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⑥バレンタイン#2
<思い模様>

 五時くらいまで見張っててくれればいい、という美弥子さんの言葉どおり、五時くらいまで眞清と雑談しながら体育館の裏に向かう場所を眺めていた。
 …正直、それらしき人も見えなかったんだが…一応、意味はあったんだろうか?

 女の子にとって、もしかしたら特別かもしれないバレンタインが終わりに向かっていた。
「あ…」
 学生会室に向かおうとしたら、見覚えのある人が歩いていた。
 …ってか、なんか結構久々に会う気がする。
「涼さん!」
 呼びかけに気付いてくれた涼さんが「久しぶり」と笑った。
 今日もピシッとした印象だ。学生会の元…というか前というか…副会長で、美弥子さんとも仲がいい。…仲がいいってか、美弥子さんがすっげぇ涼さんを好きっぽい。
 支部室秘密基地を使わせてもらうテストの答えも「涼さんか?」とか思ったくらい。
(……あ)
 そんなことを思って、ふと思い至った。
 体育館の裏を見張って、と言われて…「渡されるほうとか渡すほうの邪魔しちまったら意味がねぇな」と言ったあたしに、美弥子さんは言った。
『そこまで大森さんの勘が悪いとは思わないもの』
 ねぇ、と同意まで求められたが…。
(…そっか、それで…あたしの勘が悪くない、ってコトになったのか…)
 支部室を使うための『テスト』というのが、『美弥子さんの好きな人は誰か当ててみろ』ってヤツだった。
 その正答を答えたのは、眞清だったわけだが。
(…その考えでいくと、別にあたしは勘がいいともいえないんじゃ…)
 うぅーん、と考えていると「大森さん?」と声をかけられる。
「あ…っ」
 自分の思考に没頭して、ぼーっとしてしまっていた。
 あたしは慌てて顔を上げる。涼さんが不思議そうな顔をしていた。
 …と、今更だが。
「あれ? 今日は冬哉さんはいねぇの?」
 思わず涼さんの後ろを覗き込むようにしながら問いかける。
「いつも一緒なわけでもないのよ?」
 ちょっとばかり苦笑気味に、涼さんは応じた。
「今日、冬哉は先に帰ったの」
 あたしは美弥子ちゃんに呼びとめられて図書室にいたのよ、と涼さんは続ける。
「涼先輩!」
 語尾にハートマークがついてそうな勢いの呼びかけが聞こえた。
 振り返ると、嬉しそうな満面の笑顔の美弥子さんがいた。
 …カワイイなぁ。
 大好きだって、態度でわかる。
「今日はスイマセン…っ!」
 ペコリと頭を下げる美弥子さん。「いいのよ」と涼さんは軽く手を横に振る。

「本当はお待たせしないで渡したかったんですけど…」
 言いながら、美弥子さんは持っている紙袋に手を入れた。
 持っている紙袋よりも小さい大きさの紙袋を涼さんに差し出す。
「これ、よかったら食べてください」
「…わざわざ用意してくれたの?」
 涼さんは驚いたような声を上げた。
 あれか、『友チョコ』ってヤツか。二人の様子を見ながら、そんなことを思う。
「あの、すごく今更になっちゃうんですが…ストラップのお返しができてないな、って思ってて…」
 ストラップ、とあたしは考える。思いついて、あぁ、と意識せず軽く手を叩いた。
 前に美弥子さんが、涼さんから手作りのケータイストラップを貰ったと言っていたことを思いだす。
 そのケータイストラップを貰ったのがいつだったのかわからないが、そのお礼にチョコってことらしい。
「別に、いいのに」
「あたしがよくないんです! …というか、あたしが勝手に用意しただけなんですけど…」
 美弥子さんが涼さんと話してるのを見てて、嬉しそうだなと感じる。
 ちょっとキツい印象の美弥子さんだけど、(なんつーか…特に男に対して遠慮がないというか…)涼さんの前だとオトメチックだ。…なんてことを思う。ちょっと失礼な思考かもしれないが。
(…あれ? そういえばそもそもあんまり女の子と一緒にいる美弥子さんを見たことがないかも?)
 副会長である百瀬さんと話しているのは見たことがあるが、それ以外の女の子と喋ったり…ってか仲良くしているのを見たことがない。
 学年が違うし、学生会室以外では会ったり見たりしないせいか、とか思う。
(いつだか梶原さんが女友達少ないとか言ってた…か?)
 記憶の片隅にそんな情報があった気がした。
 一人でそんなことを考えている間、少しの沈黙がある。
「…ありがとう」
 しばらくの間を置いて、涼さんが美弥子さんから紙袋を受け取った。
 美弥子さんがぱっと笑顔になる。
 その笑みに、美弥子さんは本当に涼さんが好きなんだなと思った。
 …美弥子さんの『好き』な人が涼さんでもおかしくないように思える程度に。
(でも…)
 美弥子さんの、支部室秘密基地を使わせてもらうテスト――その答えである『好き』な人は違う。
 …違うと言っていた。
 その答えを言ったのは眞清で、あたしとしては意外な人だったんだが…。

