「はよ、大森」
「あぁ、おはよ」
更科にあたしも応じた。
いつも更科のほうが教室に来るのが遅い。
テストが終わって――更科に、相談と言われつつ『好きっぽい』と言われて、一週間。
テストは全教科帰ってきた。
予想通りというかなんと言うか、数学の最後の文章問題はバツで、英語のリスニングは完ぺきだった。
声をかけてくる更科は相変わらずの態度だ。…まぁ、態度が変わる必要もないんだが。
なんでか…一時期からあんまり見なくなった夢を、また見るようになった。
あたしを呼ぶ、レオンの夢。――泣いている、レオンの夢。
――時々、背中が痛む気がする。
あの瞬間を、夢で見るわけではないのに。
挨拶ついでに更科と雑談をする。
話しながら「大丈夫」と自分に言い聞かせた。
…自分の中に広がるもやもやしたような感情がわからないまま…それでも、「大丈夫」だと、自分自身で繰り返す。
大丈夫。大丈夫。…大丈夫。
更科と雑談して、笑って――目が合った。
更科の瞳に映る、自分。…その瞳に見える気がする、ナニか。
「――」
姿形は、全然似てない。
更科は黒髪で、短くてストレート。レオンは、緩やかなウェーブの金髪。
更科の目は、ちょっと茶色っぽい。レオンは――青い目だった。
身長は似たようなものかもしれないが…バスケ部の更科のほうが、レオンよりもがっしりした体格のような気がする。
二人は、全然似てない。
――なのに、更科とレオンと…重なる。
「ホームルームを始めますよー」
松坂さんの呑気な声が教室に響いた。前の席の更科が、前を向く。
細く息を吐き出した。――背中が引きつるように痛んだ気がする。
気のせいだ、と自分に言い聞かせた。…レオンと更科は、違うと。
指を組んで、額を押し付けた。
(…誰かに好きになってもらえるなんて、いいことじゃん)
そう思う。頭では、そう思うんだけど。
――どうしても、『怖い』という思いが先立つ。
(まさか『好きっぽい』なんて…言われるなんてな…)
あたしはまた、息を吐き出した。
――眞清の視線が前を向いて…あたしを見ていたことには、気づいていなかった。
※ ※ ※
「…克己」
「お?」
いつもより低めのトーンの声。眞清の呼びかけにあたしは首を傾げた。
「なんだ?」
今は、帰りの電車の中。
今日はいい時間だったみたいで、人が少ない。壁に背中を預けて立っていられる。
「何に、ビビっているんですか?」
「――あ?」
問いかけにあたしは瞬いた。なんか前にも似たようなこと、言われた気がした。
…似たようなこと、ってか…。
(中学の時)
眞清に同じような口調で訊かれた気がした。あれから…もう、半年以上か? 冬だったもんな。
(寒い時は背中が引きつるんだよな…)
中学の時、真清に階段の壁に押し付けられたことを思いだす。冷たい壁は、傷痕に堪えた。
そーいえばあん時の眞清はちっとヤなカンジだったよなぁ…。
一人、そんなことを思っていると、眞清は「克己」と繰り返した。いつもより低めのトーンの声に、ちょっと飛びかけてた自分の意識を戻す。
「…なんだ?」
「――同じことを何度も言わせたいですか?」
「――…」
あたしは瞬いた。
『何に、ビビっているんですか?』
眞清の言葉を、あたしの中で繰り返す。苦笑した。
「…いつ?」
今は別に、ビビるようなことはない。人は少ないし、壁に背中当ててるし。
「学校で、です」
最寄り駅、和山に到着する。
あたしと眞清と、ホームに降りた。和山もそこそこに、人が降りる。
まばらな人波と同じように、階段を上って、下りて、改札口を出る。
電話ボックスを視界の隅に見ながら、歩き出した。
駅から家までは歩いて十五分くらいか。
(…学校で、ビビってる?)
