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①ウソ
<告げない理由>

「…克己」
 眞清はふと口を開いた。
 アクビをしていた克己が「んあ?」とやや妙な声を上げる。
 ――遠い日の約束を、思い出した。
『絶対帰るから』
 克己はそう言って、眞清と小指を絡ませた。
 今からすればきっと…小さい手。
 けれどあの時は、克己の手のほうが大きく感じていた。
『戻ってくるから。…また、会えるから』
 今も克己の髪は黒い。その瞳も黒い。
 小さい時は髪が短いことも相俟って――今も、『男?』とか見られることもたまにあるようだが――少年のようだった。
 小さい頃の眞清は母の趣味でどうも可愛らしい服を着せられることもあり…だからだろうか、余計に克己が頼もしく、カッコよく見えていた。憧れていた。
『だから、泣くな』
 克己が繰り返した言葉。重ねた手。…絡めた小指。
 ――交した約束を、覚えているか。
 そう訊きそうになって、口を閉ざした。
「春休み――補習、受けますか」
「なんだ唐突に」
 話題をすり替えた眞清に克己は気付いていないようだ。苦笑を洩らしつつ「ひとまず『受けろ』とは言われてない」と応じる。
 …絶対帰ってくる、と。克己は言った。
 8年の間は、あった。それでも…確かに帰ってきた。
(最初は、待ってたんですよね)
 それでも…なんだかんだで一年くらいは『かっちゃん』を待っていたと思う。
 けれど、『一年』というのは過ぎてみればあっという間だけれど…決して、その『時』は短くはない。
 待っている時間の長さ。
 悲しみにフタをして…封じ込めて、思考や感情の隅に追いやって――諦めて、冷めていく。
 ――成長するに従って、体も丈夫になって。
 自分で言うのもなんだが、泣き虫だった自分もそんなに泣かなくなっていって…『かっちゃん』を忘れていた。…正確には『思いださなくなった』。
 中学3年の夏休み…再会する時まで。
 黒髪と、意思の強そうな瞳…真っ直ぐな視線で『かっちゃん』を思いだしたけれど。

 眞清が他人と一定の距離を保つのは、もしかしたら…『かっちゃん』が影響しているのかもしれない。
 ――好きな人と離れるのは、悲しい。
 ――好きな人がいなければ、あんな想いをしなくて済む。
 思考の隅でそんなことを思った。
「それに」
 克己が口を開いた。その声が脳ミソに届くと、思考の隅にあったモノが引っ込む。
 眞清が視線を向けると、克己はニッと笑った。
「わかんねぇトコロは眞清に教えてもらうから」
 真っ直ぐに目が合って、克己は指先をくるりと回す。
 眞清はゆるゆると瞬いた。意識せず、笑う。
 …それは、常日頃――他者誰かを踏みこませないために勝手に浮かぶ笑みではなく。
「――高くつきますよ」
 ――常に笑っているように見える…そんな父から引き継いだクセではなく。
 眞清は、穏やかと言えそうな笑みを浮かべていた。自分の浮かべる笑顔に、自覚はない。
「そりゃ困ったな」
 克己は言いながらくるりと回した指先を軽く握る。軽くノックするように、眞清の肩を叩いた。
「――とか言いつつ教えてくれるくせに」
 そう言うと、再び笑った。
 先程の不敵そうな笑みではなく…穏やかな笑みを浮かべる。
 ――時折、克己はこんな笑みを見せた。

