あたしって自己中だよな、と思う。
優しさに付け込んで眞清をひっぱりまわして――眞清の気持ちを知ったら、突き放して。
それでも、眞清は変わらない。…少なくとも、あたしには変わったように見えない。
「おはようございます」
「…はよ」
朝の登校はいつも、同じ時間で。
――まぁ、眞清もあんま混んでる場所が好きじゃないっぽいから…空いてる電車を狙うとそうなるのかもしれないが。
眞清と雑談しながら学校に向かう。
『――克己が好きですよ』
あの言葉を聞いてしまって…そう言った眞清が怖い、と思ってしまって。
それでも…そのはずなのに。
なんとなく、眞清と一緒にいる間は背中に神経を尖らせるってことがないように思えた。
(直接言われてないからか、な)
一人、そんな風に分析する。
「眞清、結構モテてるって知ってた?」
「…は?」
昨日益美ちゃんと話したネタを振ってみた。眞清はちょっと訝しげな顔をしている。
その顔に思わず笑ってしまった。なんだその顔。
「益美ちゃんが言ってた」
「そう、ですか」
まだなんとも言い難い顔をしている眞清に思わず「くくっ」と声にして笑ってしまう。
「…克己は、どうなんですか」
声にあたしは「え?」と眞清を見た。
「克己はモテないんですか」
ヤバイ、変なネタ振ったか。ちょっとそんなことを思って、言葉を失う。
「さぁな。あたしのことはなんとも」
しばらく間をおいて眞清に応じた。春那ちゃんに『美人』とか言われたが…コレはモテるとかモテないとかいう話とは別問題だろう。
「……」
眞清は瞬いた。あたしは見るともなしに、窓の外を見る。
その話題はひとまず、そこで途切れた。
その後は今日の授業のこととか…数学で小テストをやると言われていたから…話して教室に向かう。
「おはよ、大森」
教室に、それから席につくと更科がすでにいた。更科に「はよ」と挨拶を返す。
なんとなく、更科は前より学校に来る時間が早くなったような気がしていた。
声を掛けられて、あたしは壁に背を預けながらそのまま更科と雑談する。
眞清は自分の席…あたしの後ろの席で本を読んでいる。
「なぁ、更科」
ちょっと前から気になってたことがあって、問いかけた。
「ん?」
「バスケ部って、あんま練習ないの?」
始業が鳴るまで間があっても更科は教室にいるし、放課後にさっさと体育館に向かう…という様子も見たことがない気がした。
「そうだな。好きな時だけやる感じ」
遊びサークルみたいな感じだから、と更科は笑う。
「ナニ、大森バスケやる?」
「やらない」と応じたあたしに「即答かよ」と更科はまた、笑った。
※ ※ ※
――金曜日。今週も、今日で終わる。
(あー…)
妙な疲労感に目元を両手で覆った。この疲れ…背中にばっか気を向け過ぎなんだろうか。
(前もこんなに…疲れたっけ?)
