TOP
 

③暴露
<帰り道>

「はよ、大森」
「あぁ、おはよ」
 更科にあたしも応じた。
 いつも更科のほうが教室に来るのが遅い。

 テストが終わって――更科に、相談と言われつつ『好きっぽい』と言われて、一週間。
 テストは全教科帰ってきた。
 予想通りというかなんと言うか、数学の最後の文章問題はバツで、英語のリスニングは完ぺきだった。
 声をかけてくる更科は相変わらずの態度だ。…まぁ、態度が変わる必要もないんだが。

 なんでか…一時期からあんまり見なくなった夢を、また見るようになった。
 あたしを呼ぶ、レオンの夢。――泣いている、レオンの夢。
 ――時々、背中が痛む気がする。
 あの瞬間を、夢で見るわけではないのに。

 挨拶ついでに更科と雑談をする。
 話しながら「大丈夫」と自分に言い聞かせた。
 …自分の中に広がるもやもやしたような感情ナニかがわからないまま…それでも、「大丈夫」だと、自分自身で繰り返す。
 大丈夫。大丈夫。…大丈夫。
 更科と雑談して、笑って――目が合った。
 更科の瞳に映る、自分。…その瞳に見える気がする、ナニか。
「――」
 姿形は、全然似てない。
 更科は黒髪で、短くてストレート。レオンは、緩やかなウェーブの金髪。
 更科の目は、ちょっと茶色っぽい。レオンは――青い目だった。
 身長は似たようなものかもしれないが…バスケ部の更科のほうが、レオンよりもがっしりした体格のような気がする。
 二人は、全然似てない。
 ――なのに、更科とレオンと…重なる。

「ホームルームを始めますよー」
 松坂さんの呑気な声が教室に響いた。前の席の更科が、前を向く。
 細く息を吐き出した。――背中が引きつるように痛んだ気がする。
 気のせいだ、と自分に言い聞かせた。…レオンと更科は、違うと。
 指を組んで、額を押し付けた。
(…誰かに好きになってもらえるなんて、いいことじゃん)
 そう思う。頭では、そう思うんだけど。
 ――どうしても、『怖い』という思いが先立つ。
(まさか『好きっぽい』なんて…言われるなんてな…)
 あたしはまた、息を吐き出した。
 ――眞清の視線が前を向いて…あたしを見ていたことには、気づいていなかった。

※ ※ ※

「…克己」
「お?」
 いつもより低めのトーンの声。眞清の呼びかけにあたしは首を傾げた。
「なんだ?」
 今は、帰りの電車の中。
 今日はいい時間だったみたいで、人が少ない。壁に背中を預けて立っていられる。

「何に、ビビっているんですか?」
「――あ?」
 問いかけにあたしは瞬いた。なんか前にも似たようなこと、言われた気がした。
 …似たようなこと、ってか…。
(中学の時)
 眞清に同じような口調感じで訊かれた気がした。あれから…もう、半年以上か? 冬だったもんな。
(寒い時は背中が引きつるんだよな…)
 中学の時、真清に階段の壁に押し付けられたことを思いだす。冷たい壁は、傷痕に堪えた。
 そーいえばあん時の眞清はちっとヤなカンジだったよなぁ…。
 一人、そんなことを思っていると、眞清は「克己」と繰り返した。いつもより低めのトーンの声に、ちょっと飛びかけてた自分の意識を戻す。
「…なんだ?」
「――同じことを何度も言わせたいですか?」
「――…」
 あたしは瞬いた。
『何に、ビビっているんですか?』
 眞清の言葉を、あたしの中で繰り返す。苦笑した。
「…いつ?」
 今は別に、ビビるようなことはない。人は少ないし、壁に背中当ててるし。
「学校で、です」
 最寄り駅、和山に到着する。
 あたしと眞清と、ホームに降りた。和山もそこそこに、人が降りる。
 まばらな人波と同じように、階段を上って、下りて、改札口を出る。
 電話ボックスを視界の隅に見ながら、歩き出した。
 駅から家までは歩いて十五分くらいか。
(…学校で、ビビってる?)
 眞清の問いかけの意味を考える。
 考えて…一つ、思い当たった。
「…ビビってる、か?」
「――僕には、そう見えます」
 眞清の言葉に、あたしはまた苦笑した。
 更科と雑談とかしてて…自分で「大丈夫」って言い聞かしてる時点で、変な緊張でもしてるんだろうか。眞清にバレる程度には。
「ビビってるってか…」
 あたしは歩きながら口を開いた。考えて、言葉を選ぶ。
「――まぁ、ビビってるっていうことになるのか、な」
『好き』という感情が、怖いと思ってしまう。…『好き』だと思われるのが、怖いと。
「更科にですか」
 ソコまでわかるのか。――ってか、そんなにあたし態度丸出しなのか。「そう見えるか?」って切り返すと「そう、思えます」と眞清は短く応じた。
「――…」
 それは、眞清がずっと背中でいてくれれるからなのか。
 あたしは一つため息をついた。
「よく見てんな」
「…肯定ですね」
 そこであたしはただ、笑う。これもまた、眞清の言葉を認めることになるのかもしれないが。
「――更科が悪いワケじゃないんだ」
 何か考えるような顔つきになった眞清に、あたしは言った。
「あたしが」
 ――あたしの、心の持ちようが。…好きだと思われるのが怖い、なんて思ってしまう心が。
「…どうにもできないだけで」
「…――」
 眞清が何か言いたそうな顔をした。だけど結局口は開かずに、歩く。
 あたしと眞清の家はいくらか小高い場所にあって、家に向かうにはしばらく坂を登る。
 帰りのこの坂を思うとチャリより歩きのが楽だと思って、歩くとは言っても十五分くらいだし、駅には歩いて通っていた。緩やかな登り道もあるけど、ソッチだと若干遠回りになるんだよな。
 吹く風に目を細める。
 十月ともなれば、やっぱ過ごしやすい。昼間はたまに「今って十月だよな?」ってくらい暑いときもあるんだけど。

