下駄箱に向かう途中、後ろから声をかけられた。
…声をかけられたのは眞清ではなく克己だったのだが、眞清もまた振り返る。
声から想像したとおりの人物だった。――更科だ。
「今帰りか?」
更科の問いかけに「おう」と克己は頷いた。
「更科は?」
「オレはちょっと休憩」
見えるわけではないのだが、自動販売機があるほうを示しながら更科は応じる。運動着姿から判断して、部活中らしい。
「そっか」と頷いて「頑張れよ」と克己は続ける。
「おう。…まぁ、そこそこな」
笑顔を見せた克己に、更科もまた笑みを浮かべた。
更科の切り返しに「そこそこか」と克己はまた笑う。
克己の笑顔に、更科は目を細めた。――まるで、花を愛でるような視線。
眞清はチリッと何処か痛むような気がして、更科から…そして克己から目を逸らした。
足元へと視線を落とし、自分の腕が視界に映り…腕時計を見るように、手を持ち上げた。
素振りだけではなく、実際時計を見る。
…二人の様を見ないように、ということはあったかもしれないが。
「あ、じゃあ…行くな」
克己の声に眞清は顔を上げた。
眞清が動いたせいか、克己を見ていた更科だったのだが、顔を上げた眞清に一瞬視線を向ける。すぐに克己に視線を戻し「じゃあな」と声をかけた。
「おう、お先」
ヒラリと克己は手を振った。
眞清はそんな克己に続こうとして…更科と目が合って、思わず足の動きが緩んだ。止まるまでには至らなかったが。
「…それじゃあ」
ばっちり目が合ってしまい、眞清は口を開いた。なぜか、更科が少しばかり驚いたような顔をする。
「――おう」
頷いた更科から視線を外し、眞清は克己に並んだ。
下駄箱で靴を履き替え、駅へと向かう。
4月ももうすぐ中旬。
風は大分春めいて、気温も2月や3月に比べると温かくなった。
時折寒波の影響で冷たい風や気温が上がりにくい日もあるけれど、『春』と言えそうな陽気が続いている。
眞清は意識せず空を見上げた。吹く風の行方を追うようにゆっくりと見回す。
日も延びたな、と今更気付いた。
電車を待つ人がまばらなのはいつものこと。
時折吹く風に目を細め、息を吸い込む。
春の香りを胸一杯に吸い込めた。香りを明確な言葉にすることはできないが。
程無くして目的の電車がやってきて、克己も眞清も電車に乗り込む。
車内の人が多いのは、今が4月だからだろう。
なるべく壁側を…と思っても、現状では壁側には人が立っていて、隙間がなかった。
眞清達の通う豊里高校より南にある学校の学生が、授業が終わってすぐ電車に乗り込むとこの時間の電車になる。
まだ部活動などを始めていない新入生がこの時間帯の電車に乗り込むため、4月の下旬辺りから人はもう少し減るはずだ。5月の下旬ともなれば、いつもどおり程度にまで減るだろう。
警報音と共に、電車のドアが閉まる。
克己はドアに背を預けた。そんな克己の傍らに、二人でドアの番をするように眞清が立つ。
車内はざわついていた。
自分達も去年はこんな感じだったはずなのだが、なんとなく新入生らしき学生を見て『初々しい』と思った。
年齢としては1歳しか違わないのだが…。
(…あぁ、制服のせいですかね)
眞清はそんな予測をした。
まだ新しい制服。ぴっちりきっちりしているのだろう。
クリーニングに出してもきっちりするかもしれないが、『新品』というのは、クリーニングに出した『ぴっちりきっちり』とまた違うような気がした。
…豊里高校は私服高校のため、制服で『新品』だとか、『新入生』という判断はし難い。
ネームプレートをするわけでもなく、見た目で学年の判断は難しかった。
下手をすれば服装や顔立ち…外見だけで判断するのは難しい、学生か教員かも見分けにくい人もいる。
電車が走り出すと、ざわめきはより一層増した気がした。
電車の動く音で会話が聞こえにくくなり、思わず喋る声のトーンも強まるのだろう。
ついでにドアが閉まって密封状態になるせいか、熱気も増すような気がした。
早く車内の人間が減らないだろうか。
次の駅で少しは減るはずだが、眞清は内心そんなことを思う。
克己は眞清のほうに顔を向けつつ、窓の外へ視線を向けていた。
眞清は見るともなく社内の様子を眺める。
克己と眞清は並んで立ってはいたが、会話はなかった。
けれどそれは、別段重い沈黙というわけでもない。
ざわめきが大きい中、声を張り上げてまで話さなければならない話題もなかった。
「拍谷〜拍谷〜」
間延びしたアナウンスの声が眞清の耳にとどく。
電車が止まり、豊里駅に停車した時とは逆側のドアが開いた。
思ったとおり…いつもどおり、車内の人は減る。
拍谷駅は先日のバイトの際利用した最寄り駅。いつも乗降客が多い駅だ。
乗客が減った車内で眞清はそっと息を吐きだす。
今まで壁側に立っていた乗客も空いた席に移動したり電車から降りたり…と空間が広くなった車内で、克己と眞清はどちらからともなく壁側へと移動した。
