土日の間、考えた。
…これからのこと。
あたしにしては珍しく、一歩も家を出ることなく過ごして。
日曜日の夜、パスケースに写真を入れた。一つ決心をして、息を吐き出す。
(明日――)
眞清に、伝えよう。
電気を消して布団にもぐった。まだ闇に慣れない瞳で空を見る。
――背中が痛む気がするのは、記憶のせいか心のせいか。
判断がつかないまま、瞳を閉じた。
※ ※ ※
「…はよ」
「おはようございます」
眞清はいつも、垣根の脇に立っていた。
雨の日は玄関の廂の下にいることもあったけど、今の過ごしやすい時期は塀代わりになっている垣根の脇に立っている。
いくらか喋ってたら、金曜日に聞いたこと…聞いてしまったことを忘れそうになった。
『――克己が好きですよ』
…忘れそうになるだけで、忘れることはなかったんだけど。
眞清と雑談しながら、駅に向かった。
乗った電車はいつもと同じくらいの混み具合。
この後の電車でも始業には間に合うんだけど、小高にある高校の学生が多くて、もっと混むから少し早目の電車に乗っている。
いつも通り壁に背を預け、眞清と話をしながら電車に乗った。
学校に着いて、教室に入ると、今日はすでに更科がいた。いつもはもっと遅いと思うんだが。「はよ」と更科と春那ちゃんにも挨拶をして席に着く。
――更科と、眞清と。
金曜日の会話を聞いてしまったせいだろうか。別に、いつも仲がいいとか和やかってわけじゃないんだけど…なんとなく、ピリピリしているような気がした。
「眞清」
「はい?」
放課後になって、あたしは眞清に振り返った。
「今日さ、ちょっと美術部に顔出して行こうと思ってんだ」
「…美術部、ですか?」
眞清の目が、ちょっと丸い。「おぅ」と頷くと眞清は何度か瞬いた。ちょっと考えるような顔をして、口を開く。
「入部でもするんですか…?」
眞清の『入部』という言葉が予想外で、今度はあたしが目を丸くしてしまう。
絵を描く自分を想像した。…選択教科でも、音楽を選択して、美術を選択していないでいるあたしだ。あんま想像できない。
くくっと笑ってしまいながら「しないって」と否定する。
「金曜日に、ちょっと顔出したらイクのネタになってさ」
イクの名前に眞清は「……ああ」と短く応じた。なんだその間は。
「顔見たいって、アサエちゃんとかに言われたから。忘れないうちに見せようと思ってさ」
「――成程」
「…眞清は」
「どうする」と言葉にする前に、眞清は答えるようにして笑った。「付き合いますよ」と続いた言葉に「ああ」と、あたしも頷く。
「じゃ、行くか」
立ち上がると春那ちゃん、更科に「お先」と挨拶をして美術室へと向かった。
「コンチハ」
「!!」
スライド式のドアを開けつつ挨拶をすると、真っ先にアサエちゃんが目に入ってきた。
「大森さん!!」
いらっしゃい! と今日も元気いっぱい。
今日は部長さんもいるみたいだ。うつみん…えぇと、ウツミさん、だったか。
「入部してくれるの?」
部長の言葉に「あはー」と笑って誤魔化した。そんなあたしに対してか、力強く「いつでも待ってるから」と拳を握られて、なんてーか、笑うしかない。
「あ、アサエちゃん、写真」
「? え?」
首を傾げるアサエちゃん。あたしは鞄から写真の入ったパスケースを引っ張り出した。
「克己」
腕をつかまれて、ビクッとしてしまう。
パスケースを開こうとしたら、眞清に止められた。
「――…ん?」
…ヤバイ、今ちょっとビビったかも。眞清にバレたかな…。
「…写真…」
小さな囁きに「ああ」と思う。パスケースにはずっと、あたしと眞清の小さいときの写真を入れていた。――眞清はそれを、知っている。あたしは「替えた」と笑った。
「…そう、ですか」
眞清はちょっとだけ間をおいて答えた。「なら」とあたしの手首を掴んだ眞清の手が離れる。あたしはアサエちゃんに視線を戻した。