「すーずっ!」
 涼さんを呼ぶ声が響いた。
 声のほうに振り返る。
 …こっちの人も、久々に見た気がする。
「野里さん」
 あたしが呟くと「よぉ」と軽く手を上げた。
 野里さんも涼さんと同じ副会長。なんとなく大型犬っぽい印象で…美弥子さんと同じく、涼さんを好きっぽい。…と、態度からわかる程度に好意を露わにしている。
 美弥子さんが「チッ」と舌打ちしそうな顔をした。
 そんな美弥子さんの表情に気付いたのか「そんな邪険にすんなよ」と野里さんが苦笑する。
(……うーん…)
 あたしは野里さん、美弥子さん、そんな二人に挟まれるような現状の涼さん…とそれぞれを見た。
 野里さんは涼さんを多分好きで…美弥子さんも、涼さんを好きで。
(…でも、野里さんのことを『LOVE好き』なんだよな)
 美弥子さんの『LOVE好き』な人は野里さんなのだと、本人から聞いた。…問題の答えとして、そう答えた言ったのは眞清だったんだが。
 態度だけじゃ、そう思っているように見えない。…少なくとも、あたしには。
「…何よ、野里」
 涼さんの態度に「冷てぇな」と野里さんは笑う。…言ってる内容とは裏腹な、嬉しそうな笑み。
「おれに恵みの糖分はナシ?」
『糖分』という言葉にあたしは瞬いた。ちょっと考えて、バレンタインのチョコのことかと思い至る。
 直球だな、なんて思っていたら涼さんが「ないわ」とあっさり言い切った。
「きっぱりかよ」
 野里さんはくくっと声にして笑った。
「ねだるのはどうかと思いますけど?」
 美弥子さんが鼻で笑うようにして呟く。
「男も当って砕ける!」
「…バレンタイン今日ってそういう日でしたっけ?」
 こっそり眞清が呟く。あたしは「さぁ?」と首を傾げた。
 バレンタインっていう習慣をあんまよくわかってないままだし。
「細けぇこと言うなよ」
 眞清の呟きが聞こえていたらしい野里さんがまたくくっと笑った。

 野里さんはどうも、笑っている印象が強い。
 人懐っこい表情。目が丸っこいせいか、そう思わせる。
 体はでかいが、人懐っこそうな印象のせいか圧迫感はあんまない。
 涼さんと美弥子さんの態度にも怯まず、へこたれない。
(なんだかんだで強いヒトなのか?)
 強いっつーか、したたかっつーか…。
(――能天気なだけか?)
 そんなことを思ったら、野里さんと目が合った。
 あんまりにもばっちり合って、ちょっと驚く。
「「なんだ?」」
 野里さんとあたしと、ほぼ同時に言った。
「…何ハモってるんですか」
 ぽそりと美弥子さんが呟く。
「「さぁ?」」
 また同時に言った。
 美弥子さんに顔を向けていた野里さんとあたしだったんだか…その同時っぷりに思わず顔を見合わせる。
 ふっと吐息の漏れるような音が聞こえた。…それは、涼さんのモノで。
「…何してるの」
 問いかけるというよりは、思わず零れたというような声だった。
 …吐息が漏れるような音は、涼さんが笑ったからだった。
 やっぱり涼さんは、笑うとぐっと優しい印象になる。
 いつもピシリとした雰囲気が崩れて、柔らかい雰囲気になる。
 なんとなく、野里さんを見た。
 …野里さんも、笑っている。
 さっきまでの人懐っこい笑みとは違う…もっと、嬉しそうな、笑顔。
 涼さんの笑顔に、嬉しそうに笑っている。
(――あぁ…)
 好きなんだな、と…思った。
 ――好きなのだろうな、と思えた。
 あたしは自分に向けられる『LOVE』の感情が怖いけど――こうやって見ている分には貴い感情なのだろうな、と思える。
 …そうやって『誰か』を想う感情も、『誰か』を想える誰かも、すごいなと。

