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⑦卒業式の日
<告げられた嘘>

 無事、美弥子さんにお返しができた。
 眞清と共通で貰った人には、眞清と合同で返してしまっていた。
 アサエちゃんとつばきちゃん、そして美弥子さん。
 眞清は益美ちゃんからもチョコを貰っていたが、「十円なら、勘弁してくれるんじゃないですか」と言っていたこともあって、益美ちゃんの分はあたしだけで用意した。
 あと、春那ちゃんの分も。
 お返しはみんなお菓子だ。
 アサエちゃんは卒業のお祝いもかねて一番豪華だけど、眞清と半々だったから、正直そんなに財布に負担がかかった感じもしない。
(あー…来年は手作り…なの、か?)
 春那ちゃんに言われたことを思いだす。「できるか?」と口の中だけでぼやいた。
 電車が来るまで、まだ時間があった。
 多分、あたしが乗らない上りの電車が一本来てから、あたしが乗る下りの電車がくる…ハズだ。
 待合室ではなく、ホームにいた。
 待合室が思ったより混雑していたってのもあるが、まだ昼間と言える時間の陽射しは結構温かく、三月の風は少し冷たいが、心地よくもあったから。
 手すりに背を預ける。
 手すりは隙間があるような…細い体格ヤツならその間から抜け出られそうな…モノだったが、その向こうは畑で、人もいない。
 背中にはカバンもあるから、一人でもそんなに気を張ることなく過ごせた。
 卒業式の間はちょっとキツかったが…まぁ、今晩寝れば疲れも抜けるだろう、多分。

「克己」

 呼びかける声は聞こえていた。
 その声が脳ミソに到達しても、反応が遅れた。
 それまで、来年の――大分気が早い――バレンタインのことや『背中』のことを考えていたから…ではなく。
 その声を聞いただけで、盗み聞きしてしまった自分を…その内容を思いだすからだった。
『克己と一緒にいたいと、思います』
 隣に並ぶ、一人。…ビクッとしてしまう。
「――眞清」
 ビビったのが、バレただろうか。…肩が、見るからに震えてしまっただろうか。
 呟いたあたしに眞清が瞬いて、一度視線を落とした。
 カンカンカン、と警報機が鳴り始める。
 眞清が、顔を上げる。…何か決したようにも、見える。
「…さっきの、話…聞いてました?」
「え――…」

 スゥーッと電車が目の前を通り過ぎていった。電車の音も警報機の音もちゃんと聞こえている。…そのはずなのに、少し遠いもののように感じた。
 電車から下りる人もいたが、乗る人のほうが断然多い。
 あたしがいつものように後ろのほうの車両を目指して立っている場所は、今の電車からすれば先頭車両で、そこそこ人がいるように見えた。
 けれど、まだ昼間のせいかそんなに混雑している印象はない。
 …そうやって、確かにあたしの目に現状が映っているのに、やっぱりなんだか…遠い現実ことのように思えた。

 警報機は鳴り止んでいた。…電車も、すでに発車していた。
 ――それなのに、今もぼんやりと眞清を見ているだけだった。
「…聞こえましたか?」
 問いかけに、あたしは瞬いた。
 視線を、眞清の顔から足元へと落とした。
 一度目を閉じて、開く。…眞清は動いていない。
 あたしは、そのまま応じる。
「…聞こえてた」
 ――それは、二つの問いかけに対する答えだった。
 さっきの…眞清が弥生ちゃんと話していた『話』を聞いてしまっていたし、…それを訊いた眞清の今の『声』も聞こえていた。
「そうですか…」
 眞清の靴を見ていたあたしは、眞清の手が動いて、前で組んだのが見えた。
 眞清が交互の指を絡める…その様子を、見た。

