気付けばバレンタインまでもう少し。ちゃくちゃくと、日が近づいていて…心持ち、空気がそわそわしているように感じられる。
気のせいかもしれないが。
(…っつーかそういう話を連発で聞いたせい、か?)
――先日、絵美ちゃんと弥生ちゃんとトイレでちょっと話をした。
なんでトイレ? とか思うが…まぁ、考えてみれば『手近な密室』なのかもしれない。教室よりも狭い空間だし、トイレの出入り口にもちゃんとドアがあって、誰か来ればすぐにわかる。
…それはさておき。
あたしが眞清と付き合っているのか、眞清に彼女がいるのか――。
最後に、「協力してくれ」と言われてからようやく、『眞清が好きでバレンタインに告白したい』っていう目的が予測できた。
あたしって鈍いのか? と思いつつ…。
ただ、話を聞いていくうちに「あれ?」とも思った。
熱心に口を開くのが絵美ちゃんだったから、てっきり絵美ちゃんが眞清に告白したいと…絵美ちゃんが眞清のことが好きなのかって思ったんだけど、違った。
弥生ちゃんが、眞清を好きらしい。
『協力できることなら、するよ』
絵美ちゃんと弥生ちゃんに、応じた。
見るからにテンションが上がった絵美ちゃんに笑って、嬉しそうに笑った弥生ちゃんを微笑ましいとも思った。
(青春だなぁ)
もしかしたら『干からびてる』とか突っ込まれるかもしれないことを思う。
…すごいな、とも思う。
あたしにだって、好きな他人はいる。
家族、眞清…短い日本の中学時代にできた友達、春那ちゃん、益美ちゃん、元学生会のメンバー…アメリカの友達だって好きだし、大切だ。
…でも、『誰か』をLOVEの意味で『好き』になること――その感情。
怖いと思う。…思ってしまう。
――激情すらはらむ、あの感情。
『LIKE』な人なら、いっぱいいた。けど…『LOVE』の好きな人はいない。
――怖い。
今は誰かを思えない。…想うことはできない。想われることが、怖い。
(これで眞清がOKしたら…離れなきゃいけねぇってことだな)
意識せず、横腹に爪を立てた。
キリキリとした刺激に意識を向けて…痛む気がする背中を、無視する。
美弥子さんに「手伝って」と言われたことも、公式な学生会の業務ではなく、美弥子さんが『頑張りたい』と言っていたお助け隊としての役割で、バレンタインの内容だった。
何やら、一年生が三年生と遭遇できるチャンスを作って欲しい、と。
で、美弥子さんはひとまず一年生と三年生のその日のスケジュールの把握をしたい、と言った。
美弥子さんは二年生。でも、三年生に知り合いもいるから…この場合、多分涼さんのことだったと思う…調べられるけど、一年生の知り合いは部活の後輩くらいで、できれば内密に進めたいからあたし(と眞清)に、二月十四日の、それぞれのクラスの日程――時間割とかを調べて教えてほしい、と言われたのだった。
その辺の作業はもう終わっている。
うちのクラスは当然把握できるし、他のクラスにも…同中の子とか、高校に入ってからできた友達だとか…友達はいる。
あたしもちょっとは調べたけど、眞清と益美ちゃんのチカラが多かった。
眞清のほうが同中の子と仲がいい…付き合いが長いってものあるし、益美ちゃんに関しては『さすが報道部!』っていう感じの情報収集力だった。
「もうすぐバレンタインだねー!」
益美ちゃんが教室のカレンダーを見て、不意に言った。
(バレンタイン、か)
日本じゃ女の子の告白の日…って感じになってるみたいだ。
春那ちゃんに言わせれば「お菓子メーカーの陰謀ね」ということらしいが…チョコレートを贈って、好きな相手に想いを伝えるのが主流、と。
「去年は貰ったりした?」
益美ちゃんが取材体勢になりつつ、眞清に問いかけていた。
あたしが眞清と同じ中学に通うようになったのは三年の二学期…九月からで、あたしと同級生っていうと、『中学最後のバレンタイン』なわけで…そういえば、受験前にも関わらずチラホラ女の子がチョコレートをあげるのを見たな、なんて思う。好きな人がいる女の子にとっては一大イベントのようだ。
「…受験の現実逃避だったんじゃないですか」
ぽそりと漏らした眞清に「答えになってないよ」と益美ちゃんが突っ込む。
(そういえば…眞清もいくつか貰ってた…か?)
