「大森さん」
呼びかけに顔を上げる。声は、絵美ちゃんのものだった。
「…お先、に」
ドアを示しつつ、絵美ちゃんが言う。弥生ちゃんも一緒にいた。
あたしは教室を見渡す。
なんか、今日が特別多いのか、三分の二くらい席が埋まってて、クラスメイトが残っているように見えた。
(じゃあ、階段のところで…ってことだな)
眞清に手渡し作戦、確かに教室じゃやりにくそうだ。
あたしは軽く頷いて「またな」と手を上げる。
「眞清を連れてくから」という意味合いを込めて、上げた手の親指だけ立てて、背中のほう…壁側を示した。生物室があるほうでもある。
軽く親指を立てたまま胸元を叩く。「任せろ」と。
全てが伝わったかわからないけど、絵美ちゃんがにっこりと笑う。
「じゃあ、ね」
弥生ちゃんにも「おう」と応じて、理恵子ちゃんと三人を見送った。
「なんか今日さ、人多くないか?」
ふと思ったことを、春那ちゃんと更科に告げる。
春那ちゃんは帰りの支度が終わったみたいだけど、もう一度座りなおした。
もうちょっと、付き合ってくれるみたいだ。
「そういえば…そう、かしら?」
春那ちゃんが振り返って教室を見渡す。更科が「そんな感じするなぁ」と頷いた。
「そういえば大森…今朝の」
あたしは更科の言った言葉を繰り返す。
「今朝の?」
「…中身、見たか?」
「……」
続いた言葉に瞬いた。「開けてない」と手を横に振る。
「家に帰ってこっそり見るよ」と言えば、更科が「こっそりかよ」と切り返してきた。
「更科…ウラヤマシイからってそんなにチェックするなよ」
冗談っぽく、そう言った。
「ウラヤマシイってか」
更科はそう言って、そこで止まった。チラッと春那ちゃんを見たことに気付く。
「…女子からマジ告白されてたらすげぇな、大森」
「かっこいいんだな、あたし」
「自分で言うな」
更科の素早い切り返しにあたしは笑う。
冗談で返して、冗談を返されて。…それでいい。
春那ちゃんを見た。目が合うと、春那ちゃんが少し困ったような顔をする。
「…大変ね」
その言葉に更科が春那ちゃんを見た。春那ちゃんは更科を見て、あたしへと視線を移す。
「克己ちゃん、色々とモテて」
春那ちゃんの言う『色々と』にちょっと含みを感じた気がした。
けれど、突っ込んだりしないで「別に大変じゃないぞ」と意味もなく両手を広げる。
「お菓子とか嬉しいし」
言いながら、春那ちゃんがくれたクッキーを示した。
「ありがとな、春那ちゃん」
もう一度、お礼を言う。春那ちゃんが数度瞬いて、笑った。…少しだけ、苦笑にも見える笑顔で。
「…どういたしまして」
「お返し、ちょっと待っててな」
そう言いつつ、もう一枚食べる。紅茶の味が口の中に広がった。
「ホワイトデーの時で十分よ」
言いながら春那ちゃんが軽く指を組む。あたしはもくもくとクッキーを噛んで、飲み込んで…問いかけた。
「ホワイトデーって、なんだ?」
「「え」」
春那ちゃんと更科の声がハモる。そんな二人にあたしも「え?」と声を上げてしまった。
「…知らなかったんでしたっけ?」
その声にあたしは視線を向ける。視界の隅で後ろのドアから入って来てたのは、眞清だった。
「おう」とあたしは頷いた。普通に会話を続ける。
そういえば…そんなに準備らしい準備もないが…帰る支度をしていない。
あたしは今日貰った二つの箱と、まだ残っている春那ちゃんからのクッキーをカバンに入れた。
それからペンケースと、宿題で使うノートを。
「…バレンタインの返事をする日、って感じかしら」
春那ちゃんが教えてくれる。
「へぇ…そんな日あるんだ」
去年、そんなのあったか? と考える。…バレンタインで何か贈っている女の子は見たが…。
「眞清、去年はホワイトデーってあったのか?」
「…一応ありましたよ。年によってあったりなかったり…なんて聞いたことがありませんが」
「あ、そうなのか?」
ホワイトデーが『バレンタインの返事をする日』ということは、男が女の子に何かを贈る日…っていう認識でいいんだろうか。
「三月十四日だ」
更科がポソッと言う。
思わず「あ?」と聞き返した。更科は「三月十四日だ」と繰り返す。
「一ヶ月後だよ」
「へぇ…」
そうなのか、と思った。あたしは春那ちゃんに視線を向ける。
「じゃあ、ホワイトデーには何か、用意するようにするな」
もう一回春那ちゃんに「ありがとう」と言いつつ、立ち上がる。
カバンを背負って「お先」と春那ちゃんと更科に声をかけた。
春那ちゃんが「じゃあね」と、更科が「…ああ」と応じるのを聞きながら、図書室から戻ってきて立ったままの眞清に「行こう」と促す。
手に、結局朝から出しっぱなしにしている三つのチョコ(と思われる箱と紙袋)を持った。
「…それじゃあ」
眞清はそう言いながら、軽く頭を下げた。
あたしは廊下に出ると、生物室がある階段方面にむかって歩きだす。
そっちに行く前にも階段があって、学生会室に行く…と考えた時にはある意味遠回りになるあたしの行動に「克己?」と眞清が声をかけてくる。
「ん?」と振り返った。
教室は結構ざわついてるが、廊下は案外人が少ない。数えられそうな程度だ。
「あぁ、ちょっと自販よってく」
生物室のほうにある階段を下りたところに、自動販売機が置いてある。
