(ってか…)
あたしは、笑う。
「美容院とか床屋でさ」
笑いながら…続ける。
「よく知らない人間がハサミ持って後ろに立ってんの、怖くない?」
「え?」
あたしの問いかけに、アサエちゃんがちょっと首を傾げた。イメージとしては、人懐っこい猫。なんだろう…目が、くりくりしてるせいかな?
「そんなこと、考えたことなかったなぁ」
二年のヒトがそう言う。
「でも、言われてみればそうだね」
つばきちゃんは小さく言った。「な」とあたしは笑う。笑いながら…でも、ソレはあたしの本心だった。
美容院も床屋も、怖い。なんだよハサミ持って背後に立つって。…まぁ、ソレがあの人達のシゴトなわけだが。
美容師や理容師の持っているハサミは、髪を切るため。それ以外に、使用方法はない。
でも…ハサミは、使い方を変えれば凶器にもなりうる。
あたしはそのことを、知っている。
(ヤバ…)
思考が、暗いほうに引きずられかけていることに自分自身で気づいた。
違うこと、なんか…考えなきゃ。マズイ。ヤバイ。
なんか違うこと――考えなきゃ。
「あ」
「あ?」
突然声を上げたあたしにアサエちゃんが首を傾げた。あたしは右手で天井を示す。
「ちょっと…忘れ物。教室行ってくる」
「あ、うん。いってらっしゃーい」
ひらひらと手を振ったアサエちゃんにあたしも手を振り返して、カバンを背負ったまま教室に向かった。
――本当は、忘れ物なんてなかった。
ただ、ちょっと、思考を切り替えようと思って…一度美術室から離れようと思って言った、適当な言葉だった。
(トイレにでも行くか…)
とも思ったけど、一応教室にも行こうかと思った。
アサエちゃんに宣言したし――甘えなんだろうが、もしも眞清がいたら声をかけてみようと思って。
校内はすでにあまり人がいないのか、時折通るような笑い声が聞こえる以外、ざわめきとかが感じられなかった。
教室が続く廊下には、窓も並ぶ。一時期より日が短くなって、わずかに夕焼け帯びた空と、窓からの光を見ながら自分のクラスに向かった。
どの教室のドアも大体開いてるんだが、あたしのクラス…一年五組のドアは閉まっていた。というか、後ろ側だけが。
(眞清いるかな…)
そう思いながら、ドアに手を伸ばそうとした時、いくらか怒鳴るような声が聞こえて思わず手を止めた。
「ナニお前、ストーカーかっ?!」
「なんとでも」
――声は、教室の中から聞こえる。ケンカか? と思った。
ごたついてる最中だったら用事もないのに入ったりしないほうがいいかもしれない。
ひとまず美術室に戻るか、とドアに伸ばしかけた手を引っ込め、そのまま回れ右をしようとする。
「大森から離れてもいいんじゃねぇの?」
――聞こえた声に…ってか、名前に思わず動きを止めてしまった。
大森、という言葉に。
(…あたし?)
あたしは、あたし以外の『大森』を知らなかった。
誰だ、と思ってそのまま耳を傾けてしまう。静かな廊下では、別段荒げていないドア越しの声も聞こえた。
「っつーか、離れれば?」
(…更科?)
ちょっとばかり苛立った感じの、いつも雑談するのとは違う口調だったが…声は、更科のもののように思えた。
「――それこそ『放っておけ』ですね」
応じる声にあたしは瞬いてしまう。年上だろうが年下だろうが同じ年だろうが敬語。…眞清だ。
(眞清の用事って…なんか、更科と話すことだったのか?)
「克己から『離れろ』と言われない限り、周りにどうこう言われても僕から離れようとは思いません」
そんな、眞清の声が聞こえる。
(っつーかなんでそんなハナシになってんだ?)
最初から聞いてるわけじゃないし、会話に加わってるわけでもないから、話が見えない。
「…蘇我は、大森と幼馴染みだって?」
更科の問いかけにちょっとの間をおいて「そう、ですね」と眞清が肯定した。
「それ以上の気持ち、あんの?」
更科が続けた言葉に、ぎょっとする。
「…それ以上とは」
淡々とした眞清に「オトコとオンナの、恋愛的な感情はあんのか、ってコトだよ」と更科がいつもより低い声で言った。
――何言ってんだ、更科。
そう思う。でも…なんでか足が動かない。踏み込む勇気が、ない。
「それを、更科に言わなきゃいけない理由がありませんよね」
舌打ちが聞こえた。
「――オレが、大森を好きだからだよ。ずっと傍にいるお前が正直、目障りなんだよ」
続いた更科の声に…言葉に、背筋が冷えるような感覚がした。
眞清が淡々と「それは、どうも」と応じるのが聞こえる。
「誰が褒めた!」
いつものあたしだったら、更科と同じように突っ込むトコロ。
だけど…うまく、考えられない。
「…それを最近、克己に言ったんですか?」
「だったらなんだ!」
「――ありがとうございます。わかりました」
会話が続く。耳が、言葉を拾う。
――耳ばかりが、機能するかのように。
「お前なぁ…っ! オレの質問に答えろよ!」
いつもの更科じゃ考えられないような乱暴な口調だった。
「――答えないのが、『答え』だとは思わないんですか」
対する眞清は、今も淡々としたまま。ドア越しで、表情など、見えない。
「――あ?」
「…敢えて、言葉にして伝えたほうが満足しますか」
背筋が冷える。…これ以上ないほどに、冷たく感じる。
離れなければ――どこかでそう思うのに、動けない。
「僕は、好きでもないヤツとずっと一緒にいられるような奇特な人間じゃありませんし…見返りを求めないほど、殊勝な性格でもないんです」
眞清の声が聞こえた。聞いてはいけない、と――聞きたくない、と思いながら…。
「…まだ足りませんか?」
眞清の声が、届く。声を、拾う。
「今のポジションは僕のものだと思うし――克己の傍を、譲ろうとは思いません」
眞清にしては、よく喋る。
――イラついてると、いつも以上に口が回る。
「――克己が好きですよ」
聞こえたその言葉に――背中の傷跡が、軋んだ気がした。