電車が走り出す。
「あ」
窓の外を見ていた克己が声を上げた。
どうかしたのか、と問いかける前に克己が「眞清」と名を呼び方を軽く叩く。
克己が示した先に白い…よく見れば淡い薄紅色の花があった。
「桜」
それが『何か』は見てわかったのだが、克己の声に眞清はその花の色がより鮮明に映ったように感じた。
――桜。
毎年、春にはいつも見ている花だ。
珍しいモノではない。
…けれど。
「結構咲いてたんだな」
気付かなかった、と克己は遠ざかっていく桜を見つめながら言った。
眞清もまた、どんどん後ろへと流れていく桜を眺める。
花の色。…淡い薄紅色。
映った色が、遠くなっていく。
「…そうですね」
視界には入っていたのかもしれない。けれど、桜が開いていたことに気付いていなかった。
目に映った花。毎年見ている花。
…けれど。
綺麗だ、と単純に思う。
「学校とか…家のほうも咲いてんのかな?」
しばらく桜に集中していた克己が眞清に視線を移して口を開いた。
「…どうでしょう? そういえば、気にしてなかったですが」
学校には正門の傍に一本桜があった気がした。けれど、正門を利用しないため…見ようと思えば見れるのだが、気にして覗きこまないと見えない…桜が咲いているのか知らない。
そして、駅から家の間には桜の木はなかった気がした。
眞清の家の庭には結構木や草などが植わっているのだが、桜はない。
「桜の咲く時季か」
ぽつりと克己は言った。
もう、木によっては散り際と言えるモノもあるのだろう。
開いていく桜。満開の桜。…散る桜。
どれも、綺麗だ。
桜を好むのは日本人の…自分のDNAに組み込まれているのではないか、と思える程度に心惹かれる。
「なぁ、家で一番近い桜ってどこが思いつく?」
克己の言う『家』は、おそらく克己の家だろう。
けれど、克己の家と眞清の家は隣同士。克己の家から近い場所は、眞清の家からも近いということになる。
「…とっさには…」
でてこない、と思った。
ひとまず、いつも通る道沿いにはないはずだ。
小学校や中学校の校庭に桜があることは思いだしたが、正直どちらも『近い』とは言えなかった。
一応考えてみる眞清に克己の「そっか」という声が聞こえた。
もう少し、考えてみる。…今のところ、小学校と中学校の桜しか思いつかない。
「――…ん?」
おそらく桜のある場所を考えていたのだろう、目を閉ざしていた克己がふと目を開いた。
「なぁ、あの…なんだろう?」
「なんですか」
切り返した眞清に克己は場所の説明をした。
それは回り道になるけれど、家に帰るルートとも言える道のことで。
「あそこ、桜なかったっけ?」
克己が言った場所は橋を渡った小高い場所にある小さな御不動…その傍の公園のことだった。
「…ありましたか?」
眞清は克己の言う場所はわかったし、互いに一致しているとも思った。
「あったような気がする」
ふむ、と克己が小さく息を吐いたのを聞いた。
眞清もまた、意識せず息を吐き出す。
「…行ってみますか?」
「ん? おう!」
頷いた後、克己が「おや?」と言うような顔をした。
「眞清から言いだすなんて珍しくないか?」
いつもだったら克己が「行ってみないか」と言うところだろう。
眞清も、それは同意できるところだ。…けれど。
「克己が言いだす前に言ってみただけですよ」
克己から言いだすであろうことを、先回りして言ってみただけだ。
――更科のように、ガンガン攻めるような真似はできないけれど。
少しだけ…克己が逃げ出さない程度に。
眞清から、誘いを。
眞清の返答に克己は「先を越された」と呟いた。
…そういう捉え方もあったか、と頭の隅で思う。
「たまには、いいでしょう」
そう言って、眞清は笑う。…意識せず。
しばらく眞清を見ていた克己もまた、笑みを浮かべた。
「じゃ、行くか」
「はい」
眞清が頷くと克己は笑みを深める。
今はまだ、言えない。
克己に…好きだと。
言っても受け入れられないことがわかっているから――言わない。
けれど、いつの日か。
――克己が受け入れることができるようになってくれたら。
言うのかも、しれない。
更科に言ってしまったように。…弥生に応じたように。
その時まで。
――あるいは…自分自身がこの想いを拭いされる時まで。
傍にいる。傍らにある。
『僕が克己の背中になりますよ』
――あの言葉を、違えずに。
自分が、克己の傍を望み…傍にいたいと願うから。
だからあの時、更科に言ってしまった――弥生に応じた言葉を…それぞれに、教室で漏らした言葉を『ウソ』にする。
克己にとっての『背中』で…一番近しい人間でありたいから。
豊里高校学生会支部 <その時の教室><完>
2012年 7月28日(土)【初版完成】
2014年 1月14日(火)【訂正/改定完成】