ。
まぁ、いくらなんでも窓にくっついてれば暑そうだが。
あたしは踊り場の階段に背中を預けた。カバンは背負ったままだ。
「ここでいいか?」
更科は階段の上と下を見渡した。誰もいない。
あたしの問いかけに「ああ」と頷いて、「ちょっと座らないか?」と更科が階段を示す。
更科の提案に踊り場から一段間を置いて腰を下ろした。
壁に背を預けてると不自然な格好になるから、カバンを背負ったまま、右肩を壁にくっつけて座る。当たった腕の部分がひやりと気持ちいい。
更科もあたしの隣に腰を下ろした。足元を見ていた更科が顔を上げる。目が合った。
「…相談って?」
あたしは切り出す。
瞬く更科。――結構更科はハキハキ喋るほうだと思うんだが今はなんか、口が重い。なかなか開かない。もう一度目を伏せて…顔を上げて、目が合う。
「――…」
あたしは、更科の目を知っている気がした。…いや、更科の目じゃないかもしれない。
(誰、か…)
誰かが、今の更科みたいな目であたしを見ていた…気がした。
「大森、さ」ようやく口を開いた更科に「ああ」と頷く。
「オレから相談、とか言われて、ちょっと「え」ってなんなかった?」
「…まぁ」
更科の言葉にあたしは少し考えて、頷く。
「相談されるほど信頼されてたのか? とは思った」
「ははっ。はるほどね」
ちょっとだけ更科が笑った。
更科は指を組んだり、外したり、組みなおしたりしている。…指遊びか?
「ぶっちゃけ相談、ってか…話したいこと、だったんだけど」
「ああ」
なんとなく言い難そうにしている更科。あたしはただ、言葉の続きを待つ。
「大森が…好きっぽいんだ、オレ」
「ふぅん」
「………」
え、という顔で更科があたしを見る。今更ながらあたしは「え」と声を上げた。
「「ふぅん」って、大森…。軽いなぁ、おい」
「いや。…わり、ちょっと現実逃避?」
「現実逃避するほどイヤかよ」
更科が見るからに表情を暗くした。「違う」と声にして、首を横に振る。
『カツミが好きだよ』
――知ってるよ
何度も、繰り返された言葉。
『大好きだよ』
――わかってるよ
何度も何度も告げられた、思い。…想い。
あたしは、全然わかってなかった。
ぎゅっと、目を瞑って俯いた。
声は――今は遠い、友達のもの。
大切だった。…あたしが、裏切ってしまった。
――距離ばかりではなく、もう『会えない』と、思ってしまった。
「更科が言うのは、LOVEの、好きっぽさ?」
あたしの問いかけに「ああ」と肯定する更科。
背中が…わずかに軋んだ気がした。
――傷痕は、寒い日に痛む程度のはずなのに。その、ハズなのに。
「ごめん。…更科だからダメなんじゃなくて…」
意識しないまま、組んだ指を額に当てる。
「――更科が、ダメなんじゃなくて…」
『カツミ』
「あたしが、ダメなんだ」