「…嘘、ですから」

 続いた言葉にあたしは瞬く。顔を上げて、眞清を見る。…眞清の目を、見つめる。
 眞清に表情がなかった。瞬くうちに、表情が変わっていく。
 ふと、笑みを浮かべた。――いつもの、うさんくさいと言える笑み。
「どこら辺から聞こえてたか知りませんが…」
 いつものうさんくさい…何を考えてるかわからない笑み。
「…あたしと一緒にいてくれるっつーのが、聞こえた」
 ――その前に言っていたことも、聞こえていた。
『…蘇我くんの片想いってことでしょ? …一緒にいても、辛いじゃん』
 けれどそのことは言わない。…これは、あたしが『嘘』を重ねることになるのか。
「…克己の傍にいようと思うのは、本当ですが」
 眞清がふっと息を吐いた。
「――若月さんに、試して付き合ってみないかと言われました」
「…あたしに、言っていいのか?」
 聞き返すあたしに、眞清がまた笑う。
(…ん?)
 何か、引っかかった。
「聞いて、いただけますか」
「――なんか、怖いな」
 言いながら、思わず半歩ばかり下がる。眞清はただ笑うばかりだ。
「もしかしたら、克己を巻き込むかもしれないので」
「………はぁ?」
 続いた言葉に思わず妙な声が出た。
 さっきまでの緊張感みたいなモノが抜けたような気もする。
「巻き込む? …なんで?」
 眞清はまた笑った。
「僕が、克己を好きだという設定にしましたから」
「――…」
 じっと、眞清を見る。
『克己を好きだという設定にしました』
 …脳内で、繰り返される。
 克己…あたしを、好きだという、『設定』――?
「…克己」
 呼びかけと共にひらりと上から下に移動する眞清の手のひらが映った。
 目が開いていて、ちゃんと見ていたはずなのに…ビックリした。
「電車、来ますけど…?」
 言われて、ガタンゴトンと電車が近付いていたことに気付いた。
 警報機も鳴っている。…耳もちゃんと機能しているはずなのに…今、気付いた。
「…あぁ…」
 プシュウー、と空気が抜けるような音が聞こえる。
 電車が止まって、ドアが開く。眞清と共に乗り込んだ。いつものように壁に背を預ける。
 ドアが閉まるというアナウンスが聞こえる。
 電車が動き出す…。

「…そんなに、驚きましたか?」
「………」

 最寄り駅で電車を降りて、ホームを進んで、駅舎から出て、眞清が言った。
 …電車の中で、一言も話さなかった。こんなことは初めてだったかもしれない。
「…らしいな」
「他人事ですね」
 家に向かって歩きながら眞清が言う。
 ――今も、眞清はあたしの斜め後ろに立つように、歩く。
「嘘、ですから」
 眞清は言った。ゆっくりと言い聞かせるように。
「――嘘、か」
 あたしも、ゆっくりと言った。
 線路沿いの道を歩く。あまり広くはない道だが、車通りもある。
 今は昼間のせいか、あんまり車がいない。
「…で、どうしてあたしが巻き込まれるんだ?」
 あたしは眞清に問いかけた。「――はい?」と間を置いた返事がくる。
「眞清があたしを…な、設定だと」
『好き』というのが妙に小さい声になった。…というか、かたちになってなかったかもしれない。
「どうして、あたしが巻き込まれるんだ?」
 眞清へと視線を向ける。眞清もまた、あたしを見ているのに気付く。
 眞清がふぅ、と細く息をついた。
「…巻き込んだらすいません?」
「疑問形かよ! …というか、答えじゃないぞそれ!」
 立ち止まってビシッと指さしながら言うと、眞清はそのままあたしを追いぬかして歩いて行く。
「…まぁ、細かいことは気にしないでください」
「こ、ま、か、い、か?!」
 わざわざ一文字ずつ区切った。さっさと歩く眞清に続く。隣に並んだ。
 眞清はにこりと笑った。
(…なんか企んでる笑顔かおじゃないか…?!)
「克己も問答無用で僕を引っ張り回しましたよね?」
「…あ?」
「中学の時です」
 忘れたとは言わせませんよ、と眞清は言った。
 そりゃ、忘れたつもりはない。
 …今だって、引っ張り回しているようなもんだろう、正直。
 何か言おうと思って口を開いて、言葉にならなくて閉ざす。…もう一度口を開こうとして、眞清のほうが先に言葉を発した。

