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②握手
<視線>

「――大森?」
 呼びかけに目を開く。顔をあげると、更科があたしを見ていた。…心配してくれているのだと思える表情。
「…ありがとな」
 好きだと、あたしに告げたのは二人目だ。
 一人は、何度も何度も繰り返した。
 その言葉を、言葉の意味を、知っているつもりになっていた。わかっている気になっていた。
 …本当はわかってなかったら、結局は裏切るようなことになってしまった。泣かせてしまった。――さびしい、と言っていたのに。
「ごめん」と呟いた。
 繰り返そうとしたら、バッと目の前で手を広げられた。想定外で、一瞬息を呑む。
「また「ごめん」とか言うなよ?」
「…」
 なんでわかったんだ。
「オレが、言いたくなっただけだから…大森が、謝るようなことなんてねぇし」
 ふ、と更科は短く息を吐き出した。あたしのほうに広げていた手を、もう片方の手と一緒にぐっと伸ばす。
「別に、オレが嫌いっつーわけじゃないんだな?」
「…そうだな」
 好きとか嫌いとか、考えたこともなかった。
 そのまま言えば「そーかよ」と更科は苦笑を浮かべる。
「オレが勝手に好きっぽいだけで…なんか、言いたくなったら、言わせてもらっただけ」
 よし、と更科は何か気合いを入れる。
「握手」
 あたしは更科の発言に「あ?」と間抜けな声を上げてしまう。
「握手。友達だって、握手くらいするだろ?」
 よくわからんが、ひとまず左手を差し出した。ぐっと、握手をする。
 あたしの手は、別に小さいとは思わないんだが…更科の手のほうが、少し大きいような感じがした。

「大森は、彼氏がいるわけじゃないのか?」
「…そういうのは、いない」
 そもそもそういう感情が、今のあたしにはない。――怖いから。
「蘇我は、幼馴染みなんだっけ?」
 なんで眞清の名前が出てくるんだ? とか思ったんだがその通りだから頷いた。
「じゃあ…頭の隅っこに残しといてくれよ」
「…?」
「何を」と言う前にあたしの左手に、触れた。――更科の唇が、そっと。
「オレの、気持ち」
「………」
 そう言った更科と目が合った。多分、暑さばかりじゃなく――顔が赤い。
「…自分でやってて照れるなよ…」
 あたしは思わず呟いた。
「なっ! …悪かったな…っ」
「っつーか動揺しなさすぎだ、大森は」と唸るような更科に「慣れてる」と応じた。
 大抵頬にキスかハグだったけど――ヒトと触れるのは、結構慣れている。
 向こうの友達、仲が良くなった人。イク。父さん、母さん…レオン。
「慣れてんのかよっ」
 淡々と応じたあたしに対し、更科には激しく突っ込まれた。
「あー…こう見えて帰国子女だから」
 あまりの激しさにそう言えば「え゛っ」とびっくりされる。――そういえばあたしが外国帰りって言ったことないな。あえて言うような場面もないのか。
「…オレ的新事実…」
「ははっ」
 更科の様子に思わず笑う。手は未だ握られたまま。
「…とりあえず」
「ん?」
「――友達から、ってことで」
「あぁ、ヨロシクな」
 握られた手に力がこもった。軽く握り返す。

「目指すは、蘇我ポジションだから」
 聞こえた呟きに思わず「は?」と声を上げた。
「いっつも二人、一緒にいるじゃん? …幼馴染みにしたって、さ」
「…あぁ」
 ソレは――眞清がイイヤツだからだ。
 一応あたしが写真弱みってるから、でもあるけど…眞清が、優しいからだ。
「眞清は、特別だから」
『僕が克己の背中になりますよ』
 ――その言葉を、守ってくれているからだ。
「――でも、付き合っちゃいないんだろ?」
「ああ」
「…くっそー。オレも蘇我ポジションにしやがれ」
 あたしは「無理」と切り返す。「即答かよっ」と吼えられた。
「悪ぃな。今すぐってのは、考えられない」
 未だに、背中を晒すのは――怖いんだ。限られた人以外では。
「はっきりしてるなぁ…」
「こういう性格ヤツなんだ、あたしは」
「…ああ」
 手が、離れた。熱が離れる。
「もっと、大森のこと知りたいって思ったよ」
「――そうか」
「変なヤツ」と思っただけのつもりだったんだが、「さっきからオレに対してひどいな大森!」と更科に言われた。口に出してしまっていたらしい。
 立ち上がる更科にあたしも続く。ひとまず、更科の相談…話は、終わりらしい。

