「お疲れ」
全員が集まると、美弥子さんが口を開いた。
っつっても、美弥子さんと眞清とあたしの三人は最後から二番目だったっぽい。
「ありがとう、付き合ってくれて」
美弥子さんが礼を言う。
「いいや」とか「おう」とか、学生会室にいるメンツから声が上がった。
「で、今日付き合ってくれたお礼」
美弥子さんは言いながら紙袋を軽く持ち上げる。
「ありがとう」
もう一度礼を言って、小さな物を席についてるメンツに一つずつ、渡していく。
「はい、大森さんと蘇我君にも」
美弥子さんはあたしと眞清の分も用意してくれていたらしい。
あたしは「ありがとう」と受け取って、眞清も「…どうも」と受け取る。
「いらなかったら大森さんにでも渡して」
美弥子さんは眞清にそう言ってニヤッと笑った。
「今日はこれでおしまい。ホント、ありがとね」
美弥子さんがそう言うとひとまず解散となった。
…けど、結構みんなすぐには立ち上がらない。
むしろ、そのまま美弥子さんから渡されたモノを開けて、食べ始める。
チョコレートクッキーに見えた。
「鷲沢、まだ余ってんのか?」
ささっと食べてしまったらしい一人が、美弥子さんに問いかけた。
「うん、まだあるけど」
「クレ」
腹減った、と…確か寺崎さんが続ける。願掛けでもしてるのか、と思えるくらい髪が長い。あたしより長いんじゃないだろうか。
「あげてもいいけど、九倍返しを請求するわよ?」
「は? 九倍???」
なんとなく寺崎さんと美弥子さんの様子を見つめる。さっさと食べきってしまったメンツが「確かに足りない」などと言っていたのが聞こえた。
「一つ三倍返し。二つで九倍返し」
「掛け算じゃなくて二乗なのか!」
「あったり前」
美弥子さんの返答に唸りつつ、結局「考える」と寺崎さんは手を差し出した。
「楽しみにしてるわよ、九倍」
「…まぁ、期待するな?」
言いながら寺崎さんはもう一つの包みを受け取った。やっぱり早速開ける。
「鷲沢、本命には渡したのか?」
続いた安西さんの問いかけになんでかあたしがドキッとしてしまった。
まわりに合わせるように、気付けば美弥子さんから貰ったモノを開けていた。
ついでだし、そのまま食べた。うまい。
春那ちゃんがくれたのは紅茶クッキーだったけど、美弥子さんがくれたのは想像どおりチョコクッキーだった。
「渡したわよ」
笑顔のまま、美弥子さんが応じる。
え、と思う。
…ここにいるメンツは、美弥子さんの『本命』を知っているってことなのだろうか。
「涼先輩に」
語尾にハートが付きそうな口調で美弥子さんは言った。
そんな美弥子さんに安西さんが苦笑する。
「そんなんだから彼氏ができねぇんだよ」
「うっさいわね」
梶原さんに切り返す様子を眺めつつ、口に放り込んだクッキーを飲み込んだ。
※ ※ ※
ガタンガタン、と単調なリズムを刻む電車。
いつもよりちょっと遅めの電車は、いつもより混んでいた。
ぎゅうぎゅう詰めってわけじゃないが、壁側には立てない。
つり革につかまるあたしの斜め後ろに、当然のように眞清が立ってくれる。
足元に視線を落として、眞清の靴を見る。
ふっと、息を吐いた。なんの吐息かわからないまま…もう一つ息を吐き出す。
なんとなくざわついた電車の中、女の子達の声が聞こえた。
渡した、とか渡せない、とか…そんなような内容が聞こえる。
(ひとまず、バレンタインも終わりか)
そんなことを思った。
電車が止まって、人が下りる。
小高駅はいつも人が減る駅だ。今回も結構人が減った。
「克己」
眞清の呼びかけに視線を向ける。眞清が軽くアゴで示した先が壁側で空いていた。
「おう」
あたしは壁に背を預ける。眞清も、隣に並ぶ。
手には紙袋を一つ持っていた。…弥生ちゃんから貰ったと思われる袋を。
眞清は結局、下駄箱と机に入っていたチョコを学生会室の面々に「食べてください」と渡していた。
