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①三学期が始まった
<体温>

「でも女って、たまに面倒じゃないか?」
 軽く腹を撫でつつ言えば益美ちゃんが「ああ」と瞬く。
「月に一度はねー。お腹痛いとか、気持ち悪くなったりとか…」
「え、気持ち悪くなるの?」
 月経生理期間、基本的にあたしはどうにもならない。
 たまに腰が重い感じがする時があるのと、少し眠くなるくらいだろうか。
「ならない? あたし、ちょくちょくなるんだけど」
「いや…ならないな…」
 応じれば「いいなー」と益美ちゃんがため息をついた。
 ふと、視線を動かして固定する。
「おっはよう」
 益美ちゃんの挨拶は、あたしに向けられたものではない。
 ひらりと手を上げた益美ちゃんの視線の先には、まだカバンを持ったままの…今教室に来たばかりの春那ちゃんがいた。
「おはよう」
 あたしも挨拶をする。
 白い丈の長いダッフルコートを着た春那ちゃんは淡い茶色の手袋を取りながら「おはよう」と応じた。
 春那ちゃんの今の席は、あたしの左隣だ。
 あたしの横に並ぶくらいだった益美ちゃんが移動する。自然と、握っていた手が離れた。
「はるちゃんは生理の時気持ち悪くなったりしない?」
「え」
 突発的な益美ちゃんの問いかけに春那ちゃんが声を上げる。
 …それまぁ、想定外の問いかけだろうしなぁ…。
 こっそりそんなことを思っていると、上着を脱ぎつつ「気持ち悪くはならないけど…」と前置きをして、続けた。
「短気になるような気がするわね。イライラしやすくなるというか…」
「あー…」
 精神的に不安定になる、というのは聞いたことがあった。
 自分がそうなってるいるかは、自覚はないけど。
「…しかし短気な春那ちゃんって想像できないな」
 あたしは思ったままを口にする。「そう?」と首を傾げる春那ちゃん。カワイイ。
 ゆるくクセのある、背中の半分くらいまでありそうな髪をそのままにしている。
 ダッフルコートを脱いだ春那ちゃんは、アイボリーの地にタータンチェックのニットを着ていた。
 ジーンズを穿いて、足元にはレッグウォーマーをしている。
「うん」
 首を傾げた春那ちゃんにあたしは頷いた。
 春那ちゃんはたまーにブラック化するけど、ブラック化と短気なのとは違う気がするし。
「…ところでなんでそんな話に…?」
 春那ちゃんの疑問に益美ちゃんが「えっとねー」と人差し指を立てつつくるくる回した。
「克己が男だったらホレるね、ってハナシして」
 女はたまに面倒だ、って話になって生理の時の症状の話になった、と大まかな流れを益美ちゃんが説明する。
 …ってか説明できるくらいちゃんと話の流れを覚えているのが正直すごいと思った。
「そうそう、はるちゃん! 克己の手って温かいんだよ!!」
 益美ちゃんがそう言いながらあたしの手を春那ちゃんに差し出す。
「そうなの?」
 差し出したあたしの手に、春那ちゃんの手が重なった。
「わ…本当だ…」
 ひやりと冷たい春那ちゃんの手。…というか、指先かな。
 手のひらはそうでもないかもしれない。
「まぁ、春那ちゃんは今まで外だったしな」
「そうね」
 春那ちゃんが頷いて、手が離れる。

「ハヨ」
 声に、三人で視線を向けた。
「おはよ」
 まずは益美ちゃんが応じる。春那ちゃんも「おはよう」と言って、あたしも「はよ」と応じた。
 声をかけてきたのはあたしの前の席の――更科だ。
 カバンを机の上に置いて、机の中身を構うのを横目に、益美ちゃんと春那ちゃんと雑談を続ける。
「手が冷たいのは心が温かい証拠だよ」なんて言った益美ちゃんに「それじゃああたしの心は冷たいってことなのか?」と思わず切り返す。
「…なんだ、大森の手って温かいのか?」
 その問いかけにあたしは視線を向けた。
 声からわかっていたが、そう言ったのは更科だ。
「一応、今は益美ちゃんよりは温かいぞ」
 ひらひらと手を振ると、更科が手を差し出した。思わず瞬きをすると「手」と短く切り返される。
「あぁ」と口の中だけでぼやいて、更科が差し出した手に、あたしの手を重ねた。
「…温かいか?」
「同じくらいだな」
 更科とあたしの手は同じくらいの温度だった。
 離した時、一瞬指が絡まった気がする。…気のせいかもしれないが。
「更科、部活でもしてたのか?」
 更科はバスケ部だ。
 ただ、「好きな時にやる」っていう程度のお遊びっぽい部活らしいけど。
「おう」と頷いた更科に益美ちゃんが「え」と声を出す。
 思わず注目すると、益美ちゃんは続けた。
「運動してた更科君と克己の手の温度が一緒なのって、やっぱ克己の手が温かいってことにならない?」
 更科が「あ」と声を上げた。
「言われてみればそうかも…」
 春那ちゃんも口元に手を当てつつ呟く。
「ん?」
 首を傾げたあたしに、益美ちゃんが手を伸ばした。ぴたりとあたしの額に益美ちゃんの手を当てる。
「おぉ、冷たいな」
「…別に熱があるって感じの熱さじゃなさそうだけど…」
 益美ちゃんの手が離れるのを感じつつ「ないよ」と応じた。
「あっても平熱」
 言いながら、益美ちゃんの手が離れた額に自分の手を当てる。
 こうやって直後に触ると、自分の手が益美ちゃんの手より温かいんだな…なんて実感をする。