「イク…兄貴の」
「忘れないうちにと思って」と続けたら「わぁ…っ!」とアサエちゃんは指を組む。「早速? わざわざ???」と目を輝かせるアサエちゃん。やっぱカワイイな。素直とでもいうか。
パスケースから写真を引っ張り出した。
この夏休み、イクが年末年始ぶりにウチに帰ってきて、久々に家族四人で出かけた時に撮った写真を持ってきた。
「コレが、イク」
左から父さん、母さん、あたし、イク…と並ぶ。
父さんと母さんの運転で遠出して、山に行ってきた。
川があって、木がいっぱいで、夏だったけど涼しかったなぁ、なんて思う。
紅葉の時期もいいかもしれない、なんて話したけど、今はどんな調子だろう。
「うわー」
「みんな背が高いね!」
「そうか? …な?」
ウチで今、一番背が高いのがイクだ。
次が父さんで、あたし。母さんはあたしより低いけど…165あれば低くはないのか…? 確か、母さんは165とか言ってたと思ったが。
「仲いいね」
「はは」
イクがあたしの肩に腕をまわしてピースをしていて、あたしもイクの真似をしてピースをして写っていた。
「あー…目元が似てるかも…」
前に、誰かに言われたことがあることを部長に言われた。
イクの目は、ちょっと光に弱い。
だからいつもサングラス(ってか、遮光グラス? 完全に真っ黒ってヤツじゃないサングラス)をしてるんだけど…この写真を撮る時には、外していた。
サングラスをして写ってる写真もあったんだけど、それじゃあ多分、アサエちゃんが『見たい』と言っていたイクの顔がよくわからないだろう。
部長に「ソレ、言われたことある」と応じると「やっぱり」と部長は納得するように頷く。
「ってか…お兄さんもカッコイイね! 流石大森さんのお兄ちゃん!!」
ちょっと興奮気味にアサエちゃんは言う。
「コレでシスコンだったりしたらモエ…」と部長が呟き「ブラコンで更に禁断の兄弟愛とかでもモエるね」とアサエちゃんが頷いた。
(…シスコン、ブラコンって何だろう…?)
ひっそりそんなことを思っていると、部長さんがちょっとばかり唸るように「…なんで朝恵は大森さんをオトコにしたがるのか…っ」と言った。
今までの会話の流れであたしがオトコになるのかがちょっとよくわからなかったけど。
「だってこれだけルックスいいんだよ! 妄想の宝庫だよ!!」
それ対してアサエちゃんが力強く応じる。
「女の子だって妄想できるでしょうが!」
「ソレはソレ」
よくわからん言い争いだったが、なんとなく笑ってしまう。
二年のヒト…未だに名前が思いだせない…に「腐ったネタはそろそろオシマイにしたほうがいいんじゃ…」と言われて、ひとまずその場は落ち着いた。
正直、どこが『腐ったネタ』なのかわからなかったんだけど。
写真を見せて、雑談をして…美術室を後にした。
部長には「入部待ってるよ!」とまた力強く言われ、アサエちゃんには「また遊びに来てねっ!」と満面の笑みで言われた。別の写真持ってきて、とも言われたな、そういえば。
面白いのかわからんが、「今度アルバムでも持ってくか」と一人頷きながら駅に向かう。
「眞清も見るか?」
定期券を出したついでに眞清に言ってみる。
「どちらでも」という曖昧な答えに「じゃあ、ほれ」と押し付けた。
なんか知らないが、眞清とイクは若干ウマが合わないようだ。
「…変わりませんね」
イクは六月にコミュニティカレッジを卒業して、あたしが夏休みに入るちょっと前に帰国して…九月下旬に就職が決まった。
今は、一人暮らしをしている。距離は電車とバスで二時間弱ってところ。車で行けるなら、車のほうが直接行けるから時間がかからないかも。
あたしが夏休みの間はイクがウチにいたんだけど、眞清とは多分、二回くらいしか会ってないと思う。