中学――日本に戻ってきてから、眞清に指摘される前…とか考えて、今とちょっと状況が違うことを思いだした。
(そっか…)
アメリカからの帰国ってことで、ちょっと特別扱いしてもらえて…授業は編入したクラスじゃない教室で、ほぼ一対一でやっていたこと。
――授業中は、背中に気を使わなくても後ろに誰もいなかった。
(今は授業中だと誰かしらいるからな…)
そのせいか、と一つ息を吐き出す。
今日もあと半日。あたしはそう思って肩と首を回した。
「大森」
眞清は「お先に」と立ち去って、春那ちゃんの姿はなく、益美ちゃんも教室からいなくなっていた。
なんとなくダルい気がするから今日はさっさと帰るか、なんて思っていたところで更科に呼びかけられた。結構みんな行動が素早い。教室には十人もいないくらいだ。
「ん?」
更科はちょっと考えるような顔をした。
ざっと教室を見渡し、残ってる面々も雑談をしている様子を確かめると小さいな声で切り出した。
「蘇我はもう、特別じゃないのか」
更科の言葉に、「え?」と思う。
「…なんで?」
思わず聞き返すと「チャンス到来かと思って」と返ってきた。しばらく意味を考えてから「そーゆーわけでもないと思うぞ?」と、あたしは壁に背中を預ける。
「うわ、切り捨てられた」
あたしは「悪いな」と指を組んだ。
「…謝ることでもないだろうけどさ」
言いながら更科はひとつ、息を吐き出す。
「バイバイ」
「じゃな」
「また明日」
今まで雑談していた一組、違うクラスの白鳥(確か)と明子ちゃんと詠美ちゃんに手を振った。教室内の人が減る。
「…じゃあ、別の特別でもできたか?」
「…あ?」
続いた言葉に、思わず妙な声を上げてしまった。
「――つっこんで悪い。気になっちまって…」
前に、と更科は続ける。
「確か美術室? だか寄る、とか言って…誰かの写真を見せるとかなんとか」
「美術室?」
美術室で、写真…とあたしはちょっとだけ考える。
「あぁ、イク?」
「…確か」
頷いた更科に「兄貴」と答える。「え」と目を丸くした更科にあたしは「イクってのは、兄貴だよ」と繰り返す。
「…兄ちゃんを「イク」って呼ぶのか?」
「ああ。育己だからな」
見るか? とパスケースに入ったままの写真を出す。出したウチの家族の写真を更科は眺めた。「…そう、か…」と更科は息を吐き出しながら言った。
しばらくして、更科が再び口を開く。
「大森、彼氏できたら教えろよ」
「なんだそれ」
更科の言葉にあたしは笑った。突拍子がないな、と思って。だけど…
「笑うなよ。…結構、マジで言ってんだから」
対する更科は、結構真面目な顔をしていて、思わず言葉を飲み込んだ。
「…――」
いつの間に、教室にはあたしと更科しかいないことに気付く。どれだけ周りを気にしてないんだ、あたし…。
「教えてくれ」
繰り返された言葉。…真剣な声音。
更科に「わかったよ」とあたしは応じた。「当分ないとも思うけどな」とも。
「わかんねぇじゃん。大森がいつ「イイ」って思うかなんて、わかんねぇし」
更科の言葉に「そぉか」と答える。それしか、言い様がない。
「軽いなぁ…」
軽い、と言われても…。そう口の中だけで呟いたら更科はふとあたしの机に腕をついて、身を乗り出してきた。
「もちろん、オレを選んでくれれば一番嬉しいわけだけど」
続いた更科の言葉にあたしは何回か瞬いて、笑った。…苦笑っぽくなってしまったかもしれない。
「――大森」
呼びかけに「なんだ?」と応じると、更科はじっとあたしを見た。
――あたしを見つめる瞳。まっすぐに…感情が映るかのような、瞳。
ドキリとする。…恐怖に似た感情が、あたしの中で起こる。
「オレにビビってるって、本当か?」
自分の中で起こった感情と、更科の発した思ってもみない言葉にうまく考えられない。
「――え…」
「…前に、蘇我に言われた」
「――…」
なんでか声が出ない。更科の声を聞きながら…組んだ指先が、冷たくなっていくような錯覚がした。…気分だけの問題だろうか。足の指先も冷たいような気がする。
「それが本当なら…なんでだ?」
更科の声は聞こえていた。…なのに自分の中で巡る、レオンの声。
『――やだ…やだ…やだ! ――やだ!!』
『おれより…マスミが大事?』
『やだよ…おれだけ見ててよ…』
「オレがダメで…蘇我が特別なのって、幼馴染みだから…だけか?」
『おれだけに優しくして…他の人に優しくしないで…』
『行かないで…――行かせない…』
『おれだけの、ものに…』
――ダメだ。なんだこの…フラッシュバックみたいな…。
あたしはぎゅっと手を握った。――手が、冷たい気がした。
視線は更科へと向いて、あたしの目は更科を映しているはずだ。
なのに…
「大森は、蘇我をどう思って――」
あたしの中で巡るのは…レオン。
『なんで…一緒にいるって…』
レオンの、声と――涙。
『傍にいてくれるって言ったじゃないか…っ』
そう言って…泣いていた。
あたしの血が、レオンの服や手に、付いていた。
背中の痛み。…過去の傷。
傷痕も――もう、痛いということはないはずなのに。