「更科、バイトの話なんだけど」
――翌朝。
克己は更科が教室に入ってきて挨拶をすると、自分からそう切り出した。
眞清は借りた本に視線を落としている。
そろそろ犯人が誰なのか、暴かれようとしていた。
眞清は推理というほどまではいかないが、予測程度はしながら読み進めている。
克己の声掛けに更科が「おう」と言いつつ振り返った。
その声音に少しばかり緊張と…期待と、両方があるように感じる。
眞清は視線を上げた。
更科は克己の前の席で、振り返って克己と話している更科の表情が眞清にも見える。じっと観察するまではいかないけれど、やはりその表情にも緊張と期待とが見える気がする。
「何時から何時までだっけ?」
「えぇと、夕方の6時から。で、学生は9時まで」
克己の問いかけに更科は答えた。
克己は椅子に背を押し付けるようにして、「ふぅん」と応じる。
「3月31日…って言ってたよな?」
確認するように言う、克己。「ああ」と更科が応じる。
眞清が読む小説では犯人が暴かれ、犯行の経緯を犯人に付きつけている最中だった。
…ちゃんと、小説は読んでいる。けれど――克己の声に、眞清の神経は向けられていた。今読んでいる小説は、もう一度読んでも楽しめるかもしれない。…読み進めてはいるけれど、内容が頭にしっかり入っていない。
「一回、やってみようか、と思って…。まだ、間に合うか?」
「! おう! 訊いてみる」
昨日はまだ「誰か集められたか」と言われたから、昨日の時点では人数が集まっていないはずだ、と更科は言った。
…にこにこ笑っている。
眞清が他者を踏みこませないために浮かべるようなツクリモノではなく――おそらく、心からの笑み。
「っつーか、メールか電話で言ってくれりゃあよかったのに」
更科は言いながら携帯電話を叩くようにポケットを叩いた。
「直接のほうがいいかと思ったんだよ」
克己は少しばかり苦笑のようなものを浮かべて、応じる。
克己も更科も、携帯電話を持っていた。
眞清は未だに持っていない。現代の高校生として珍しいほうになっているのかもしれないが…今のところ、必要性も感じていない。
頻繁に連絡を取り合うような相手がいないからだ。
克己はバイトをすることにしたのか、とどこかぼんやり思いながら小説を読み進めた。
犯人が自殺しようとしているところを、主人公が止めようとしている。
「…蘇我は?」
「ん? 眞清?」
更科の呟きよりも、克己の声に眞清は反応した。
思わず、顔を上げる。
更科と目が合った。一瞬にして、更科の眼つきが険しいモノとなる。眞清はその程度で怯んだりしないが。
克己が更科の表情の変化…あるいは視線の向ける先に気付いたのか、眞清に振り返った。
「眞清も一緒にたなおろし、どうだ?」
「今誘うのか」
克己の言葉に更科が非難がましい声を上げた。
「ん? だって更科が『眞清は?』って言ったじゃん」
誘え、ってことだろ? と克己は首を傾げる。
「! べ、つに…」
更科はそこで言葉を詰まらせ、言い淀む。
…変なところで克己も天然というかなんというか。
そう思っても、更科に同情したりはしないけれど。
「…僕は――」
眞清は口を開いた。自分を睨むような更科を一瞥する。
「――そうですね、空きがあったら」
消極的に、『参加』を表明した。
「バイト…やることにしたのね」
隣の席でおそらく克己達の会話が聞こえたのだろう、春那がそう口を開いた。
「おう」と克己が頷く。
「一回くらいバイトやってみてもいいかなぁ、って」
単発だし、と克己は笑った。
昨日…眞清が訊いた時点では、まだ迷っているようだった。
カバンを背負ったままはできないだろうし、と。
けれど…克己は徐々に『セカイ』を広げようとする。
自ら――『背中』のトラウマがあっても、それでも…打開しようとするかのように。
「蘇我君も」
声に眞清は顔を上げる。…それは、益美の声だった。
「そう、ですね」