あたしの言い訳に「…そうですか」と眞清が頷いて、斜め後ろくらいに並んだ。
そこで眞清が「それじゃあお先に」と言うことはなくてほっとする。
…まぁ、ここで「お先に」と言われたら、弥生ちゃん達に協力することができなくなってしまうから、困るわけだが…。
昇降口の上にあたる場所を通過して、生物室とかがある北校舎に向かう。
階段の手すりに手をかけた。
踊り場に、弥生ちゃんと絵美ちゃんと理恵子ちゃんが立っていることを確認する。
軽く辺りを見渡して、あたし達…眞清と弥生ちゃんと絵美ちゃんと理恵子ちゃんと…五人以外の姿がないことを確認した。
階段を、下りる。
弥生ちゃんが絵美ちゃんと理恵子ちゃんに肩を叩かれて、階段を上がる。
「ガンバレ」と、声にしないで弥生ちゃんに告げた。
…弥生ちゃんに届いたかはわからない。俯き加減だったから。
「あの…っ!」
声に、あたしは一瞬止まった。
…けど、あたしが止まる必要はないか、とそのまま足を進める。
「蘇我、…くん…っ!」
続いた呼びかけに、眞清が足を止めたのがわかった。
あたしは振り返って、「先行くぞー」とだけ言う。
踊り場にいた絵美ちゃんが「ありがとう」と両手を合わせたのを見て、「いいや」と軽く手を上げた。
(ガンバレ、弥生ちゃん)
あたしは階段を下りきって、自動販売機の前に立つ。
春那ちゃんがくれたおいしい紅茶クッキーに合うのはどれだ、と並んでる飲み物を眺めた。
(できれば温かいほうがいいかな)
温かい物は、コーヒーとココアとミルクティーとお茶だった。
小銭が入ってる学校用の財布を取り出して、もうしばらく考える。
(…お茶でいいか?)
そう思いながらチャリンとお金を入れた。飲み物のそれぞれのボタンが点灯する。
お茶…色々なモノがブレンドされているヤツ…の温かいモノを選んで、押す。
ガコン、と取り出し口に落ちてきた。
選んだとおり、温かいお茶だ。振る必要はないのかもしれないが、いつものクセで缶を振った。
プルタブを持ち上げる。
早速、飲み始めた。ぼさっとここに立ってても邪魔かもしれないし、傍にはベンチもあるから、そこに向かう。
腰を下ろして、また一口飲んだ。
缶の開いた口から、細く湯気が立ち上る。なんだかんだでやっぱり寒いみたいだ。
(日も短めだしなぁ)
まだ四時くらいのはずなのに、空はすっかり夕方めいている。
夏だったら六時とか…下手をすればもっと遅くの空の色。
もう一口飲んだ。
なんとなく振り返って、階段のほうを見る。まだ、眞清は下りて来ない。
(ちゃんと渡せたかな)
心の中で弥生ちゃんを応援する。もう一口飲んだら、眞清が下りて来た。
弥生ちゃん達は来ない。二階に行ったのか…踊り場辺りで留まっているのか。
自販からこっちに視線を移した眞清と目が合う。
軽く手を上げると眞清が歩み寄った。
教室から出た時に持っていたのは箱が二つと紙袋が一つだった。
けれど今は、箱が三つと紙袋を二つ持っている。
(あれ?)
あたしは、一方の紙袋に注目した。
今日、眞清の机の中に入っていたらしい紙袋は確か、ピンク色だったはず。
眞清が持っている青いギンガム・チェックの紙袋に意識せず首を傾げた。
…なんか、見たことある気が…。
しばらく考えて、記憶にヒットした。思わず「あ」と声を上げてしまう。
「…どうか、しましたか?」
「あ…いや」
一人で発見して、一人で納得したあたしは「なんでもない」と首を横に振る。
眞清が持っている青い紙袋は、確か眞清の誕生日の時に眞清の靴箱に入っていたヤツだ。
誕生日…眞清があえて置いていくという暴挙に出ていた。
…その時のプレゼントと、よく似ている…というか、見た限り同じものに見える。
(あれって弥生ちゃんからだったのか)
眞清は全部で五つのプレゼントを右手で持って、ちょっと持ちにくそうにしていた。
…っつーか、カバンにでも入れればいいと思うんだが…。
「カバンにでも入れたらどうだ」
あたしの提案に眞清は「…あぁ…」と何ともビミョーな反応を返す。
その態度に思わず苦笑した。
「…克己」
眞清の呼びかけに、お茶を飲んでいたため「んあ?」と態度悪く応じる雰囲気になる。
ちょっとの間を置いて、眞清は「学生会室に来いという話じゃなかったですか」と言った。
「あ…そうだな」
自販に寄ったのは、弥生ちゃん達に協力するために後付けの理由にすぎない。
美弥子さんに「来てね」と言われてたから、行かなきゃな。
「一口、貰えますか」
「ん?」
一瞬なんのことかわからなかった。しばらくして「あぁ」と応じる。
お茶をくれ、ということか。
「一口じゃなくて、全部飲んでもいいぞ」
眞清を待っている間に半分くらい飲んでいた。
そこそこ喉の渇きも癒せたし、腹も温まっていた。
「…じゃあ、いただきます」
「おう」
眞清に缶を手渡す。
右手にプレゼント、左手に缶…と両手が塞がった状態で、眞清はお茶を飲んだ。
手で触ると熱かったりもするが、缶の中身はそうでもない。…と、あたしは思う。
もうお茶も冷めていて飲みやすい温度なのか、眞清はこくこくっとそんなに躊躇う様子なく、飲み干した。
眞清が缶から口を外して、軽く振る。ゴミ箱に空き缶を入れた。
あたしは立ち上がりつつ「行くか」と言うと眞清が「はい」と頷いた。