差し出された学生会室にいた面々はひでぇヤツ、とか嫌味か? とか言いつつ、結局食べてた。
美弥子さんのクッキーだけでは腹が満たされなかったらしい。
二つの箱を開けると、両方ともメッセージカードが入っていた。
眞清のチョコを抓む面々は騒ぎつつ、勝手にメッセージカードを見るほど無神経な人達じゃなくって、そのメッセージカードを眞清に渡していた。
冷やかす周りに対して、眞清は淡々と「あぁ」と声を上げただけだった。
あたしも、「誰だった?」とは訊かなかった。
気にならないと言えば嘘になるけど…さすがにソコまで突っ込むのはヤメた。
紙袋にはメッセージカードも何も入ってなくって、ただチョコレートが入ってるだけだった。
入れ忘れたのか、ワザと入れなかったのか…。
なんにせよ、くれた『誰か』がわからなきゃ反応のしようもないような気もする。
眞清は「僕に恨みのある人からの薬入りかもしれませんよ?」なんて、ちょっと不吉なことを言いつつ、結局眞清宛のチョコをひとつも食べてなかった。
「…克己は」
なんとなく眞清の持っている紙袋を見つめていたら、眞清が口を開いた。
少し、はっとしてしまう。視線を紙袋から眞清の顔へと移動させる。
色素の薄い、眞清の瞳を見る。眞清もあたしを見ていて…目が合った。
「…贈り物をくれた相手、確認しました?」
「え? …あ、いや…まだ見てねぇけど」
眞清にそんなことを訊かれるとは思ってなくて、ちょっと驚いてしまう。
朝からカバンに入りっぱなしの二つの箱はまだ、両方とも開けていなかった。
ふっと息を吐き出す。…もしかしたら、意を決するために。
「…本当に、いい子はいなかったのか?」
あたしもまた、聞き返した。眞清がゆるゆると瞬く。
「まだ――あたしのお守でいいのか?」
体育館の傍で、眞清は言った。
まだあたしのお守をしてやる、と。――傍にいてくれると。
眞清がゆるゆると瞬く。
窓の外は暗い。様子がよく見えない。…眞清に注目してるせいだろうか。
眞清がふと、笑った。それは、いつもの笑顔。いつもの、何を考えているかわからない表情。
「まだ、しばらくはいいですよ」
それに、と眞清は続けた。
「…お礼で貰ったモノだったので、付き合うとかそういう意味合いじゃなかったんです」
あたしは「え?」と聞き返してしまう。
眞清は口元の笑みを深めた。再び、口を開く。
「美術部の副部長さんと、関戸さんからでした」
美術部の部長はアサエちゃんだ。三年の、ちょっと猫っぽい子。
「関戸さん…?」
とっさにわからなくて、あたしはちょっとばかり考える。思い当たると、「あ」と声をだしてしまった。
「つばきちゃん?」
聞き返したあたしに眞清は「はい」と頷く。
つばきちゃんは美術部で…違うクラスの子だけど、一学期のちょっとした(腹の立つ)事件から友達になっていた。
「一つは誰からかわかりませんが…もう一つは、若月さんからです」
若月というのは…弥生ちゃんのことだ。
「…聞いといてなんだが、言っていいのか?」
告白してきた相手の名を、話題にしていいのかと思った。
眞清が「おや」と言うように、少し目を瞠る。
「――あえて自販に寄ったのは、克己でしょう?」
――続いた言葉にギョッとした。
「…え?」
「空っとぼけないでいいですよ」
(いや、とぼけたつもりはないんだが…)
声にできないまま、そんなことを思う。
「…見えましたよ、村城さんが克己にお礼を言ってたのが」
ちょっとため息交じりに言われた。
村城さんってのは…絵美ちゃんのことだ。
「――頑張る女の子の味方をしただけだ」
弥生ちゃんが眞清にチョコを渡しやすいように、あまり人がいない場所を選んで歩いて…自販機に寄ったのは確かだった。
…まさか、眞清にバレるとは思ってなかったが。
(…まぁ、眞清は頭がいいからこんな小細工すぐにわかっちまう…か?)
