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⑤ココロ
<進級>

 零れそうな想いをとどめさせる方法何かがあればいいのに。
 あるいは…自分自身の感情を打ち消せる『何か』があればいいのだろうか。
『時間が解決する』なんてよく言うし――実際、そのとおりでもあるのだろう。
 けれど、今は…どうしても、今は。
 消えない。――消せない。
そこ』に、求める存在モノがあるから。

※ ※ ※

 2年に進級したところで別段生活の変わりはない。
 下駄箱の場所は変わらないし、通学する電車の時間にも変わりはない。
 あえて『変わった』部分をあげるのなら、教室と席が変わったくらいだろうか。
 1年の時には実質一度しか席替えがなかった。
 そのためか、進級早々に席替えが行われた。
 1年の後半で眞清は克己の後ろ…一番ドアに近い席にだったが、今回は窓側の席になった。窓側から2番目で、後ろから2番目の席だ。
 克己との席も割合近い。今回は仕組まずにそうなった。
 克己は一番窓側の席の、一番後ろの席。背後に『誰か』がいることのない、克己としては良い席となったようだ。
 そして…こちらは仕組んだのかどうだかわからないが、更科が克己の隣の席となった。
 つまりは、眞清のすぐ後ろの席だ。
 眞清の隣であり克己の前である席は新村和泉という女の子で、前に丸岡博、そして右隣は守田利哉となった。
 それから…仕組んだわけでもないだろうが、右斜め前が弥生の席となった。
 以前の席よりもずっと、席が近くなった。…だからといって特別な変化はないのだが。

 進級、新学期…と新たな気分は早々に沈静化した。
 一週間も過ぎれば通常と変わらない感覚になる。
 眞清は相変わらず図書室に通い、隙間さえあれば本に視線を落とした。
 …だが、この頃学校で読んでいてもあまり頭に入っていかない。
 一通り読むのだが、また借りても楽しめる程度に眞清の中に残っていなかった。
 ――原因は、背後。更科と克己だ。
 隣の席のクラスメイトが喋ることなんて変なことではない。
 クラスメイトで…親しいのなら、余計そうだろう。
 聞き耳を立てるつもりはないが、時折会話が耳に入ってくる。
 背中に神経が向けられている…と自覚することがあった。
「蘇我くん」
 読書に集中しきれていなかった眞清は声をかけられて、顔を上げた。
 眞清に声をかけてきたのは、弥生だった。
「本を読んでるところごめんね」という前置きに、「集中できていなかったから構わない」と思いつつ、眞清は「いいえ?」と応じる。
「昨日の宿題なんだけど…これ、こうでいいと思う?」
 弥生は数学のノートを開きつつ眞清に問いかけた。
 指先で示されるノート。
 弥生の字はなんとも特徴的な字だ、と思う。
 うねうねしているというか…丸々しているというか…デザインチックのようだ、とでも言おうか。何と表現すればいいかはちょっとわからないが、ともかく特徴的な字だ。
 弥生があえて字を変えるような意識でもしない限り、「これは弥生の字」だと判断できるだろう。
「…大丈夫じゃないですか?」
 答えとしては、問題ないように思えた。
 ただ、途中の計算式が書いていないから、授業中、万が一弥生が「この問題を解け」と前に出て黒板に計算式を書かなくてはいけなくなった時、正しいかは分からない。
 数学教師はたまに前に出させて数式を書かせることもある。
 口頭で答え合わせをするだけの時もあるが、今回の単元に入って間もないため途中の数式を書かされる可能性があるような気がする…と眞清は思っていた。
 そのことを懇切丁寧に教えることはなかったが。
「ありがとう」と礼を言った弥生に「いいえ」と応じる。
 弥生の用事は終わったと判断し、眞清は再び本に視線を落とした。
「…蘇我くん」
 ぽそりと、先程よりも小さな声で弥生が声をかけてきた。
 小説の一文…句点まで読んだ眞清は顔を上げる。
「はい?」
 今度はなんなのか、と思いつつ…表情かおには出さず…応じた。
「こ、今度の土曜日から『久遠の森』って映画やるんだけど」
「…はい」
『久遠の森』は確か、ミステリー小説が原作となっている…とかいう話題を聞いたことがあったと思った。CMか何かで見たような気がする。
 眞清はあまりバラエティ番組を見ないため、エンターテイメント情報はCMかインターネットに接続したパソコンで入手するタイプだった。
 だから、その映画のタイトルは知っていたのだが…今度の土曜日からやることは知らなかった。
「よ、よかったら」
 その、と弥生は言葉を濁らせた。
 そんな弥生の素振りに眞清は意識せず…弥生に気付かれないように…息を吐きだした。
「一緒に行って、観ない?」
 眞清は弥生を見返す。
 あまり間をおかず、口を開いた。
「すいません、人混みが苦手なんです」
 映画初日といえば、なかなか混雑するように思われた。
 それが話題作であれば尚のこと。
「…そ、っか」
 弥生は言いながら少しばかり目を伏せた。
 眞清は映画館で映画を見たことは数えるくらいしかない。…下手をすれば二度くらいかもしれない。
 そのため、あまり映画館で映画を観る…という発想がなかった。
 映画館で映画を観れば、それなりに迫力があっていいのかもしれないが。
 DVDやテレビ放映の映画もあまり観なかった。…そう考えると、眞清は基本的にあまり映画を観るほうではないのかもしれない、と自分自身を分析する。
「じゃあ、混んでなければいい?」
 弥生はパッと顔を上げた。
 眞清はその切り返しに一瞬「え」と思ったが、ゆるゆると瞬いて、いつものように笑う。
 ――他人を踏み込ませないための、『笑顔』境界線
「土日は少し…家のことで忙しいので確約しかねます」
 眞清の返答に、弥生は「…そっかぁ…」と今度はあからさまにしょんぼりした様子を見せた。
 けれど、眞清はフォローはしない。「すいません」とだけ謝る。
『家のことで忙しい』というのは100%のウソではなかったが、事実を斜めにみている答えでもあった。
 眞清の…蘇我家は別にサービス業の店を構えているわけではない。
 父は一応小説家なのだが…その実家が古くから茶道をたしなむ『家』で、その関係で突如呼び出されることもあったりした。
 ただ父は『自主勘当』しているため、そういった『呼び出し』に応じる必要はないと考えている…らしい。
 それでも、どうしても断りきれない『場』というものがある。
 大抵そういう『場』は、前々から日時等が決まっているのだろうが…父がそのことを眞清に言わないまま、当日になって『行くぞ』とか言いだしたりする。
 しかし、強制はされない。
 その日に眞清がいなければいないで、父は一人で…あるいは母を巻き込んで…その『場』に参加する。
 眞清の土日は、家のことで忙しい…というのはたまにはあるが、実際のところは対して『忙しい』とも言いきれない休日だったした。
 弥生が席に戻ると、弥生と特に仲の良いクラスメイトの二人…近藤理恵子と村城絵美…が近付き、頭を突き合わせるようにして何かをぽそぽそと話す。
 その内容が聞こえてはいないけれど、弥生の元へ近付いた一方の絵美がじっと眞清を見た、と気付いた。
 視線を向けることはなかったが…視界の隅に、その様が映る。

