今日も一日の授業が終わった。…とはいっても、放課後即行帰ることは少ない。
帰りのホームルームが終わってすぐに学校を出ても間に合う電車はあるんだが、それだと結構混雑するのだ。
大抵、それより遅い電車に乗って帰っている。
遅い電車も、日によったり時間によっては混雑していることもあるけど…何はともあれ、電車の時間に合わせて行動する。
教室を出る時、眞清は朝から机に置きっぱなしで出しっぱなしにしてあった青い紙袋を手にした。
靴箱に到着して、靴を履き替える。
眞清は靴箱の上に青い紙袋を置きつつ、靴を履き替える。
眞清が履き替えるのを横目に見て、昇降口を出た。
駅に向かって歩いて…眞清は横っていうよりあたしの若干斜め後ろを歩くんだけど、しばらくしてから眞清の手に紙袋がないことに気付く。
「? あれ、眞清…紙袋」
そういえば靴箱の上に置きつつ靴を履き替えていた。
あの時に置いてきたまま、出てきてしまったってことだろうか。
「紙袋?」
聞き返してくる眞清に「置き忘れてきてるじゃんか」と思わず突っ込む。
美術室とかがある北校舎の横を歩いている状態で、ちょっと急がなきゃいけなくなるかもしれないけど、靴箱に戻ってからでもまだ電車に間に合うはずだ。
回れ右状態で、昇降口に戻ろうとしたあたしの肩を眞清が掴んだ。
「置いて来たんですよ」
あたしはじっと眞清を見た。眞清の言葉を、自分の中で繰り返す。
「……はあっ?!」
半ば叫んだあたしに「声が大きいですよ」と眞清は冷静に応じる。
「ほら、電車の時間に間に合わなくなりますよ」
あたしの肩から手を外して、眞清は歩き出した。…駅に向かって。
「…ぅおいっ!」
今度はあたしが眞清の肩を掴む番だった。
「なんですか」
「なんですか、じゃねぇって!」
どうして忘れ来てんだ…と言おうと思って『置いて来た』という眞清の発言に、眞清があえて――意思を持って『置いて来た』のだと思い至る。
「…何してんだよ…」
貰った物を置いてくる、って…。
「…言ったでしょう? 勝手に他人の領域に入ってくるのはいい気がしない、と」
しばらく考える。…昼休み、春那ちゃんと眞清が話していた内容を思いだす。
「…うーわー…」
あたしは昇降口に視線を向けた。
「…先、行きますよ」
宣言するとほぼ同時に、眞清はさっさと歩きだす。本当に、昇降口に戻る気はないらしい。
眞清が取りに戻る意思がないのにあたしが取りに行ってもしょうがない…だろうか。
(でも――)
あたしは昇降口のほうをじっと見た。
走り出す。…昇降口に向かって。まだ、電車にだって間に合うはず。
つってもあんまりのんびりしてはいられない。結構本気で走って、うちのクラスの靴箱に到着する。
「…へ」
ちょっと荒い呼吸のまま、うちのクラスの靴箱の上を見た。
…何も、置いてない。
眞清は確か、靴箱の上に紙袋を置いていたのに…。
ざっと見て、落ちてもいないことを確認する。
(おいおいおい…っ)
せっかく取りに戻ったのに…ってことじゃなく、ヒトのモノを誰か持っていったのか? って意味で突っ込みたくなった。
…誰に向ける突っ込みか自分自身わからないまま。
(あー…でも、無いんじゃ、しょうがねぇのか?)
