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⑥傍
<衝動>

「そういえば、映画館で映画って観たことない気がするなぁ」
「…え? そうですか?」
 放課後、学生会室に向かいながら言った克己の一言に思わず眞清は声を上げてしまった。
「おう。映画は観たことあるけど…それこそテレビ放映とか、DVDとかで見てる気がするし」
「…向こうでも、ですか?」
 日本に来る前…アメリカでのことを尋ねると「そうだな」と克己は頷く。
「こっちより値段的には安いみたいなんだけどなぁ…不思議と行ったことないや」
 レンタルしたヤツを見たことはあったか? と記憶を探るように首を傾げる。
「向こうに行く前は…まだ小さかったから行ったことないし、こっちに戻ってきてからも、行ったことないしな」
 眞清は克己の言葉を聞きながら、自分が映画館で映画を観たのはいつだっただろうか? と考える。
 確か父と二人で観に行ったような気がした。
 ただし、何を観たのだろうか…と考える。咄嗟に思いつかない。
 真っ暗な中の大きな画面――という記憶はあるのだが、現状でその映画の内容や場面が出てこなかった。
(まぁ、その内思いだすでしょう)
 そして思いださなくても問題ないことでもあった。
 何がなんでもどうしても知りたければ、父に確認してみればいいことだ。…あまり、やりたくない方法ことでもあったが。
「…行ってみたいですか?」
 眞清は克己に問いかけた。
 その問いかけに、克己は「ん?」と首を傾げる。
「克己は、映画館で映画を観てみたいですか?」
 問いかけると、克己は瞬いた。「うぅーん」と小さな声を上げる。
「やっぱ、『興味ない』とは言えないな」
「…そうですか」
 眞清が応じると「おう」と克己が頷く。
「こんちは」
 克己はドアをノックしながらスライド式の扉を開けた。
「こんにちは」
 応じたのは髪を一つにまとめた気の強そうな一人の女の子で、今期の学生会長である鷲沢美弥子だ。
「よぉ」
「失礼します」
 そんな女の子の傍にいて眞清達に手を上げたのは副会長の一人、梶原聡だ。
 豊里高校の学生会は会長が一人と、男女それぞれ一名ずつの副会長がいる。
 梶原ともう一人の副会長百瀬鞠子にも挨拶をした。
 百瀬が「こんにちは」と小さめの声を上げる。

 眞清と克己は学生会室の隣に秘密基地のような場所ものを設けてある。
 昨年度学生会長…今は卒業した春那の兄である…内川冬哉に相談してみたら、学生室の隣その場を提供してもらった。
 冬哉や前年度学生会のメンバーが卒業してはその場所部屋は使えなくなるかと思ったが、冬哉は今年度の学生会長である美弥子に話をしてくれてあったことと、美弥子の出した条件をクリアしたことで今年度も使用可能となった。
 資料が詰まった棚が壁のようになっていて、学生会室とつながっている空間ではあるが個別の空間という印象が強い。
 学生会室にいた面子に軽く挨拶をすると、学生会室の隣…勝手に『支部室』と名付けられた場所へと進む。
『本部』が学生会室で、入口のプレートに手書きした文字で『本部』と紙が貼ってあった。
 そんな愉快なふざけた真似をしたのは今期の学生会のメンバーではなく、卒業した前期の学生会のメンバー…副会長の一人、野里亮太だ。
 一番最初に支部室…『秘密基地』の場所を提案したのは野里だった。
 最初は「どうなの?」といい顔をしていなかった前期の副会長の一人…検見川涼も最終的には協力的だったというか、わりと自由に使わせてくれていた。
 今も克己と眞清は主に放課後…二人がどの部にも在籍していないこともあるが…部活に行かない代わりにこの場で時間を過ごすことが多い。
 克己はいつものようにカバンを置くと、壁際で窓際に配置してある椅子に腰を下ろす。
 ふっと息を吐きだした。
 そのまま大きく背伸びをする。
「疲れてますか」
 ぐるぐると肩と首を回す克己を見て、眞清は問いかけた。
「ん? こんなモンじゃないか?」
 すっげぇ疲れてる…ってカンジはしないけど。
 そう言いつつ、肩甲骨を近付けるように腕を後ろに引き寄せた。
 狭い所でそんな動きをしているから当然かもしれないが、ガンッと肘か何かを椅子か壁にぶつけていた。
「だっ!」
「…ドジですね」
 思わずぼやく。
 肘を撫でているから、やはりというべきか肘を打ち付けたらしい。
 克己と眞清は会議用の細長い机を挟んで向かい合っている。ただ、椅子は正面に配置していないため斜め向かいに向かい合っている状態だが。
 肘を撫でつつ眞清を睨む克己は「どうせドジだよ」と言い返してきた。
 そんな克己に、眞清は意識せず笑ってしまう。
 170に近い身長と飄々とした態度でなんとなく大人っぽく見られることが多い克己だが――変なところで抜けているというか鈍いというか…天然ボケてるというか。
 妙なドジをかましたり…隙を見せ、無防備だったりする。
 その『隙』や『無防備』は、自分だからだろうか。
 …背中になると言った…眞清だからだろうか。
 そうであれば、ある意味嬉しい。それだけの『信用』を得られているということだから。

