時間が過ぎていく。
体が成長して、時間的にはアメリカで過ごす時間のほうが長くなった。
それでも、心に残ってた約束。
『絶対、帰ってくる』
――ちょっと泣き虫なますみを忘れたときはなかった。
気に入ってる写真だから、っていうこともあったけど――約束を忘れないように、二人で写った写真を目に見える所――机の横の壁に置いたコルクボードに飾ってあった。
レオンの家族とウチの家族とで写った写真だとか、学校の友達と写った写真。
何枚かをいつも飾ってあったんだけど――ますみと二人で写った写真だけはずっと変わらないで貼ってあった。
[これ、誰?]
[ん?]
レオンはよく、あたしが飾っておいた写真を眺めていた。
イベントがあったり、気分が変わったりするとコルクボードに飾る写真を変えていて、レオンが変わったことに気付くといつも訊かれた。
[学校の友達。えーと…]
レオンが示している写真をよく見るために、椅子に座ったレオンに覆いかぶさるようにして覗き込んで、それぞれを指さす。
[ユウコ、マサキ、ミドリ、アオイ、タカヤ、コウスケ、ナオト]
あたしはコウスケとナオトの間にいるからすっとばす。あたしはあえて言わなくてもわかるだろうし。
あたしが背中に覆いかぶさるように乗っても、文句を言わないレオン。
――ってか、割と最近までレオンのほうが小さかったハズなのに、急に背が伸びた。頭一つ差が…ってことはないけど、あたしよりちょっと視線が高くなったレオンに「縮んでしまえ」と呪いの言葉を呟きつつ、頭の上に手を置いて、更に顎を乗せる。…縮むハズもないんだけどさ。
[ふぅん]
レオンは他にも変わっていた写真を示して、あたしがそれに答える。
最後に、場所は変わってもずっと貼ってある写真を示した。
[…コレは、変わらないね]
[ん? ああ、ソレはな]
ますみと、あたし。
気に入ってるってのもあるけど…あたしの中で、約束の証でもあったから。
[気に入ってるんだ。…雰囲気、レオンに似てない?]
あたしはますみを示した。
[…この子、女の子じゃなかったっけ?]
ますみとあたしと同じ年だったハズだから、今もあたしと同じ年で…そうするとレオンより一つ上の同世代なんだが、写真を見る限りじゃ今の様子なんてわからない。
[確か]
あたしはますみを女の子だと信じていた。少し泣き虫だったこともあるけど、恰好でそう判断していた。『ますみ』っていう名前も、女の子だと思わせていた。
[おれ、こんなに可愛いかな]
[可愛い、可愛い]
くくっと笑う。あたしの下敷きになっていたレオンが動いた。
ずっと乗っていたあたしが退くと、レオンがあたしに振り返る。
…背が大きくなっても、うかがうように見る目は変わらなかった。
[今も?]
[今も]
女の子っぽい可愛さはないけど、あたしの中でレオンは『可愛い』弟みたいな友達だった。一つしか年の差はなかったけど、今でもなんか『可愛い』って思う。
頬を沿う程度に伸ばした髪のせいもあるのかもしれない。
いつだか『髪を伸ばしてみれば』と言ったあたしの言葉を、レオンは実行していた。
[カツミが好きだよ]
[うん]
何度も聞いた言葉にあたしは頷いた。不安そうな青い瞳を見つめる。
[大好きだよ]
[わかってるよ]
あたしは応じて、レオンの柔らかな髪を梳いた。
ぎゅと、レオンはあたしをハグする。そんなレオンの背中をぽんぽん、とあたし叩いた。
――前はあたしが抱きしめてたはずなのに、レオンの背が伸びてあたしのほうが抱きしめられるような状態になる。
レオンはなぜか、前々から不安そうな目をすることがあって。あたしの言葉でほっとしたような笑顔を見せたから…あたしの言葉でレオンが笑うなら、それでいいと思っていた。
――あたしの言葉だけに、そんな笑顔を見せていたとは知らなかった。
レオンと、ますみ。
どっちも、大切だった。
初めて見たとき、レオンの印象がますみとかぶって仲良くなりたいと思った。
…多分、それは確か。
だけど、あたしはレオン自身が大切になった。
こっちを見て尻尾を振る犬とか、擦り寄ってくる猫だって可愛いと思う。――自分を好きだっていうヤツ、そうそう嫌いになれるわけがない。
大切に、思った。
一つ年下の弟みたいな友達として――レオンが、可愛いと思っていた。
体調を崩して学校を休んだという話を聞いて、レオンを見舞いにいくと、ベッドに横たわりながらも笑顔を見せた。
少し雑談をして――熱がある、というレオンの潤んだ瞳があたしを見上げる。
[…一緒にいて]
レオンはうかがうような――すがるような目をして見ることがある。
[ここにいるよ]
――怖い夢を見るのだと、言った。
レオンが言いたがらなかったから、その夢の内容まであたしは知らなかったが。
寝るまで一緒にいるから、と繰り返して手を握った。