 豊里駅から学校までは10分かからない。…下手をすれば、教室に入るまででその程度かもしれない。そのくらい、近い。
 教室に向かいながらもしゃべる。ずっとしゃべりっぱなしということはないが、それでもそこそこに会話を交わしながら。
「はよ」
 教室に入ると、克己は隣の席の内川春那に声をかけた。春那も「おはよう」と応じる。
 春那は眞清からすれば斜め前の席だ。春那が「おはよう」と眞清にも声をかけてきたため「おはようございます」と応じる。
 克己と眞清の席は、ドア付近になる。
 眞清が一番後ろのドア側、克己が眞清の一つ前の席だ。
 …眞清が克己のすぐ後ろの席であるのは、仕組んだこと。
 そういえば、結局席替えは一度しかしていない。もうすぐ春休みとなるが…このまま多分、席替えはしないだろう。
(別にいいですが)
 眞清はカバンの中から筆記用具などを取りだした。
 今日の準備…とは言っても、カバンの中にはそんなに詰まっているわけでもない。
 提出する宿題が入っているくらいだ。
 筆記用具、提出物と、学校の図書室の本。
 それらを出して、本以外は机の引き出しに収めて…眞清は視線を上げた。
 克己の背中が、目に映る。
 ――克己の後ろの席という場所は、眞清が仕組んだ。
 克己の傍を望んだ。…というのはもしかしたらあるのかもしれないが、そこは自分自身気付かないふりをして、眞清からすればもっとちゃんとした『理由』があった。
 …眞清は一年前の春休みあの日、克己に一つの提案をした。
『僕が、克己の背中になりますよ』
 ――そんな、提案を。
 だからこそ、席替えをして――後ろから二番目…とかいう席になった克己の番号を知って、克己のすぐ後ろの席で変動なしと騒いでいた女子生徒…若月弥生と席順の交換を申し出た。
 そのまま眞清がクジで引いたままの座席であれば前寄りの、黒板がよく見える…ついでに先生からもよく見えるアリーナ席となる予定だったが、偶然眞清の傍が弥生と親しい友人であるクラスメイトであったため、席順の交換の申し出は容易に受け入れられた。
『克己の背中になる』
 その言葉どおりに、眞清は行動した。
 ――自分には普通に背を見せる克己に…『信頼』を見せる克己に、眞清はどこか喜びみたいなものを感じたのは、いつのことだっただろう。
 眞清の小さい頃の写真で脅されつつ。
 …それでも、共にあった。
 眞清は克己の傍らにあった。
 斜め後ろで、克己の背中となって…克己と『誰か』との、壁になった。
 あの日目を丸くしていた克己だったけれど…結局今では眞清に『克己の傍』というポジションを許している。
 …一つの条件付きではあるけれど。
『眞清に彼女ができるまで』
 ――眞清自分に、恋人彼女が…好きな人ができるまで。
 そしたら、解放してやる、と。
 ――克己の『背中』にならなくていい、と。
 克己は、言った。
 一ヶ月ばかりの、『背中』にならなかった期間を置いた後に…克己は、そう言った。

 あの一ヶ月。
 …全く別行動を取ったわけではなかったけれど、克己が日本に戻ってきてからの期間を考えると…共有する時間は、少なくなっていた。
 どうして克己が眞清に『背中にならなくていい』と言いだしたのか。
 …どうしてまた『背中になってくれないか』と言ったのか。
 それらの理由を、眞清は知らない。…本人に、訊ねていない。
 けれど。
 克己が『また、背中になってくれないか』と言った時――そう言われた時、断るような思考にはならなかった。
 最初は克己に対して苛立つばかりだったけれど、興味を持った。
 …観察していただけだった。
 いつの間に克己と行動することが不快ではなくなった。
 傍らを――克己の傍というポジションが自分の位置ものだと、思うようになった。
 だから、今も克己の傍にある。
 眞清に好きな人が…恋人彼女ができるまで。
 ――そんなこと言ったら、自分はいつ克己から離れるのだろう。
 少なくとも、今は、恋人ができる予定も彼女を作る予定もない。
 …そういった方向で想いを寄せる相手は、いる。
 けれど、『好きな人』がいたところで離れる気はない。
 眞清が想いを寄せる相手が、克己なのだから。