「余計な詮索だとは思うんですが」
「…?」
 もう少しまっすぐ行って、昔はため池だった…今は畑になっている…角を曲がれば『軽い森』とか言われたことがあるらしい、眞清の家の庭の木が見える。
 あたしの家はその、更に奥だ。隣だけど。
「――背中と、関係あるんですか」
 眞清の問いかけに、あたしは瞬いた。
 この道には歩道が右側…駅に向かうとき、と考えると左側…しかない。
 結構な勢いで車が走った。車が起こした風が頬を撫でて、眞清の髪を揺らした。
「……」
 眞清の問いかけの答えは――YESだ。

 車が通っていないのに、道を渡れない。なんでか体がうまく動かない。
「――克己…?」
 同じ高さの視線。真っ直ぐに、あたしを見る眞清。

『カツミ』
 急に背が伸びて、あたしの背を追い越して、それでもなお…まるで、覗き込むように不安そうにあたしを見た。
 覗き込もうように、不安そうに…それでもじっと、あたしを見た。
 ――レオン。

「克己」
 呼ばれて、眞清に肩を掴まれる。
 はっとした。
「…わり。ちょっと、ぼーっとした」
 あたしは自分で前髪を掴んだ。車は来ない。渡るなら、今か。
「克己!」
 今度は半ば叫ばれた。なんだよ、と思いながらあたしの両肩を掴んだ眞清に振り返ると、唸るような音がしてバイクが走り去った。
「…あれ」
 バイクを見落としていたらしい。今度こそ、渡れるか。
「――行きましょう」
 どうやら、眞清を心配させてしまったらしい。左肩を掴まれ、背中に手を添えられたまま道路を渡る。
「ありがと、な」
 道路を渡りきると肩を掴んでいた手は外れたけど、背中に添えられた手はそのままだった。そんなに心配させたのか。ってか、「やっぱ眞清は何気に優しいよなぁ」なんてことを思う。
 そういえば、何かのハナシの途中だったよな。何のハナシをしてたんだったか…。
 ぼんやり考えたあたしはまた、眞清の呼びかけに反応するのが遅れた。
 気づけばもう、眞清の家の庭沿いにまで来ていた。眞清の家の周りには塀がない。
『軽い森』とか言われるのが納得できてしまいそうな程度には、木やら植物やらがあった。あたしには全く、ドレがなんだかわからないが。
 眞清の家の庭には常緑樹が多いのか、年間通して緑に囲まれている印象が強い。
「克己」
 繰り返し、あたしを呼ぶ眞清。
「なんだ」と答えると、眞清は言葉を続けた。
「――前のように、言ってもいいと思えたら…教えてください」
「……」

『前のように』という眞清の言葉に、あたしは瞬く。
(…あぁ、そうか)
 前に――眞清に、『何ビビってんですか』とか言われたのは中学の時。…背後に誰かがいるとビビってるっていうのがバレて、その理由を問いかけられたのは、冬だった。
 でも、眞清の問いかけにあたしが答えたのは、卒業式の終わった後――春で、かなりの間があった。
 けど眞清は――眞清のほうからは繰り返して問いかけてくることも、なかった。
 あたしが言いだすまで。
(ホント…)
 イイヤツだ。優しいヤツだ。
 ――たまに、胡散臭いカンジがしたりするけど。
 そんなの、眞清の一部で…その部分よりも、ずっと多くを占める優しさ。
「――あぁ」
 いつか。…言えるだろうか。
 いつか、眞清に――。
「努力する」
「努力ですか」
 眞清が少し笑った。ちょっとばかり、苦笑めいた笑み。
「なんか…ホラ、あるじゃん」
 あたしがそう言えば「何がですか」と短い切り返し。
「小さなことでも大きいことにつながる…みたいな言葉」
 眞清は少しばかり目を細めた。考えて、考えて…。
「千里の道も一歩から、ですか?」
「そう! …多分」
 多分、ソレ。とあたしは首を傾げる。
「自信がないんですか」
 眞清はまた、苦笑を見せる。
「日本語は眞清のほうが得意だろ」とあたしは右手で眞清を示す。眞清はいっぱい本読むし。
「…まぁ、克己よりは」
「だろ?」
 頷いてから「ん?」と思う。若干ケンカを売られた気がした。
 …まぁ、眞清の言う通りなわけだが。

「それじゃあ…」
 眞清が少しだけ手を上げる。
「ああ」とあたしもまた、軽く手を上げて応じる。
「また明日、な」
「はい」
 あたしは自分の家へ向かう。っつったって、家に入るのに一分もかからないけど。
 門に手をかけて、視界の隅の存在に気づいた。
 ――眞清がまだ、立って見ていた。
 珍しい。あたしはそう思いながらも手を上げる。眞清もまた、手を上げた。

 
TOP