眞清の問いかけの意味を考える。
考えて…一つ、思い当たった。
「…ビビってる、か?」
「――僕には、そう見えます」
眞清の言葉に、あたしはまた苦笑した。
更科と雑談とかしてて…自分で「大丈夫」って言い聞かしてる時点で、変な緊張でもしてるんだろうか。眞清にバレる程度には。
「ビビってるってか…」
あたしは歩きながら口を開いた。考えて、言葉を選ぶ。
「――まぁ、ビビってるっていうことになるのか、な」
『好き』という感情が、怖いと思ってしまう。…『好き』だと思われるのが、怖いと。
「更科にですか」
ソコまでわかるのか。――ってか、そんなにあたし態度丸出しなのか。「そう見えるか?」って切り返すと「そう、思えます」と眞清は短く応じた。
「――…」
それは、眞清がずっと背中でいてくれれるからなのか。
あたしは一つため息をついた。
「よく見てんな」
「…肯定ですね」
そこであたしはただ、笑う。これもまた、眞清の言葉を認めることになるのかもしれないが。
「――更科が悪いワケじゃないんだ」
何か考えるような顔つきになった眞清に、あたしは言った。
「あたしが」
――あたしの、心の持ちようが。…好きだと思われるのが怖い、なんて思ってしまう心が。
「…どうにもできないだけで」
「…――」
眞清が何か言いたそうな顔をした。だけど結局口は開かずに、歩く。
あたしと眞清の家はいくらか小高い場所にあって、家に向かうにはしばらく坂を登る。
帰りのこの坂を思うとチャリより歩きのが楽だと思って、歩くとは言っても十五分くらいだし、駅には歩いて通っていた。緩やかな登り道もあるけど、ソッチだと若干遠回りになるんだよな。
吹く風に目を細める。
十月ともなれば、やっぱ過ごしやすい。昼間はたまに「今って十月だよな?」ってくらい暑いときもあるんだけど。
「余計な詮索だとは思うんですが」
「…?」
もう少しまっすぐ行って、昔はため池だった…今は畑になっている…角を曲がれば『軽い森』とか言われたことがあるらしい、眞清の家の庭の木が見える。
あたしの家はその、更に奥だ。隣だけど。
「――背中と、関係あるんですか」
眞清の問いかけに、あたしは瞬いた。
この道には歩道が右側…駅に向かうとき、と考えると左側…しかない。
結構な勢いで車が走った。車が起こした風が頬を撫でて、眞清の髪を揺らした。
「……」
眞清の問いかけの答えは――YESだ。
車が通っていないのに、道を渡れない。なんでか体がうまく動かない。
「――克己…?」
同じ高さの視線。真っ直ぐに、あたしを見る眞清。
『カツミ』
急に背が伸びて、あたしの背を追い越して、それでもなお…まるで、覗き込むように不安そうにあたしを見た。
覗き込もうように、不安そうに…それでもじっと、あたしを見た。
――レオン。
「克己」
呼ばれて、眞清に肩を掴まれる。
はっとした。
「…わり。ちょっと、ぼーっとした」
あたしは自分で前髪を掴んだ。車は来ない。渡るなら、今か。
「克己!」
今度は半ば叫ばれた。なんだよ、と思いながらあたしの両肩を掴んだ眞清に振り返ると、唸るような音がしてバイクが走り去った。
「…あれ」
バイクを見落としていたらしい。今度こそ、渡れるか。
「――行きましょう」
どうやら、眞清を心配させてしまったらしい。左肩を掴まれ、背中に手を添えられたまま道路を渡る。
「ありがと、な」
道路を渡りきると肩を掴んでいた手は外れたけど、背中に添えられた手はそのままだった。そんなに心配させたのか。ってか、「やっぱ眞清は何気に優しいよなぁ」なんてことを思う。
そういえば、何かのハナシの途中だったよな。何のハナシをしてたんだったか…。
ぼんやり考えたあたしはまた、眞清の呼びかけに反応するのが遅れた。
気づけばもう、眞清の家の庭沿いにまで来ていた。眞清の家の周りには塀がない。
『軽い森』とか言われるのが納得できてしまいそうな程度には、木やら植物やらがあった。あたしには全く、ドレがなんだかわからないが。
眞清の家の庭には常緑樹が多いのか、年間通して緑に囲まれている印象が強い。
「克己」
繰り返し、あたしを呼ぶ眞清。
「なんだ」と答えると、眞清は言葉を続けた。
「――前のように、言ってもいいと思えたら…教えてください」
「……」
『前のように』という眞清の言葉に、あたしは瞬く。
(…あぁ、そうか)
前に――眞清に、『何ビビってんですか』とか言われたのは中学の時。…背後に誰かがいるとビビってるっていうのがバレて、その理由を問いかけられたのは、冬だった。
でも、眞清の問いかけにあたしが答えたのは、卒業式の終わった後――春で、かなりの間があった。
けど眞清は――眞清のほうからは繰り返して問いかけてくることも、なかった。
あたしが言いだすまで。
(ホント…)
イイヤツだ。優しいヤツだ。
――たまに、胡散臭いカンジがしたりするけど。
そんなの、眞清の一部で…その部分よりも、ずっと多くを占める優しさ。
「――あぁ」
いつか。…言えるだろうか。
いつか、眞清に――。
「努力する」
「努力ですか」
眞清が少し笑った。ちょっとばかり、苦笑めいた笑み。
「なんか…ホラ、あるじゃん」
あたしがそう言えば「何がですか」と短い切り返し。
「小さなことでも大きいことにつながる…みたいな言葉」
眞清は少しばかり目を細めた。考えて、考えて…。
「千里の道も一歩から、ですか?」
「そう! …多分」
多分、ソレ。とあたしは首を傾げる。
「自信がないんですか」
眞清はまた、苦笑を見せる。
「日本語は眞清のほうが得意だろ」とあたしは右手で眞清を示す。眞清はいっぱい本読むし。
「…まぁ、克己よりは」
「だろ?」
頷いてから「ん?」と思う。若干ケンカを売られた気がした。
…まぁ、眞清の言う通りなわけだが。
「それじゃあ…」
眞清が少しだけ手を上げる。
「ああ」とあたしもまた、軽く手を上げて応じる。
「また明日、な」
「はい」
あたしは自分の家へ向かう。っつったって、家に入るのに一分もかからないけど。
門に手をかけて、視界の隅の存在に気づいた。
――眞清がまだ、立って見ていた。
珍しい。あたしはそう思いながらも手を上げる。眞清もまた、手を上げた。