そう思って、今度は駅に向かって走り出す。
昇降口の時計から判断して、そんなに慌てなくてもいいのかもしれないが…後で慌てるより、先に急いでおいたほうがいい。
ここら辺はそんなに電車の本数が多くないから、一度乗り過ごすと二十分くらい待たなきゃいけなくなることもある。
二月に入ったばかり…一時期より日が伸びた気もするけど、気温はまだ寒いほうだ。
寒空の下電車を待つのは結構キツい気がする。
今の時間、歩いている学生はまばらだ。
眞清の後ろ姿が見えた。人が少ないこともあって、眞清だとすぐにわかる。
眞清が振り返った。
「…昇降口まで行ったんですか」
「行った」
眞清の…なんか呆れてるっぽい口調で…言ったことに応じた。今も息が荒い。
「なんか知らねぇけど、なかった」
訊かれなかったが、あたしは呟く。『青い紙袋』を言わなかったけど眞清には伝わったらしく「そうですか」と言った。興味なさそうな様子にビシッと裏拳をかます。
「…なんですか」
「裏拳」
「それはわかります」
今まで結構マジメに走ってたからか、あがった息がなかなか戻らなかった。
駅に到着して、そのままホームに向かう。ホームも人の数は多くない。
「…やっぱ眞清ってヤなヤツだなぁ」
「しみじみ言いますか」
応じる眞清は別にいつもと変わらない表情だ。
「眞清への贈り物だっただろうに…受けとりゃいいだろ?」
「顔の見えないような相手から貰っても嬉しくない…というか、気味が悪いですね」
どきっぱり、言い切る。
その言い様に思わず「うぅーん」と唸ってしまった。
眞清の中で明確な考えがあるっつーことだな…。
「せめて開ければ、中にメッセージカードとかあったかもしれないだろ?」
「…ですから、開けるのが嫌なんです」
カンカンカンと警報機が鳴って、あたし達が乗る電車がやってくる。
「…わかんねぇなぁ…」
あたしはぼやいた。
想像どおりと言うか、時間どおりと言うか…電車が来た。
いつものように後ろの車両を待つ状態でホームを移動してるから、電車はゴトンゴトンと重そうな音と共に目の前を通り過ぎていく。
「…僕のほうも、わかりませんね」
「あ?」
電車の騒音はあるが、眞清の声は聞こえた。聞き返す。
キィーッと甲高い音がして、電車が一段とゆっくりになった。
「――他人の物を、どうしてそんなに気にかけてるんですか」
続いた問いかけに、あたしは瞬いた。
一際また高い音がする。電車が、止まった。
まずは、下りる人からっていう暗黙の了解に従う。
つっても、あたし達が乗ろうとしたドアから降りたのは一人だった。
あたしと眞清は電車に乗り込む。壁に背を預けた。
「…そういや、そうだな」
あたしは頷いて眞清に視線を向けた。ちょっとばかり目を丸くしている様子に気付く。
なんか、驚かせたか? と思いつつも、それは言わないまま問いかけた。
「突っ込み過ぎか?」
「……」
目を丸くしたまま、眞清があたしを見る。
数度瞬くうちに、いつもの表情になった。
「突っ込み過ぎ…というか、まぁ、克己の普段の程度だと思いますが」
「その問いかけに驚きです」とも続く。
「…そぉか」
その答えもどーなのか、とかこっそり思うが…まぁ、一番一緒にいる時間が多い眞清がそう言うんなら、そうなんだろう。
「気を悪くさせたんだったら、悪いな。…と、思って」
眞清がまた目を丸くする。…いちいち驚きやがって…。
「…どうかしましたか?」
切り返しに「あ?」と応じる。
どんどん日が暮れて、窓の外は暗くなっていく。
車内にはとっくに明りがついていて、車内のほうが明るい。
「…そんなこと考えるなんて…何か、ありました?」
その問いかけに今度はあたしが目を丸くした。
くっ、と笑う。…もしかしたら、苦笑みたいになってしまったかもしれない。
「『自分の領域に勝手に入られるのがイヤ』だろ?」
眞清を示しつつ、言った。眞清はちょっとの間を置いて「そうですね」と頷いた。
「…あたしは多分、眞清の『領域』にズカズカ入ってるから、さ」
今度は自分を示しつつ、言った。
他人との距離の取り方は人それぞれだ。
あたしはおそらく、ズカズカ距離を縮めようとするほうなんだろう。
眞清は…どっちかっつーと、一定の距離をおいて付き合うほうだと思える。
――だからこそ、中学の時に一回キレられたんだと思うんだが。
それでも結局、今付き合ってくれてる…一緒にいてくれてる、眞清。
「――今更、ですね」
ぽそりと眞清が呟いた。
「克己は最初からずっとそうだったじゃないですか」
眞清の言葉を聞きながら、あたしは自分を示していた手をそのまま腕組みをする。
「まぁ、な」
眞清の言う『最初』はきっと…中学になってコッチに戻ってきた時だろう、と予測する。
(コッチにいた時の『最初』は…どうだったんだ?)