そう思いなおすと「そうですか」と眞清が言った。
「――他人に向けられる好意は、大丈夫なんですね」
「あ?」
眞清はあたしを見た。
組んでいた腕を一度解いて、右手で軽く眞清の肩…正確に言うなら鎖骨辺りを指先で叩く。
「…背中」
端的に眞清は言った。ドキッとしてしまう。
『克己』
…レオンの声が、脳裏に浮かんだ気がした。
「克己に向けられる『好き』でなければ、ひとまず大丈夫なんですね」
眞清の声は、聞こえていた。
けれど…反応が鈍くなってしまう。
『好きだよ』
不安そうな瞳と、何か求めるような声。…声音。
『大好きだよ』
応じたあたしに見せた笑顔と…縋るような腕。あたしを抱きしめる、腕。
『一緒にいるって言ったじゃないか――!!』
痛み、重さ、苦しさ。鈍痛。熱。息苦しさ。…激痛。
…あたしの血と、レオンの涙と。
あたしは意識せず、ぎゅっと自分の腕に爪を立てた。
「克己?」
眞清の呼びかけにはっとする。
「――ああ…」
眞清の呟きに、今更応じる。
あたしは…自分に向けられる『LOVE』でなければ、大丈夫だ。
時に激情をはらむあの感情が…自分に向けられる感情でなければ大丈夫だ。
「…大丈夫、だ」
言いながら、視線を落とした。
呼吸が浅くなってしまっているのか、息が苦しい。一つ、息を吐き出す。深く、息を吸い込む…努力を、する。
「――克己」
また、眞清に呼ばれた。顔を上げる。
眞清は紙袋を軽く持ち上げた。
…それは、確か…誕生日に靴箱に入っていた紙袋。
眞清が弥生ちゃんから受け取ったと予想される贈り物。
「怖くないですか」
あたしは「…おう」と頷く。…まだ、ちょっと苦しい。
「僕も怖くありません。怖くありませんが…」
「?」
一旦言葉を区切る眞清にあたしは瞬いた。意識せず、胸元を掴んでいた自分に気付いて、その手を離す。
「困りますね」
きっぱりと、言った。
電車が発車してすぐに、次の停車駅のアナウンスが流れる。気付けば次が降りる駅だ。
「…あ?」
間抜けな声が出てしまった。「妙な声ですね」と眞清に突っ込まれたが…しばらくしてまた「あ?」と声をあげてしまう。
「問答無用で置いておかれるのは不快ですが…。相手がわかった上で直接渡されるのは困惑するものですね」
あたしの声に何を思ったか、眞清がそう言った。その言葉に、あたしはちょっとばかり考える。
「…なんだ、直接渡されるの初めてなのか?」
問いかけると「えぇ、まぁ…」と眞清が頷いた。
「そりゃ、貴重な体験ができてよかったな」
あたしがそう言うと眞清はふっと息を吐く。
「…貴重、と言いますか…」
そこまで言って、眞清はもう一つ息を吐き出した。
「――困ります」
言いながら、その顔は『困ってる』ようには見えなかった。
いつもの、『何を考えてるかわからない笑み』を浮かべていたから。
「…そうは見えねぇけどな」
思ったままを口にすれば「そうですか?」と切り返される。
「案外心の中じゃウハウハなんじゃねぇの?」
「…ウハウハってなんですか」
あたしは「盛り上がる感じ?」と軽く手を広げてみる。
眞清は目を細めて、呟いた。
「困るばかりですよ。…処理とか」
「? 処理? …おい、処理ってなんだ処理って」
視線を外し、口元を覆いながらの呟きは聞き捨てならない発言で、思わず聞き返す。
あたしから視線を外したまま「処理って…そのままですよ」と眞清はあっさり応じた。
あたしはそんな眞清を今もじっと見つめる。
「捨てるなよ、貰いものを」
「……」
「うわ、返事無しか」
ヒデェヤツ、と言った。視線を眞清から外す。
「――なんとも思ってない人から貰っても――」
フューという音と共に電車が減速する。キキィッという音と共に、止まる。
「? 今、なんか言ったか?」
眞清が口を覆ったまま何か言った気がして、問いかけた。
「…別に。使わないモノを手元に置いておくよりは人にあげるなりして使ってもらったほうが有益だと思うだけです」
「あー…使わないモノ、だったのか?」
電車を降りながら問いかけた。眞清は未だに弥生ちゃんから貰ったっぽい紙袋を手に持っている。カバンに入れとけばいいのに、とあたしは思うんだが。
(…そういえばアサエちゃんとつばきちゃんのメッセージカードはちゃんとカバンに入れてたような…?)
「…見てませんが」
少し違うことを考えていたが、眞清の答えに「見てないのか」と思わずそのまま繰り返す。
「…開けてくれてもいいですよ?」
「お前が貰ったモノをあたしが開けていいわけないだろーが」
ホームから、外に出た。もう結構暗い。電灯も点いている。
駅から家まで、大体十五分だ。
眞清のほうが心持ち近い。三十秒…もないかもしれない。十歩くらい?
サァッと風が吹いた。
昼間よりも夜…暗くなると風も冷たく感じる。
思わず首をすくめつつ、家へと向かった。