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②『いつか』
<ありがとう>

(あ…)
 書かれていたのは、ある意味美弥子さんに対する悪口。いわれのない中傷。
 ぐしゃぐしゃにしてしまいたいのは――美弥子さんのはずだ。
 どうせやるなら、あたしがやりたかった…。
 そりゃそうだよな、と今更思う。…気付くのが遅い。気が回らなかった。
「…ゴメン」
「謝ることはないけど」
 美弥子さんはまだ笑っている。さっき見せた苦笑ではなくて…ちゃんと、笑っている。
「次入ってたら自分でやるから」
「うん、そうして」
 もう一度「ゴメン」と繰り返す。「謝らなくていいって」と美弥子さんは手をヒラリと振った。
「他人のことなのに…大森さんってばやっぱり変な人ね」
「あ?」
 美弥子さんの『変な人』っていう発言にあたしはまた声を上げてしまう。
 自分の声が妙な声になってしまったという自覚があった。
 …ってか、確か前にも美弥子さんに『変』って言われた気がする。
(そんなに変か?)
 自分の中じゃ、自分が普通だから、思わず首を傾げてしまう。
「――ありがと」
「? なんか言ったか?」
 美弥子さんが何か言ったような気がして、聞き返す。美弥子さんは言葉では応じず、また笑みを深めた。

※ ※ ※

「あんな悪口、本当にあるんだなー…」
 今日も眞清と一緒に帰っている。
 駅に向かいながら、意見書に紛れていた…美弥子さんに対する悪口を思いだして、言った。
 なんというか、マンガとか…作りものの世界だけだと思っていた。
「女子は怖いですね」
 淡々と眞清は言った。
「…女の子なのかなー…」
「字の雰囲気から、そうだと思いましたが」
 破いた紙の全部を見たわけではないが、美弥子さんが言うには全部似たような雰囲気の内容だった…らしい。
「そっか」
 窓の外を眺める。
 空は淡い紫色。薄い青と、少しオレンジめいたピンクとのグラデーションだ。
 意識せずため息をついた。
「克己がそんなに沈む必要もないでしょう」
「あ? …あぁ…」
 別に沈んでるつもりはなかったが…眞清に突っ込まれるってことはある程度沈んでるそれっぽい雰囲気になってしまったのだろうか。
 頭を振って思考を切り替える。切り替えようとする。
「…なんでだろうな」
 どうして、そうやっておとしめるような言葉ことをわざわざ書いたりするんだろう。
 受け取ってイイ気がするヤツなんていないって…ちょっと考えればわかるだろうに。
 思ったままを口にすれば眞清は「さぁ」と小さく呟いた。
他人ひとのことを考えてない、か…考える余裕がないか、なんでしょうね」
 続いた言葉に「考える余裕がない、か」と繰り返す。
「まぁ、それで今回のような投書っていうのが僕にはわかりかねますが」
「わかりかねる」ってのが「わからない」って意味だと眞清と喋るようになって知った。
 難しい言い回しを知ってるもんだ。さすが小説家の息子…ってか本好きというべきか。
「あたしもだ」
 インランっていう意味は正直「なんとなく」でしかわからないけど、美弥子さんを貶める言葉っていうのは想像できた。
 意識せずもう一つため息が出る。
「…恨みがましいってヤツなんでしょう」
 ポソリと言った眞清の言葉にあたしは瞬いた。
「うらみがましい?」
 聞き返すと「憎らしく思うこと、ですかね」と言われる。
「腹が立って…妬みや嫉妬、とか…とりあえず、どうにかして相手を傷つけたい感情ですかね」
「…ふぅん」
 傷つけたい、か。
(嫌だな…)
 誰か…例えば眞清とかに対して、腹が立つことはある。
 でも、誰かを傷つけたいなんて思ったことはない。
 …だって、傷つけたいと思わなくたって傷つけてしまう時は傷つけてしまうし…。
(――レオン)
 考えが足りなくて、『相手』の思いを汲みとらなくて、…汲みとれなくて、傷つけてしまった。
 ツキリ、と背中が痛んだ気がする。目を閉じて、息を吐き出す。

 ――いつか、眞清に現状がバレたら傷つけてしまうことになるんだろうか。
 眞清の思いを知っていて…自分の心地よさを優先させて――知らないふりをして、一緒にいる現状。
 もしかしたら、眞清に嫌われるかもしれない…未来いつか
 自分勝手な感情で作られている現状。…覚悟を、しておかなきゃいけない。
「…腹が立つなら言えばいいのに」
 言いながら、脇腹に爪を立てた。今も、背中が痛む気がする。
「正当な理由じゃないとどこかわかっているから、堂々と言えないんでしょう」
 眞清は淡々と言った。あたしは意識せず、再び息を吐き出す。
「…克己」
 眞清の呼びかけに「あ?」と応じる。
 視線は外に向けていた。…けれど、思考に気を取られていて見てはいなかった。眞清に視線を移す。
 眞清の瞳の色は薄い。眞清が、じっとあたしを見ている。
「――何か、ありましたか?」
「……」
 問いかけに、瞬いた。
「別に…何も、ない――けど?」
 ちょっと考えながら応じる。
「…そう、ですか…」
 眞清がそう言いたくなる程度に、妙な態度にでもなってしまっているのか。
 自分じゃわからない。…わからなかった、けど。
「んー、美弥子さんに『変』って言われたのがビックリ? とか?」
「疑問形ですか」
 眞清の切り返しに思わず笑う。
 ――案じてくれていると思える言葉。…優しい、眞清。
 視線を落とし、足元を見る。ふ、と息を吐いた。
「…ありがと、な」
 …小さく呟いた。
「? はい?」
 聞き返す眞清に「ん?」と顔を上げる。なんでもない、ふりをする。

「まぁ、前にも言われたけどなー」
 あれはいつだったか、と考える。…今年に入ってからだったかも、とも思う。
(確かまた支部室が使えるようになってすぐ…くらいだった気がしたな)
 美弥子さんに「大森さんって、変」と…なんか二回くらい繰り返し言われた気がした。
「そういえば、そう言ってましたね」
 眞清が頷いた。覚えていたらしい。
「確かに克己は変ですが」
「…シミジミ言うなよ」
 眞清に言われたくない、とこっそり言えば「聞こえてますよ」と切り返された。

 
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