 文句を言っていた克己だったが、ふと窓の外に視線を向けた。
 沈黙が流れる。
 二人でいても、常に喋りっぱなしというわけでもないのだ。
「――…」
 眞清はそんな克己を見た。
 次にカバンから本を引っ張り出し、視線を落とす。
 視線を落とし、目で文字を追いながら…思いだした『こと』に、視線は止まった。――目が動かなくなった。
 盗み見るように、克己へと視線を戻す。
 克己は眞清の視線には気付いていないらしく、振り返ることなく窓の外へ見たままだ。
 椅子の背もたれは壁にくっつくようで、それに伴って克己は壁にも背を預けているような状態だった。
 少しばかり威張っているエラそうにも見えるけれど、そういうわけではないと眞清は知っているから、そんな印象は受けない。
 椅子と壁に背を預け、『背中』を晒さないようにして…自身が受けた恐怖を封じ込めようとしている。
 そういう認識のせいか、少し背が反っている克己の今の様子に『落ち着いている』と――安堵していると、そう見えた。
 窓の外を眺めていた克己だが目を細めた後、閉ざした。
 今も眞清の視線には気付いていないらしくそのまままどろむように呼吸を繰り返す。
 ――パッと見た限り、まるで眠っているかのようだ。
 そんな克己の様子に…今思いだした『こと』がフラッシュバックするかのように、蘇える。

 眞清は此処で、克己に触れた。

 いつだっただろうか。
 まだ、前期の学生会のメンバーがいた時…11月くらいだっただろうか。
 気付かれてしまってもいいと思っていたのか――それとも、考えることなく行動してしまっていたのか。…後者かもしれない。
 健やかに――無防備とも言える様で眠っていた克己。
 今のように椅子の背もたれと壁とに背を預け、手は腿の上に無造作に載っていた。
 その頃…眞清は克己に「もう、背中にならなくていい」と言われていて、朝は一緒に登校していたけれど――克己が日本に戻ってきてから時間を考えると、一日の中で共に過ごす時間ときが減っていた。
 克己の傍というポジションが自分のモノだと思った以来…自分が克己の背中になると言った以来、多くの時間を共有していて――クラスメイトに比べれば、まだ共有する時間は多かった。
 それでも…『足りない』と、思ってしまっていたのだろうか。
 帰りは別々に帰っていて、眞清は放課後の克己がどういった行動をしていたのかは知らなかったのだけれど、その日は此処に…支部室にいた。
 放課後、すぐに乗ろうと思えば乗れる電車はあるのだが、眞清は混雑した電車を避けるため、小一時間ばかり潰してから駅に向かっていた。
 眞清の場合、その時間は読書をすることで潰していて…図書室に行ってから支部室、あるいは支部室のみで時間を潰していた。
 克己に「背中にならなくていい」と言われてから、眞清一人で使用することが多かった支部室で…その日、克己は今のような状態で眠っていた。
 最初は目を閉ざしているだけだと思った。
『…克己?』
 思わず、呼びかけた。
 けれど…想定外だった克己存在に驚いてしまったのか、声は妙に掠れがちで、小さな…消えそうな声音ものだった。
 眞清は机越しのまま、克己に近付く。
 もう一度…一度目よりはきちんと――それでも、まだ小さな声音のまま、呼びかけた。
『克己?』
 眞清の呼びかけに単調で、安らかな吐息が続くままで…克己は目を開かなかった。
 眞清は指先でそっと、力をほぼかけないまま軽く克己の肩に触れた。
 …触れてもまだ、克己は目を閉ざしたままで…そこでようやく、克己は眠っているのだな、と思った。
『――克己』
 眞清は三度呼びかけた。克己は、目を覚まさなかった。
 眞清は机越しのまま…身体を、克己へと傾ける。
 気付かれてしまってもいいと思っていたのか――それとも、考えることなく行動してしまっていたのか。
 眞清は、克己に触れた。
 …唇に、唇を重ねた。
 それは多分、一瞬のこと。
『触れた』と思った…『重なった』と気付いた瞬間、眞清は離れた。
 …まるで白昼夢から覚めたように。
 驚いた。…自分自身の行動に。
 驚いた。――ほんの微かに触れた唇の柔らかさに。
 眞清は自分の口元を覆った。
 意識せず押し当てた自分の指を硬く感じるほど…眞清が重ねた克己の唇は、柔らかかった。
 自分自身に対し、『何をしているのか』と思いながら椅子に腰を下ろした。
 …その時、克己が身動ぎをしつつ目を覚ました。

「…なんかさぁ…」
 克己の声に眞清は驚いてしまった。
 此処で自分自身がした『こと』を思い返してしまっていた眞清は、克己の唇に視線が集中してしまっていた。
 そんな自分自身に気付いて、眞清は意識して克己から視線を外す。
 本に集中しているふりをしてから、克己に視線を戻した。
 目を閉じてまどろんでいたようにも見えた克己だったが、今は目を開いた。
 ただ視線は窓の外に向けられていて、眞清がじっと克己を…克己の唇を見つめていたことには気付いていない。
 …気付かれてはいけない、と思う。
 口を開いた克己だったけれど、言葉はそこで途切れた。

 
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