ずっと小さい時だから、覚えていない。
眞清と最初に出会ったのは…小学校に上がる前だ。
「…諦めてますよ、克己に関しては」
続いた言葉に「そっか」と頷いた。『諦めている』という言葉に笑ってしまう。
「――本当に腹が立ったら、ちゃんと怒りますから」
つまり中学の時にキレたのは『本当に腹が立ったから』ってコトか、なんて思う。
「まだ範囲内か?」
問いかけると「えぇ、まあ」と眞清が応じる。
「まだ、大丈夫です」
「まだ、ね」
くくっと笑った。
『諦めている』と言って、『まだ大丈夫だ』と言って…なんだかんだで一緒にいてくれる眞清。…一緒にいてくれてる、眞清。
笑いは、自然と収まる。
(やっぱ眞清は――イイヤツだ)
何度も何度も思ったことを、また思った。
雑談しつつ電車から降りて、駅から家に向かうまでも雑談は続いて…眞清の家の前に到着した。
眞清はいつもどおりに「それじゃあ」と、さっと別れる。
あたしはそれを、「ちょっと待て」と阻んだ。
「え」と短く声を上げた眞清に「ちょっと待ってろ」と言ってあたしは家に向かう。
「ただいま」と言いつつ自室に向かった。
上着とかは脱がないで、鞄だけ机の脇に置く。
今朝机の上に置いた、用意しておいたプレゼントを手にするとまた外に出た。
「待て」と言ったからか眞清は外にいて、ぼんやり空を見上げていた。
少しばかり星が出ている。あたしは星座とかわからないけど…。
「星座でも見えたか?」
「いえ…ちょっと星座はわからないですね」
問いかけに応じながら眞清があたしを見た。
多分「なんですか」とでも言うために口を開きかけた眞清の目の前にプレゼントを差し出す。
小さいモノだ。片手で持てる。
「誕生日おめでとう、眞清」
「……」
目の前に出していたプレゼントを下ろした。
今度は眞清の手に差し出す。
「ナゾのプレゼントだけど、送り主はあたしだぞ」
眞清は相手もわからないような贈り物は開ける気になれない、と言っていた。
(…ん? 勝手に自分の領域を荒らされて置いとかれてもいい気はしない、って言ったんだっけか?)
一人、考え直す。…まぁ、どっちでもいいかと思って、手を下ろしたままの眞清のミゾオチ辺りに、プレゼントを軽く押しつけた。
「…どうも…」
眞清がようやく手を差し出した。その手にプレゼントを載せる。
「よかったら使ってくれ」
それだけ言って、「じゃあな」と眞清に背を向けた。
明日も学校だ。明日も眞清に会う。その時に、使えそうだったとか…感想を聞こう。
「克己」
呼びかけに振り返った。眞清はまだ、動かないでいたらしい。同じ場所に立っているように見える。
「…ありがとうございます」
その言葉に「いや」とあたしは軽く手を上げる。
「あたしも貰ったし」
貰った誕生日プレゼントのお返し。…それだけではなく、いつもの感謝も込めて。
短いけれど、メッセージカードも添えた。――感謝の言葉を。
「また明日な」
そう言って、軽く手を振った。眞清も軽く手を上げる。
もう一度「ただいま」と言って、家に入った。