「ん? そーいや冬哉は? 今日はもう帰ったのか?」
 野里さんの問いかけに涼さんは「ええ」と頷く。
「ふぅん」とぼやいて、野里さんはまた問いかけた。
「涼はもう帰るのか?」
「そのつもりよ」
 頷いた涼さんに野里さんが「じゃ、一緒に帰ろうぜ」と続ける。
「…なんで」
「え? おれも帰るから?」
 野里さんが当然のように答える。涼さんは不自然に視線を外した。
「…じゃあ、あたしはまだ帰らないわ」
「そこまで嫌がるなよ」
 涼さんの続けた言葉に野里さんが苦笑する。苦笑は、数度瞬いて消えた。
 苦笑のような…少し、違う笑み。――ともすれば『寂しげ』とか『切なげ』とも見える、笑み。
「――卒業までもうちょっとだしさ」
 続いた言葉…告げる声音は、静かなものだった。
卒業それまで、いくらか付き合ってくれよ」
「……」
 涼さんが、沈黙で応じる。視線は今も、野里さんから外したままだ。
 ――前に、あたしは涼さんに『涼さん自分を好きな相手が怖くないか』と訊いたことがあった。
 あの時の答えは『怖くない』だったけど、今も『怖くない』そうなのだろうか。

「…涼先輩嫌がってるんですから、一人で帰ったらどうですか」
 美弥子さんがぽそりと言った。
 小さな声だったけど、ここにいるメンツにはとどく。
 ふっと吐息が漏れる音が聞こえた。「マジか」と言って、野里さんが笑う。
 …そこに、寂しげとか切なげなものは見えない。
「見ればわかると思いますけど?」
 美弥子さんが腕を組みつつ、続ける。
 野里さん、涼さん、美弥子さん…ってカンジで三人の立ち位置は変わらない。
「そぉか」
 野里さんは言いながら苦笑した。
「…あぁ…」
 美弥子さんはふと思いだしたような声を上げる。
「これ…」
 涼さんに渡した紙袋が入っていた紙袋から、ひとつ何かを取りだした。
「毒入りですが、どうぞ」
 明確に『毒入り』と言い切った美弥子さんに野里さんが「マジか」と再び言う。
「涼先輩を困らせないでください」
 言いながら、差し出した。
 野里さんは「約束はできねぇな」と言いつつ、美弥子さんが差し出した物を受け取る。
「…ソコは約束してもらうところだと思いますけど」
 野里さんの手から美弥子さんの手が、離れた。
「涼がドコで困るかわかんねぇからなぁ」
 ぽりぽりと、左手で頭を掻く。右手には、美弥子さんから受け取った『物』があった。
「ありがとな、美弥子ちゃん」
「…毒入り、食べちゃってくださいね」
「…毒入り宣言もありがと」
 くくっと野里さんは再び笑う。
「美弥子ちゃん」と涼さんが声をかけた。呼びかけに、美弥子さんの顔がグリッと涼さんに向けられる。
「私も…本当にありがとうね」
「いいえ!! こちらこそ、ストラップのお礼が遅くなっちゃってごめんなさい…っ!」
 美弥子さんは言いながら、ペコリと頭を下げた。
 野里さんと喋ってる時よりも、少し高めの声音。
 …やっぱ野里さんより涼さんのほうが好きみたいに見える。
「それじゃあ、私はここで…」
 涼さんが手を胸元に当てる。
「あ…今日は引きとめちゃってすいませんでした」
 美弥子さんがそう言うと涼さんは首を横に振る。
「わざわざ、ありがとう」
 美弥子さんから渡された紙袋を軽く持ち上げるとふわりと笑って、「大森さん達も、じゃあね」とあたし達にも声をかけてくれてから、歩きだす。
「それじゃ、おれも♪」
「じゃあな」と野里さんが言えば「…付いてこないでくれる?」と涼さんは応じる。
「つれねぇなぁ。下駄箱目的地一緒だからしょうがねぇだろ」
 …涼さんは野里さんにクールだ。今も。
 なんだかんだと言いつつ、二人は並んで歩く。そんな二人の背中を、しばらく見送った。

 あたしは美弥子さんを見る。
 美弥子さんも、あたしと同じように涼さんと野里さんの背中を眺めているように見える。
 別段、表情の変化は見られない。…そう、あたしには感じる。
 ――野里さんと涼さんと。
 野里さんを好きだと言った美弥子さんは、涼さんを好きらしい野里さんと、一緒にいる涼さんとを見るのは…辛くはないのだろうか。
「…なんか、今日の反省会みたいなコトすんの?」
 あたしは美弥子さんに問いかけた。
 美弥子さんはハッとする。
 あたしと眞清へと視線を向けた。ゆるゆると瞬く。
「反省会…とまではいかないけど…とりあえず、一回集まってくれる?」
 美弥子さんは言いながら学生会室を示す。
『学生会室』を示すプレートには今も、野里さんが紙に書いて貼った「本部」がぶら下がっていた。

 
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