「あ、蘇我君おはよう」
 益美ちゃんが視線を固定して、そう言った。
「おはようございます」
 応じたのはあたしの後ろの席…で、幼馴染みの眞清だ。
「おはよう」
 春那ちゃんにも「おはようございます」と続けると、なんとなく眞清を見ていたあたしと目が合った。
 手には本を持っている。眞清が図書室に足を運ぶのは、ほぼ日課っぽい。
「オカエリ」
 あたしと眞清は幼馴染みで家が隣同士で…一緒に学校に来ていたりした。
 クラスもこんな調子で同じだから、教室にも一緒に来ている。
「はい」
 眞清が少しばかり笑った。
 垂れ目っぽいせいか、眞清はなんとなくいつも笑っている印象がある。
 ちょっとばかり『何を考えてるかわからない笑み』とも言えた。
 顔立ちと、誰に対しても敬語なところはお父さんによく似ている。
 眞清のお父さんは結構若く見えるから、「ちょっと年の離れた兄弟?」とも思えたりした。
「蘇我君は手、温かい?」
 益美ちゃんの問いかけに眞清が「はい?」とやや妙な声で応じる。
 その声音が面白くてあたしは意識せず笑ってしまった。
「なんですか」と言わんばかりに一度見られたが、眞清は何も言わない。…ってか、眞清が口を開く前に益美ちゃんが繰り返す。
「蘇我君の手は温かい?」
 益美ちゃんの問いかけに「手、ですか?」と言いながら眞清は自分の手を見下ろした。
 左手で右手を…ってか指先を包むように触れる。
「…普通だと思いますが…」
 眞清の言葉に手を伸ばした。あたしの行動に気付いたらしい眞清が、包んでいた右手を差し出す。
 眞清の右手を軽く掴んだ。
「…益美ちゃんほどじゃないが、冷たいな」
 益美ちゃんが手全体が冷たくて、春那ちゃんは指先が冷たかった。
 春那ちゃんの手のひらと同じくらいに思える。
 あたしが手を離すと「そうですか?」と眞清は手のひらと手の甲とを交互に見るように動かした。
「克己の手がお子様体温なんじゃないですか?」
 続いた言葉に「あ?」と聞き返す。…オコサマ体温ってなんだ?
「あー…小さい子って体温高いらしいもんね」
 そう言った益美ちゃんに視線を向ける。
(ああ、『オコサマ』って『お子様』ってコトか?)
 …と納得しかけたが。
「…なんだそりゃ」
 益美ちゃんから眞清に視線を移した。
「ただ、思ったことを言ったまでですが?」
 眞清はいつもの、何を考えてるかわからない笑みで応じる。
「そーかよ」
 言いながらあたしは両手の指を組んで伸びをした。
「…大森がお子様ってことはねぇだろ」
 ぽそりと更科が漏らした。
 あたしが更科を見ると、更科が少しばかり視線を逸らす。
「…まぁ…未成年だけど、さ」
 これはフォローか、と思った。あたしはなんとなく笑ってしまう。
「だよな。みんな未成年コドモだよ、眞清」
 手を動かして、眞清、春那ちゃん、益美ちゃん、更科…と示す。
「…そうですね」
 やや吐息交じりに眞清が頷く。…しかしなんだ、そのため息は。
「蘇我くん、オハヨッ!!」
 呼びかけに眞清は視線を向けた。
 あたしが呼ばれたわけじゃないけど、なんとなく見てしまう。
 眞清に挨拶をしたのは弥生ちゃんだった。
「みんなも、オハヨ」
 あたしと目が合って、春那ちゃん達も弥生ちゃんを見るとそう言って笑顔を見せる。
「おはよう」「おはよー」「ハヨ」「おっはよー」
 ほぼ同時にあたし達は言った。
「…おはようございます」
 最後のシメっぽく、眞清が挨拶をする。
 弥生ちゃんがまたにっこり笑うと、チャイムが鳴った。
「おっと、鳴った鳴った」
 益美ちゃんがそう言いながら「じゃね」と立ち去る。
 弥生ちゃんもパタパタと軽い足音を立てて、自分の席に向かった。
 …今日も一日が始まる。

 
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