「オハヨ」
 明るい声音は眞清にも向けられたモノだった。
「おはよう」
 まず応じたのは克己で、眞清もまた「おはようございます」と応じる。
 更科も「おはよう」と応じた。
 声をかけてきたのは、クラスメイトである益美だ。
「ねぇねぇ、最近なんか映画観た?」
「…――」
 益美の問いかけに眞清は意識せず目を細めた。
 つい先程、弥生から誘われたのも映画だった。映画の話題が続く…と思考の隅で思う。
 単なる偶然か…それとも、弥生の声でも聞こえていたのか。
 弥生は決して大きな声でもなかったと思うのだが。
「いやぁ…? あぁ、テレビでなら観たかな」
 克己が言いながら軽く机を指先でとんとんと叩く。「タイトルなんだっけ?」とぽそぽそっと口の中だけでぼやいた。
「いつ? 最近か?」
 更科の問いかけに「この前の土曜日」と応じる。
「…ああ! 土曜日ならオレも見た」
 更科は言いながらニコニコッと笑った。
「あれだろ? なんかエジプトっぽいヤツ」
「おー、そうそう」
 克己が頷くと更科がタイトルを言った。克己が「あ、それだ」と頷く。
「できれば映画館で観た映画希望なんだけどー」
 益美がくるくると指先を回す。
「それなら、観てない」
 克己はきっぱり答えた。
「オレも。ってか、基本的に観るならテレビかDVD」
「あたしも…観るならほとんどテレビかなぁ…」
 克己が考えるように口元に指先を当てた。
「テレビってタダだけど、CM入るのがウザいよな」
「まぁな。『そこで?』っていうのはある」
 仕方ないけどなぁ、と克己は苦笑する。…二人の会話が、続いていく。
「蘇我君は?」
 益美の問いかけにハッとした。
 少しばかり…克己と更科に気を取られて…ボーッとしてしまっていた。

 
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