「今度は、僕が克己を巻き込ませてもらいます」

 上り坂を進む。半歩ばかり先に歩いている眞清のほうが、心持ち視線の位置が高い。
 眞清が、「大丈夫ですよ」と言いながらあたしを見る。
「――僕が克己を好きだというのは、嘘ですから」
「……」
「…僕に、克己が怖がビビる必要なんて、ないですから」
「――…」
「若月さんに諦めてもらうための…嘘ですから」
 眞清は、言う。いっそ…マジメに、ともとれる態度で。
「――嘘、ですから」
『嘘なのだ』と繰り返す。

 眞清があたしを好きだというのが『嘘』だと。
 それならそれで、いい。
 ――あの日…更科に言っていた言葉。
 言い放った、声。
『――克己が好きですよ』
 ――あの声は、今も残っている。
 それを思うと…ほんの少し、眞清を『怖い』と思った。…思ってしまった。――背中が…引きつるような気もした。

 あの日の言葉も、『嘘』だったのか。
 …弥生ちゃんに告げた言葉が『嘘』だと言うのなら…更科に告げた言葉もまた、『嘘』だったということになる。
 苛立ってよく眞清の回る口。苛立ったまま告げる、言葉。
 幼馴染みとしての付き合いで…日本こっちってきてからの付き合いで、あの時の眞清の口調から…あの言葉を嘘だとは思えなかったのだけれど。
 今の、『眞清克己あたしを好きだというのは嘘』というのが本当なら――。
 あの日、あたしが感じた感覚が間違っていなくて『克己が好きですよ』と言ったのが本当なら――。
「なぁ、眞清――…」
「――はい」
 応じた声に「え?」と声を上げてしまう。
 眞清もまた「え?」と声を上げた。
「…今、呼びましたよね?」
 かたちにしたつもりがなかった呼びかけが、声になっていた。
 意識せず、口にフタをする。口を覆ってフタにした手を、離す。
「『嘘』なんだな」
 確認するように、言った。
「――…」
 沈黙する眞清に「『嘘』なんだな」と繰り返した。…念押しのようになっていたかもしれない。
 眞清は目を伏せた。視線をあたしから外した。足元を見下ろしているように見える。
 並んで歩くあたしに、視線を戻した。――その表情は、いつもの顔で。
「…はい、安心してください」
 眞清は、いつもの『何を考えてるかわからない笑み』で、応じる。
「――わかった」
 眞清の答えにあたしは頷き、大きく一歩前に進んだ。眞清をあえて、追いぬかす。

(――なぁ、眞清――…)
 意識せず呟きこえになっていた。
 …それは、言葉かたちにできない問いかけ。
(…『嘘』は、どっちだ?)
 訊けない…聞くことができない、答え。
 あたしが怖くて…求められない、眞清の本心答え

 あの日、更科に告げていた言葉と…今日、弥生ちゃんに言った言葉。
 今、あたしに言った言葉。
 ――お前の『本当』の『嘘』は、どっちだ?

「…まぁ、付き合ってもらってるしな」
 追いぬかして歩いたまま、あたしは口を開いた。
「眞清に背中になってもらってるんだし、な」
 ――あたしは、眞清を利用している。
 眞清が傍にいる居心地の良さに、甘えている。
「…だから、眞清もあたしを利用していい」
 ――あたしは、他人ひとを利用している。
 眞清の優しさに、甘えている。
 …だから、あたしも他人に利用されていいはずだ。
 その他人誰かは――当然、眞清であってもいい。
 あたしは、眞清に告げる。
「よくわかんねぇけど、巻き込まれてやるよ」

 自分の中で生まれた問いかけ疑問は、飲みこんだ。
 フタをして、紐で縛りつけて…重りをつけて沈めるように、深く、深く…。
 ――お前の『本当』の『嘘』は、どっちだ?
 答えなど、求められない。

「…利用させて、もらいます」
 眞清の呟きが、耳に届いた。
 あたしは一度追いぬかした眞清を見る。
 隣に並んで、似たような視線の高さで…眞清は、あたしを見る。
「おう」
 応じると、眞清は微笑んだ。

豊里高校学生会支部4<支部室の存続><完>

2011年 7月23日(土)【初版完成】
2013年10月21日(月)【訂正/改定完成】

 
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