小説の中で、犯人は泣き崩れていた。犯人が殺人を起こした『理由』が、犯人の勘違いだったことが判明して。犯人の先走った…事実を顧みないままの思いこみや、言葉のすれ違いから犯人は殺人の実行をしてしまった。
「何事も経験…とでも言いましょうか」
「付き合ってもらって悪いな」
克己が言いながら振り返った。眞清は益美から視線を移し、ゆるゆると瞬く。
ふと、笑った。…それは克己に言わせれば『何を考えているかわからない』笑み。
「――いえ」
…克己が『悪い』なんて思うことはない。
眞清はやりたいようにやっているだけ。…克己の傍らにいたいと、思っているだけ。
「まぁ…空きがあるかわからないですし」
眞清はポツリと呟いた。
――更科が『空きがない』と…ウソでも本当でも、そう言えば、そこで眞清の参加表明は打ち消しだ。
「それはそうだな」
ふむ、と克己が頷く。
(更科は克己には参加させるんじゃないですか)
そんなことを思う。口にはしない。
更科は今、クラスメイトの友人の席で何か雑談をしていた。
更科は、克己に告白をしたらしい。
さすがにその告白の内容までは知らないが…結局は『好きだ』とでも言ったのだろう。
そして克己は…そんな更科に少しばかりビビっていた。
――ずっと傍にいたから…一緒にいるから、見ていたから、気付いた。
克己が更科にビビッていた理由――更科が克己に告白した、という事実――を知ったのは克己が告白された少し後のことで…その根本的な――克己が更科にビビッていた――事情を知ったのは更に後だったけれど。
克己は大事なヤツに背中を刺された。
――その『大事なヤツ』は、克己のことを想っていた。
好きなのだと…その想いを告げられながら、克己はその感情を理解できていなかった、と…眞清に、言った。
好きだ、と思われるのが怖い。
――LIKEにはなれても、LOVEにはなれない。
…『LOVE』の感情が怖い。
そう、言った。
だから、更科に対してもビビッてしまうのだと、聞いた。
――克己が『恋愛』を…その感情を恐れていると、知った。
それを知ったのは、克己が更科に告白をされた後。
…一応、去年のことだったか。
10月の下旬か、11月辺りだったと思う。
一ヶ月ばかり『背中にならなくていい』と言われた期間の、後のことだったはずだ。
だから…卒業式の日、眞清が弥生の『付き合ってほしい』の言葉に断りながら克己への想いを言葉にしていたのを聞かれた時は、正直焦った。
眞清の想いを、克己に告げるわけにはいかない。
今の関係を壊したくないから…という理由はもちろんあったが、眞清が克己の『事情』を知っていたからだ。
だから、言わない。――だから、『ウソだ』と克己には言った。
眞清が、克己の傍にあるためにも…弥生に告げた、克己への眞清の想いが『ウソだ』と。
だから…言えない。だから――克己には繰り返した。
克己をビビらせて、逃げられたら…それこそ元も子もないから――克己に聞かれてしまっていた言葉は、ウソなのだと。…繰り返して、伝えた。
眞清は克己に『LOVE』の感情はないのだと。
弥生に告げた、克己への眞清の『感情』はその場限りの言い訳だと――。
(しかし…更科もなかなか諦めないヤツですね)
ことあるごとに克己に声をかけ、今は『バイト』を理由に誘いをかけている。
…そんなことを思って、自嘲した。自分だって、克己を勝手に思って…傍らを望んでいる。
きっと、更科に言ったら『蘇我に言われたくない』とか言われるだろう。
…更科は、眞清が克己を想っていることを知っている。
眞清の克己への想いを他人に『すごいなぁ』とか『よく諦めないなぁ』とか言われる謂れはない。
それはきっと、更科も同じことで。
(本当に…妙な感情ですね)
――どこかに種はあったのかもしれない。
それでも、自分で育てたつもりなどないのに。
勝手に育った感情。…摘み取れない、想い。
いつの間に成長し、打ち消せなくなってしまった――自分自身制御できない、心。