写真を見下ろしながらの感想に「ソレ、夏休み入ってすぐだと思うぞ」と呟く。
眞清がイクと顔を合わせたり、会っていたのは夏休みに入るちょっと前だった。眞清は「それは変わるはずもないですね」と言いつつパスケースをあたしに差し出す。あたしは受け取ると定期券を入れて、カバンに戻した。
今日の電車は、いい時間だったみたいですぐに壁際に立てた。
ガタンガタン、という単調なリズム。
高校に通うようになって半年経つ。見慣れた景色に目を細めた。
「眞清」
電車を降りて、ホームを出て――家に向かいながら、あたしは口を開いた。
…この土日に考えて、言おうと思ったことを言うために。
今も――いつも眞清はあたしの後ろに…斜め後ろにいる。
『あなたの背中になりますよ』
――あの言葉を今も、実行してくれている。
すごく心強い。…だけど。
『――克己が好きですよ』
――あの言葉を聞いてしまったあたしは…。
「もう、いいや」
「――え…?」
眞清が瞬く。
多分、伝わってない。あたしは振り返った。
坂道だから、あたしのほうが少しだけ視線が高い。あたしは「背中」と言いながら、自分の肩を叩く。
「ずっと…眞清がいてくれて、楽だった」
心強かった。――だけど。
「でも、ちょっとはさ。ちゃんと、自分一人になれなきゃダメじゃん?」
慣れなくちゃ、ダメだ。――それに。
あたしを好きだ、と…LOVEで、好きだという存在が怖いのだ。
レオンに、…更科。
あたしは、『LOVE』だという感情が怖い。
――あたしを『LOVE』だという存在が、怖い。
眞清があたしを『LOVE』なら…一緒にいられない。そう、思ってしまった。
「金曜日、一人で帰ってみたけど案外大丈夫だったんだ」
――あたしは、眞清に嘘をついた。
「克己…」
眞清の呼びかけに、あたしは前に向きなおって歩き出した。
眞清が歩く。…左隣に、並ぶ。
「写真は…」
問いかけのような呟きのような声に、あたしは視線を向けた。
「ない」
ぱっと手を開いた、――金曜日に破いた写真。思って、一度目を閉じた。
「…だから、眞清の弱みは握ってない」
「安心しろ」と笑う。
『あたしの背中になる』と言ってくれたのは眞清。
だけど最初に引きとめたのは、あたしだ。写真を片手に、眞清に「逃がさない」と…中学の時に言って、一緒にいるようにさせたのは、あたしのほうだ。
だから――解放するのは、あたしの役目だ。
「あたしに、付き合わなくていい」
眞清が瞬いた。その瞳に、少しだけ戸惑いが見える気がする。
「ありがとな」
――ごめんなと、コエにしないまま呟く。
眞清があたしを好きだと聞いたら、眞清もまた…怖いと思ってしまったんだ。
一緒にいるのが、怖いと思ってしまったんだ。
「あ、友達ヤメろ、ってわけじゃないぞ?」
――友達としての『LIKE』ならよかった。
一緒にいたい、って…多分、甘えた。
「ただ…背中になってなくていい」
考えてみれば、丁度よかったのかな。
眞清に彼女ができたら…いくらなんでも、ずっと一緒にいられるわけでもなくなるだろうし。
(仮に眞清がいいっつっても、彼女がいい気分じゃないだろうしな)
眞清の浮いたハナシを聞いたことがないから、想像できない。
眞清と、彼女。
…あたしがそういうハナシに耳を傾けなかっただけかな。
「――大丈夫ですか」
声に、ちょっとばかり考えていたあたしははっとした。
まっすぐに、あたしを見る眞清。優しい言葉と、瞳と。
「甘やかすなって」
あたしは歩きながら、笑う。
――実はちょっと、お前を『怖い』なんて思ってしまってるあたしを心配するなんて…優しいヤツだな。
「まぁ、ビビる時もあると思うけど、さ。慣れる。――慣れなきゃいけない」
眞清が言葉を紡ぐより早く、あたしは続ける。
「応援ヨロシク」
――あたしは眞清を拒絶した。