レオンは年に何度か、こうやって高熱で体調を崩していた。
――ますみもそうだったなぁ、なんてぼんやり思いだす。
手を握る、ってことはなかったけどそれでも見舞いに行くと嬉しそうに笑った。
可愛かったな、と思っていたらレオンの手を握る力が一瞬強くなって、思わず顔を見た。
起きたわけではなかったけど、熱のせいなのか、なんだか苦しそうな顔をしている。
あたしはもう一方の手でレオンの額に触れた。
熱いなぁ、と手の平と手の甲とを交互に当てる。
あまり冷たくなくても、あたしの手で少しは冷える効果があったのか、レオンの熱い手が握る力を弱めた。
単調な吐息になって、眠ったせいか手を握る力が緩んだことを確認するとあたしはレオンの部屋を後にした。
レオンの母親に挨拶をして家に戻ると、父さんがいた。
今日はいつもより帰りが早いなぁ、なんて思っていたのだけど。
「育己、克己、父さんのこっちの仕事がそろそろ終わる」
夕飯を食べながらの言葉にあたしは「え」と声をあげた。
イクがご飯を飲み込むと――食事は大抵日本食だ――「クビ?」とサラッと爆弾発言をする。
「誰が退職だ、誰が!!」
くわっと父さんは吼えた。
母さんが「クビは困るわねぇ」なんて呑気に言って、「母さんもわかっててソレを言うのか…っ」と父さんがちょっとばかり唸る。
「何? 日本に戻るってこと?」
爆弾発言をした当人…イクがチャキチャキと話題を変える。
「そういうことだ」
「いつ頃?」
「仕事の目途がつけば…まぁ、早くて今年の九月、遅くても来年の三月には日本にいるような感じだな」
「ほは?」
あたしは思わず声をあげた。
今年の九月って…今は、三月だ。早ければ半年、遅くても一年って…。
「急だな」
もくもくとご飯を食べつつあたしは言った。
「前々から話はあったんだがな。なかなか本決まりにならなくて」
あたしは「ふぅん」と野菜炒めをつついて口に放り込む。
「あんま嬉しくなさそうだな」と父さんが苦笑した。
「っつーか、俺は関係ないな」
大学に通ってるイクは言った。中学部の卒業までは日本人学校に通っていたけど、高校からは現地校に通って、コミュニティ・カレッジにも進学した。一発合格で、今は一年だ。
「関係ないっちゃないが、住むところとかちゃんと考えろ、っていう話だ」
「あー、ナルホドね」
金はちったぁ支援するが主力は頑張れよ、と父さんが言う「へいへい」と夕飯が終わったイクが指を組む。アクセサリー好きのイクの右の中指には指輪がついていた。
「克己は…どうする?」
イクの前――あたしの斜め前の父さんは、恐る恐る、というカンジで言った。
「え? 一緒に行くよ?」
「…なんだ、思いの外あっさりだな」
ちょっとばかり拍子抜けしたっぽく、父さんが椅子に背中を預ける。
「俺を置いていくのか」
イクの言葉に「約束あるし」とあたしは笑う。
「約束?」と瞬くイクに「そ」と頷く。
自分自身で決めてあること。写真に、誓った。
――もしかしたらもう、ますみは忘れているかもしれないけど。
それでも、自分自身で決めた。絶対に、帰ろうと。
「で、合わなきゃまたコッチ戻るよ」
「…あっさりだな…」
父さんがさっきと同じ言葉を繰り返す。
「だって今行くっつーと…九月だと、二年の途中で三月だと三年の最初からって感じだろ? 半年なり一年いれば約束が守れるし」
――絶対に、帰るから、と言った。
泣き虫だったますみは今、どんな子になっているだろう。
「…合うか合わないかは、実際その場所行ってみないとわからないしな」
言いながら――あたしに「好きだ」と繰り返すレオンを思った。
何度も何度も繰り返される言葉。一緒にいて、と握られた手。
…放っておけない、友達。
ますみと会って約束を果たして。
しばらく過ごして…アメリカのほうが自分に合うと思うなら。
「その間に、ドッチに戻るか決めるよ」
アメリカか、日本か。
…レオンか、ますみか――選ぶ。
「じゃあ本決まりになったら、教えてよ」
「ああ」
父さんとしては早く帰りたいんだ、と呟く。
「…父さんってホント日本好きだよな…」
呟きに思わずそう言えば父さんは「ごちそうさま」と手を合わせてから続けた。
「ビバ、日本! なんでおれがここにいるのか、と何度思ったか…!!」
「あらあら」
仕事の関係――チェーンホテル勤務――で日本からアメリカに飛ばされ、ある程度仕事がデキルらしい父さんは、思ったよりも長くアメリカにいた、らしい。
「もう、日本限定でお願いしますと人事のヤツには頼んでみたが」
「どうなるかしらね」
「母さん、あまり不吉なことは言わないでくれ…!!」
「まだ何も言ってないわよ〜?」
呑気な夫婦漫才を眺めつつあたしも「ごちそうさま」と手を合わせる。
それから一週間後、父さんから「本決まりだ」と聞いた日程は、約一年後…来年の三月に日本に戻るということだった。