眞清に『背中にならなくていい』と言って――眞清と距離を置くようになって、二週間。
案外、眞清との距離感は変わらない…気でいた。帰りがバラバラにはなったが、朝は一緒に登校するし。
まぁ、あたしは前以上にカバンが手放せなくはなった。
ある意味カバンが背中、みたいな。授業中も背負ったままの時もある。
――情けないけど、結構疲れてる。家に帰るとぐったりしている確率が高い。
「…眞清って、モテるのか?」
「え」
ふと気付いたことを口にしたら、益美ちゃんに目を丸くされた。
昼休み…次の授業は化学だ。
一番後ろの益美ちゃんの席の近く。壁に背中を預けながら益美ちゃんと春那ちゃんと三人でしゃべってる。
昼ご飯が終わったら早々に移動した。…もちろん、眞清とは別で。
「――気づいてなかった?」
益美ちゃんにしては声のトーンを落として、言った。あたしは「ああ」と頷く。
「あんだけ傍にいて?」
ちょっと声のトーンが上がった。…いつもより抑え気味だけど、そんな益美ちゃんに「だな」と応じる。
「…うっそ」
「イヤ、ソコで嘘ついてもしょうがないじゃん?」
紙パックにストローを刺した。ちょっと、喉が渇いて化学室にくるまでの途中にある自販で買ったウーロン茶。
益美ちゃんの声は、普段通りになっていた。
「――知らなかったんだ…」
春那ちゃんにもこっそり呟かれる。
前から二番目の席に着いてる眞清は今、弥生ちゃんと話してる。
「言葉使いが丁寧で、大人っぽいじゃん? でも、話してみると敬語なだけで、結構普通じゃん?」
「…ああ」
ウーロン茶を吸いながら益美ちゃんの言葉に頷いた。そういえば初めて益美ちゃんと話した時も大人っぽいとかなんとか言われたな、ってことを思い出す。
「で」
ズズイと益美ちゃんがあたしに近付く。その近さにちょっと驚いた。
「…で?」
切り返すと「今は、克己が一緒にいないじゃん?」と低く、トーンを落とした声で益美ちゃんは言った。あたしは「…だな」と頷く。
「ちゃーんす! ってなったワケ」
指を立てつつ、ひそひそと益美ちゃんは言う。
チャンスか。…って…。
「あたしが一緒にいるとダメだったのか」
「当たり前じゃん」
「…」
当然だったのか。あまりの言いきられっぷりに、思わず声を失う。
「…克己ちゃん、自覚ない?」
「…なんの?」
春那ちゃんに言われて、視線を春那ちゃんに移す。
「克己ちゃんが、美人なの」
「は?」
春那ちゃんの発言にあたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。美人? 誰が? …話の流れ的に…あたし、が?
「…ないと思うよ、はるちゃん…」
益美ちゃんは言った。春那ちゃんからあたしへ視線が移された。
「克己はカッコイイじゃん。カッコイイってコトは、美人ってことだよ?」
「……」
えぇと? あたしは声が出なくて、言葉にならなくて、首を傾げるしかない。
「わかってない…!!」
唸るように益美ちゃんは言った。春那ちゃんも「みたいね」とクールに言う。
「とりあえず…克己っていう美人が傍にいたら、なかなか近付けないワケよ。興味があったとしても」
「仮に友達同士だ、って言っててもね」と続けた益美ちゃんに思わず「…そういうものか…?」と呟いたら「そういうもの!」とピシャッと言い切られた。…熱いな、益美ちゃん!
「それが今、一緒にいないじゃん?」
益美ちゃんは一度、眞清のほうを見た。弥生ちゃんの笑う声が聞こえる。
「…なんかあった?」
益美ちゃんの問いかけにあたしは瞬いた。
報道部で、おしゃべり好きで、情報通で。知りたがりな部分と…友達を思ってくれてる部分とがその目から見える気がする。
「…蘇我君とケンカでも、したの?」
更に続いた春那ちゃんの言葉にあたしは瞬いた。
ケンカなんて、してない。――ただ、あたしから距離を置いただけ。
あたしは一つ息を吐き出すと、二人に笑う。「別に?」と応じた。
「秘密主義〜っ」
益美ちゃんは言いながら机を叩く。そんな益美ちゃんにまた笑ってしまった。
――確かに、秘密主義なのかもな。頭の隅で、思いながら。
ぽそり「じゃあ」と、春那ちゃんは続けた。「ん?」と紙パックのウーロン茶を吸いながら視線を向ける。
「…告白でもされた?」
「?!」
あたしは危うく、口に含んだウーロン茶を吹き出しそうになった。
春那ちゃんに「な、んで?」と逆に聞き返してしまう。
変に思ったのかな。春那ちゃんがちょっと首を傾げてあたしを見る。「可愛いなぁ」とか頭の隅で思いつつ内心ドキドキしていた。
「…なんとなく?」
逆側に首を傾げる春那ちゃん。やっぱ可愛い――は、いいんだが。
(ビックリした…)
「いや、別に…」
あたしは春那ちゃんに応じた。「嘘はついてないよな」と思いながらあたしは瞬く。
『克己が好きですよ』
あれは…眞清に直接言われたわけではない。――ただ、聞いてしまっただけで。
「…蘇我君がいつも克己ちゃんと一緒にいたから…」
あたしの問いかけに、春那ちゃんは言葉を続けた。「あれだけ一緒にいられるのは」と続けながら指を組む。
視界の隅――窓の外では木の枝が揺れてるのが見えた。風が吹いてるみたいだ。
「『特別』なのかな、って思ってただけ」
「あたしもそう思ってた」
益美ちゃんも春那ちゃんの言葉に同意するようにしながら頷いて、軽く手を上げる。
「特別じゃなきゃ…あれだけ一緒にいられないんじゃないかな、って」
続いた益美ちゃんの声に、あたしは瞬く。
「……」
うまく、言葉が出てこなかった。
特別は、特別だった。――あたしにとって。
眞清にとってもあたしは…ある意味、特別だったってことなんだろうか。
「――あたしがずっと、甘えてたんだよ」
「…え」
――呟きは、嘘じゃない。益美ちゃんと春那ちゃんが、あたしを見る。
「あたしが一応アメリカから来たのって、言ったことあったっけ?」
「「…え゛」」
二人の反応に「あれ?」と思う。言ったことなかったっけ?