「…てっきり更科は春那ちゃんが好きなんだと思ったぞ、あたしは」
「――は? 内川さん?」
 言葉はなかったが、「なんで」と顔に書いてある。
「この前、春那ちゃんに彼氏がいるかどうか知ってるか、って言うから」
「あぁ、あれは…オレじゃねぇよ。別のヤツが、内川さんに惚れてるっぽいだけで」
「オレは」と更科は階段を降りた。あたしも階段を降りる。
 眞清の靴をチェックしようと思った。もしかしたら、眞清は昇降口にいるかもしれないし。
「大森と話すネタで、振っただけ」
 あたしは「ふぅん」と頷くと階段を降り切った。「やっぱ大森、軽っ!」と更科が苦笑する。
「…なんだよ、どんな反応期待してんだ」
「いや、別に」
 昇降口に着く。生物室のほうから来れば、まずは三年の靴箱だ。
「大森は、即帰んの?」
「? いや」
 ウチのクラスの靴箱に、眞清の姿はなかった。
 教室か、図書室か。まぁ、このどっちかだろう。
「ひとまず眞清探し」
「…そうかよ」
 更科はそう言いつつ、隣に並んだ。カバンを背負ってても、なんとなく気を張ってるのは変わらない。
「蘇我にせんせーふこくかな、ちくしょう…」
「せんせーふこく」の意味がよくわからなくて、思わず首を傾げる。
「…大森の特別、なんてさ。ずりぃな、幼馴染み」
 ――幼馴染みだから、ってだけじゃないんだが。
 あたしは笑うくらいしかできない。
「ってか帰国子女で幼馴染みってどーゆーカンジなんだ?」
 更科の問いかけに答えつつ、まずは教室に向かった。

※ ※ ※

 眞清は教室にいた。
 チャリ通学の更科。あたしの記憶が正しければいつも駅とは逆方向にむかってた気がしたんだが、今日は何故か一緒に駅まで向かった。
 駅に到着すると「じゃ、バイトだから」と線路沿いの道を走っていく。
「更科、バイトなんてしてたんだな」
 あたしがしばらく背中を見送りつつ言えば「そうですね」と眞清も頷く。
 電車を待っている間に、なんとなく眞清を見た。…正確には、その手を。
「眞清」
「はい?」
 あたしの声に、眞清が視線を向ける。手を差し出すと、不思議そうな顔をした。
 更科に言われた時…あたしもこんな顔してたのかな。
「握手」
「…はい?」
 眞清は瞬いた。瞳に宿るのは、「何故」という感情か。でも結局、眞清は右手を差し出した。
 握手しながら、眞清の手を確認する。握っていた手を一度放した。その後、右手の下のほうで合わせて、眞清の左手と大きさを比べる。
「…なんだ、眞清って案外手が大きいんだな」
 それとも、あたしが思ってるよりあたしの手は大きくもないのか?
「――案外ってなんですか」
「そのままの意味」
 関節一つ…まではいかないかもしれないが、関節半分くらいの差があった。
 更科のほうが、もう少し肉厚な感じの手だったかな、と思う。眞清の手は…ってか、指が長く思える。手と指のバランスがいいのか、キレイな手だな、と思った。
「…手フェチにでも目覚めましたか?」
「あ? 別に、そうじゃない」
 なんだよ手フェチって。そう思ったらちょっと笑えた。
 手のひらに感じる、自分のものではない熱。
「お、電車来たか?」
 カンカンカン、という警報音に手を外した。
 ――外す時、眞清の指が、一瞬絡まった気がした。
 本当に、一瞬。絡まったってか、当たっただけか。
 あたしは眞清へと視線を向ける。眞清と目が合った。
 微笑んでいるような印象の、穏やかそうな顔。
 そんな、眞清の――瞳。
(…あ、れ…)
 真っ直ぐな瞳。あたしと合った、目。――あたしを見る、瞳。

 なんでか、更科の目を思った。
 …いや、逆か。
 更科の目を見た時に思った『誰か』の目が…眞清の目だったのか。

 あたしを見る、目。数度瞬いているうちに、胡散臭いとも思える笑みの――いつもの眞清になる。なった、気がする。
 多分、時間にすれば一分にもならない。
 …なのに何故か、長く思えた。
「電車、来ますよ」
「…ああ」
 進行方向の後ろのほうが、電車は空いている。だからいつも、電車は後ろの車両に乗る。
 あたしは歩き出した。眞清も、歩き出す。
 ――あたしの背中になる、と言った眞清。斜め後ろの存在。
 あたしはさっきまで考えていたことを放り投げた。
 更科は更科。眞清は、眞清。――その瞳は、全然違うと。

『カツミ』
 …レオンとは、違うと。

 
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