少し考えて、思いだした。
確か眞清の靴箱と机に何か箱が入っていて、「ナニソレ」と…その時はよくわかってないまま…訊いたら「多分チョコじゃないかと思います」と淡々と答えていた。
その箱を、同じクラスに小さくて(まぁ、あたしより大きな女の子はいなかったが)元気で可愛い女の子…潤っていう子がいたんだけど、その子に「あげます」とあげてしまっていた。お菓子とか甘いモノが好きって言ってた潤は「ありがとう!」って受け取っていた。
…っつーか今更だが、貰った物をそのまま横流しってどうなんだ、眞清…。
確か開封すらしてなかった気がする…。
(この時もスデに『他人の領域に勝手にモノを置いてくな』っつー思考があったってことか…)
「そいえば、克己は? 誰かにあげたりしたことないの?」
益美ちゃんの問いかけに、少し考えてから応じる。
「…あげたことは…ない、なぁ…」
あたしはアメリカにいた間日本人学校に通っていたから、周りは当然ながら日本人ばっかだったんだけど…習慣は、アメリカの習慣も混ざっていて、バレンタインに関してはアメリカ流だった。
男女問わず、想いを伝える日だったのだ。あと、特別チョコレートを限定で贈るっていうのもなかった。
…っていうのを思いだして話したら益美ちゃんに「へぇ〜っ!」と妙に感心されてしまった。
「そういえば克己、帰国子女だもんね〜!」
「…そうなるのか?」
日本人学校に通ってて、ほぼ日本人に囲まれて過ごしていたあたしだが『帰国子女』のくくりになるのか? とか思ったあたしはなんとなく眞清に問いかけると「いいんじゃないですか」と返ってくる。
「…あ! 『あげたことはない』ってコトは、貰ったことはあるの?!」
益美ちゃんが妙にキラキラした目で問いかけてくる。
「え?」と言って…ツキリ、と背中が痛むような気がした。
道端にある小さな花…キレイな石。貝殻。
キャンディー…チョコレートやクッキーなどのお菓子。
『克己』
小さかった手。…追い抜かされた背。
変わらない瞳。
真っ直ぐで、でも不安そうで――あたしが笑うと、相手も笑った。
――レオン。
誕生日、クリスマス、バレンタイン。
受け取って…貰うばかりで。
贈り物の『最初』はいつも、レオンからだった。
バレンタインは、毎年意識していなかった。
…バレンタインは、恋人同士の行事。想いを伝えるためのイベント。
――あたしとレオンには関係ないと思っていた。
大切な、友達。
一つ年下の…カワイイ、弟みたいな――。
『大好きだよ』
背中が…傷痕が、大きな針か何かで引っ掻くように、痛む。
あたしは横腹に爪を立てた。背中の痛みを、その刺激で凌ぐ。…無視をする。
――気付かない、ふりをする。
「…おう」
あたしは益美ちゃんに応じて笑った。…笑えた、だろうか。
「ってことはナニナニ?! 告られた?!」
目をキラキラさせながら続いた益美ちゃんの質問に「ノーコメント」と唇に人差し指を当てる。
「えー! ケチーッ!!」
むぅ、と表情をくるくる変える益美ちゃん。可愛いなぁ、と思う。
「…今度、な」
口元から指を外して応じる。益美ちゃんは手でメガホンを作って「その今度はいつぅ〜っ!!」と叫んだ。
その様子に笑う。…ちゃんと、笑えてるはずだ。益美ちゃんのテンション、高くて面白いし。
「あ、今年友チョコ用意してあるから」
ピシッと益美ちゃんがピースした手を横にして額に当てる。
「…ともちょこ?」
あたしは聞き返した。
「友達に贈るチョコ、よ」
春那ちゃんがそう教えてくれて「友チョコ」と頭の中で変換できた。
「…あー、愛のコクハクだけじゃないんだ」
「そうそう、今のバレンタインは友情の確認日でもあるわけだよ」
額に当てていた手を外して、益美ちゃんが胸を張る。
感心して「マメだなぁ」と呟いた。…今も、横腹に爪は立てたまま。
「なんだかんだでイベントは乗ったモン勝ちだと思う」
「…日本人ってイベント好きよね…」
春那ちゃんがぽそりと言った。
「お祭り好きなのかもね」
春那ちゃんの呟きに益美ちゃんは「お正月、バレンタイン、ひな祭り、ホワイトデー、花見、子供の日…」とあげていく。
「…そう言われりゃ、そうかもな」
あたしも頷く。――バレンタインから話題が逸れたことに、少しばかりほっとしてしまっていた。