「そう、なの?」
「知らないよ!」
春那ちゃんと益美ちゃんのそれぞれの反応。なんか、更科も似たような雰囲気だったな。
「だって…確か蘇我君とは幼馴染みなんでしょ?」
「そ」
春那ちゃんの言葉にあたしは頷いて「小学校上がる前にアメリカ行って、中三の夏休みに戻ってきた」と簡単に説明する。
「で…家が隣の幼馴染みだったから、日本に来てからの世話係? になってもらってたんだよ」
色々付き合ってもらったんだ、と続ける。
「眞清はずっと、付き合ってくれた」
ちょっとだけ、あたしは笑う。
女の子だと思い込んでて再会したら男で。
いつも笑ってるような印象の顔だけど、本当に穏やかってわけでもなくて。
面白い、と思って連れまわしたら一回キレて。
…キレたっぽかったけど、結局また付き合ってくれて。――優しいヤツで。
あたしは益美ちゃんと春那ちゃんを交互に見た。
「で…もう、コッチに帰ってきて一年以上経つし」
あたしはウーロン茶が終わった紙パックを畳む。そろそろ授業が始まる時間になるな。
「無理と付き合わなくていい、って言ったんだ」
化学室に、クラスほとんどの連中が集まっていた。
「…蘇我君の意思は、聞いた?」
「え?」
春那ちゃんの声に、あたしは視線を向けた。
「――蘇我君が、克己ちゃんに『無理と付き合ってる』って、言ってた?」
春那ちゃんの言葉に、あたしは瞬く。
チャイムが鳴って、席に向かった。
化学室は、名簿番号順。7番のあたしは一番前の席だ。
…背後にいるのはクラスメイト――笠木だと分かっているのに、背中をいつも、緊張させている。させてしまう。
『…蘇我君の意思は、聞いた?』
――なんでか、春那ちゃんの言葉が頭を過ぎった。
名簿番号順の席で…右側の列の斜め後ろに、眞清がいる。
なんとなく、振り返った。――眞清と、目が合う。
『――蘇我君が、克己ちゃんに『無理と付き合ってる』って、言ってた?』
――また、春那ちゃんの言葉が頭を過ぎった。
目が合うと眞清は何も言わずに、笑う。いつも通りに。
あたしもちょっとだけ笑うと、前に向きなおった。授業開始の挨拶で、立ち上がる。
あたしは家の…自分の部屋の引き出しにしまいこんだ写真を思った。
――破いて…破いてしまおうと思って、でも、結局一センチくらい破いたらあたしの手は止まった。
小さな眞清と、あたしの写真。
いくらか色褪せた、写真。――結局、破いて捨ててしまうことはできなかった。
(あのままの関係でいられればよかったんだけどな)
思ってもしょうがないことを、思う。
別に、眞清に嫌われたいってことじゃないんだが。
――今更、思う。
あたしが眞清をある意味選んだのは…もちろん、眞清が背中になる、と自分で言ってくれたからだっただろうけど。
だけど、それだけじゃなくて…眞清があたしを好きになるとは思わなかったからだったんじゃないか、と。
写真を使って、眞清にとっての弱味を握る状態で。
こんなあたしを、眞清が好きになるはずがない、と。
優しい眞清は、小さい時からの付き合いで、幼馴染みで付き合ってくれていて…あたしを『LOVE』に、なるはずがないと。
そう思っていたから甘えて、安心して、傍にいて――背中になってもらっていたんじゃないか、と。
(…眞清が女の子だったらよかったのに)
――どうにもならない仮定を、思った。