昼休み。午後の最初の授業は数学だ。教室移動はなく、教室にはほとんどの生徒がいるように見える。
他のクラスのヤツもいるかもしれない。とにかく、ざわついている。
昼を食べ終わった眞清は再び本を読んでいた。
放課後辺り、返却してしまうつもりなのかもしれない。
――今も、眞清の机の上に置いてある青い紙袋。
「…なぁ」
あたしは好奇心に負けて、声をかけた。
眞清は視線を本から外すと「はい?」と瞬きをしながらあたしへと顔を向ける。
「…ソレ」
眞清の視線があたしの示した方向へと動いた。『ソレ』と言いつつ示したのは、青いギンガム・チェックの――眞清の靴箱に入っていた紙袋だ。
「…開けねぇの?」
眞清はゆるゆると瞬く。紙袋からもう一度、あたしへと視線を戻した。
「なんなら開けてもらっても構いませんよ」
その切り返しに「……は?」と、思わず妙な声が出た。益美ちゃんと春那ちゃんと…それから弥生ちゃんと絵美ちゃんが、雑談してるのが視界に映る。
「――克己が開けてくれても構いませんよ」
わかりやすく、という意味でもあるのかあえて名指しで言われる。
「…いや…お前の靴箱に入ってたモン、なんであたしが開けていいコトになるんだ…?」
「間違って入っていた物かもしれませんし」
眞清はあっさりきっぱり応じる。
「悪意の物かもしれませんし」
眞清は言いながら視線を本へと落とした。
「悪意、って…」
思わず繰り返すと「ちょうどそういう小説を読んでるんですよ」と未だに視線を本に落としたまま続けた。…眞清はこうやって、本を読みつつ会話を続けることがある。
生返事ってわけでもないし…頭の中で混乱しないんだろうか。
正直『脳ミソどうなってんだ?』とか思う。
文章読みつつ言葉が切り返せるってどういう状態なのか、あたしにはさっぱりだ。
ひらりと眞清が読んでる本と眞清の顔との間に手を入れて横に移動させた。
眞清の視線が本からあたしに移される。
「…なんですか」
「邪魔した」
「それはわかります」
眞清はゆるりと瞬いた。あたしは浅く息を吐く。
「眞清の日頃の行いが悪いから『悪意』なんて思うのか?」
問いかけたあたしには眞清はまたゆるりと瞬く。ふと、笑った。…いつもの『何を考えてるかわからない』顔。
「かもしれませんね?」
「否定しないのかよ」
思わず苦笑した。
(…ってか…眞清の『日頃の行いが悪い』なら――)
あたしはそれ以上だ、と思う。
自己中だってわかっていても、止めることができない。
眞清の気持ちを知らないふりして、眞清の傍から離れられない――。
眞清の傍の居心地の良さを手放せない――。
あたしのほうがずっと、『日頃の行いが悪い』。
「眞清に『悪意』が向けられたりしねぇって」
眞清はにっこり笑って毒を吐いたりして、もしかしたら『嫌なヤツ』ってカテゴリになるのかもしれないけど…。
けど、多くを占めるのは優しさ。…眞清は優しくて、いいヤツなんだから。
「……」
眞清が、あたしを見る。目が合った。…少し驚いたような顔をしているように見える。
「なんだよ」
「――いえ…」
眞清は言いながらわずかに目を伏せた。再び顔を上げる。「でも」と、口を開いたらまたいつもの『何を考えてるかわからない』顔になっていた。
「こちらに非のない『恨み』ってヤツもありますからね」
「…なーんでそう、妙な方向に考えっかなー…」
あたしは息を吐き出した。
「この間のこともあるじゃないですか」
「この間…」
ちょっとばかり考えた。――美弥子さんに対する、中傷の紙を思いだす。
「…ああ…」
「ない、とは残念ながら言い切れないと思いますよ」
思い当たる節はなくても、実際会長の所には妙な抗議文は来てるじゃないですか、と眞清は淡々と続ける。
また、本に視線を落としていた。
…やっぱり本を読みつつ会話できる眞清の頭って、どうなってんだ?
「――でもさ」
あたしはまだ、言葉を続けた。
今日は眞清の誕生日だ。益美ちゃんいわく眞清はモテるらしいし、誕生日プレゼントだって、ちょっと考えれば想像もつくだろうに。
「…今日、眞清の誕生日だろ? 変なモンが入ってるかよ」
「……」
あたしの言葉に顔を上げた眞清がパチクリとした。
さっきよりも、明確に『驚いた』って顔をしている。
「え、蘇我君って今日誕生日なんだっ」
その声は、絵美ちゃんのモノ。
顔を向けると妙にニヤニヤしている絵美ちゃんと、なんでか絵美ちゃんに腕を掴まれている弥生ちゃんとがいる。
当然と言うべきか、益美ちゃんと春那ちゃんも。
「あ、そーなの? おめでとー」
そう言った益美ちゃんに「ありがとうございます」と眞清は礼を言う。
「ねぇねぇ、その袋ナニ? 貰ったプレゼント?」
絵美ちゃんが今も…にこにこってかニヤニヤってカンジに見える…笑顔のまま言う。
眞清は「さぁ?」と首を傾げた。絵美ちゃんが「え」と声を上げる。
「…おい」
あたしは思わず突っ込んだ。ここまできてまだ紙袋の中身をプレゼントとは思わないのか、お前は。
「謎のモノをそう簡単に開けてみよう、って気にはならないので…」
知りません、と眞清はあっさり応じる。
「あ…そ、う…?」
絵美ちゃんが若干歯切れ悪い声を上げた。チャイムが鳴る。
「…トイレ」
「え? あ、弥生!」
弥生ちゃんがそう言って、眞清のすぐ後ろのドアから出ていった。絵美ちゃんも弥生ちゃんに続く。仲がいいな。
益美ちゃんが「数学かー」とぼやきつつ席に戻る。
春那ちゃんはあたしの隣の席で、そのまま席に着いた。
「…なんかナゾの贈り物にヤな思い出でもあんのかよ」
今のチャイムは予鈴だ。授業が始まるまであと五分ある。
「ありませんが」
「ないのかよ」
すっぱり言った眞清に思わず切り返す。そんなあたしに「考えてみてください」と眞清は視線をあたしへと向けた。
「勝手に他人のロッカー…まぁ今回は靴箱ですが…とりあえず他人の場所に、断りもなく開けて物を入れて置かれていい気がすると思いますか?」
「……」
言われてみればそうなんだが…。
「…そう、ね」
応じるべき言葉に迷っていると、春那ちゃんが頷いた。
「…相手がわからないのはイヤね」
直接渡されるほうがいい、ってことかしら…と春那ちゃんが淡々と言う。
「勝手に自分の場所を荒らされるなら、そのほうがマシですね」
何か通じ合っている気がする眞清と春那ちゃんとを交互に見た。
「――…」
やっぱり続けるべき言葉が見つからなくて、そうこうしているうちにチャイムが鳴る。
今度は本鈴だ。
(靴箱くらいならいいような気もするんだが…)
眞清的に…もしかしたら春那ちゃん的にも…ダメなのか、と思う。
数学担当の藤沢先生が入ってきた。
まだざわついている教室に「始めるぞー」とちょっとばかりどすの利いた声が響く。
「起立」
今日の日直の声に、まだざわついてはいるが教室中でガタガタと立ち上がった。
ふと、先生のほぼ正面…弥生ちゃんと絵美ちゃんの席が空いていることに気付く。
(あれ?)
まだトイレから戻ってきてないのか…。
そんなことを思ったら「礼」と日直の声が続いた。