 立ち上がると、春那と雑談していた克己がふと眞清に視線を向けた。
 眞清は図書室で借りた本を手に持って、軽く持ち上げる。言葉なく、図書室に行く旨を伝えた。克己は軽く手を振り「おう」と応じる。
 眞清はそのまま閉まっているドアに手を伸ばした。
 3月とはいっても、まだ少し肌寒い。教室のドアを開け放したまま…ということはできなかった。
 ドアを開けると、ちょうど誰かが立っていた。
 相手からすれば自動ドア状態…だが、驚いただろう。
「すいません」
 眞清は軽く謝罪する。相手を認めた。――相手は。
「…ああ」
 短く応じて、教室に入る。
 当然というべきか、クラスメイト。
 眞清はドアを閉めながら、ソイツが「おはよう、大森」と克己に声をかけているのが聞こえた。
「――…」
 席順でいけば、眞清の前の前。当然、克己の前の席の…更科求広。
 ――彼は、眞清の想いことを知っている。
『克己が好きですよ』
 …言うつもりなんてなかったのに…言ってしまった。
 勢いというのは怖ろしいモノだ。――そして、そんな『勢い』が自分にあったことが、自分自身でも意外だった。
 図書室に向かう途中、ちょうど階段から上がってきた女子生徒に「おはよう!」と声をかけられる。
「おはようございます」
 応じると、彼女はニコリと笑った。
 一緒に登ってきた女子生徒にも「おはよう」と言われて「おはようございます」と応じる。
 すれ違い、二人は教室に向かっていく。きゃいきゃいと楽しげに…騒がしく、立ち去る。
 眞清は図書室に足を進めた。
 今の二人も、クラスメイトだ。
 …今の二人もクラスメイトで――眞清の『想い』を知っている。
 最初に挨拶をしてきたクラスメイトである弥生が、眞清に「付き合って」と言ってきた。
 この時――克己本人に言ったわけではなかったけれど…克己が好きだ、みたいなことを言ってしまった。
 …しかも、この時は克己本人に聞かれてしまった。
(…あの教室と相性でも悪いんですかね)
 ある放課後のこと…更科相手に、克己の様子が少しおかしい――正確には怖れてビビッているように見えた――ことに気づいた眞清は、更科と少し話をした。
 克己と何かあったのか、あるいは克己に何かしたのか、と。
 その時…更科は克己のことが好きで――克己の傍にいる眞清の存在が目障りなのだと…オブラートも何もなく、言われた。
 更科にケンカを売られるような言葉に対抗するかのようにして、『克己が好きだ』と言ってしまった。
 …あの時は――後になってから、自分自身でも驚いた。
 勢いみたいなモノで、口にした。…けれど、勢いそればかりではなく――その想いは、眞清の中にあった。
 そう、気付かされた。
 その時、更科とケンカっぽくなったのは今の眞清が使う教室…一年七組の教室だった。
 そして弥生に告白されたのもまた、教室だった。
 …断り文句を、克己に聞かれた。
 失敗だった。あんな話、教室でする話題ものじゃない。
 そう思ったところで、今更だが。
 だから…その日の帰りがけ、克己に言ったのだ。
 ウソだから、と。
 眞清の言葉を…弥生達の言葉を聞いてしまっていたらしい克己に、眞清は告げた。
 ――ウソだから、と。
 克己に聞かれた…弥生に言ったことは、本当のことだった。
 眞清が克己を想っていて…克己に拒絶されない限り、傍にいようと思っているということは、『本当』。
 眞清はその言葉はウソだと、克己に告げた。
『眞清が克己を想っていることがウソだ』と克己に伝えた。――そのことが、『ウソ』だ。

 眞清の想いを、克己に告げるわけにはいかなかった。
 それは今の関係を壊したくないから…という理由ことはもちろんあったが、眞清が克己の『事情こと』を知ってしまっていたからだ。
 ――克己が『恋愛』を…その感情を恐れていると、知っているからだ。
 克己が他者に背中を晒せない…その理由にも連なるトラウマと、深くつながっているとわかってしまっているからだ。
 だから、言わない。
 眞清が、克己の傍にあるためにも。
 だから…言えない。
 ――克己をビビらせて、逃げられたら…それこそ元も子もない。
(まぁ、簡単には逃がしませんけど)
 克己が眞清に傍らを…背中を許す限り、眞清から克己に距離を置く気はなかった。
 …今のところ。
(――想定外ですね)
 自分自身の感情。…離れたくない、と思う…そんな、想い。
 自分自身でも制御できないようなモノを、自分が抱くとは思わなかった。

 
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