余韻なく、世界は変わった。
「…ドコ、ココ…」
「随分カタコトだね」
「片言にもなるよ!」
思わず叫んでいた。
さっきまでいた場所はどことなく明るい、暖かい場所。…それが一変して…。
「砂漠の真ん中じゃん!!」
見渡す限りの、砂漠だった。
右を見ても左を見ても前を見ても…一面の、砂と空。
これで空が明るければまだよかったのかもしれないけど…。
黄色っぽい砂漠に、今にも雨が降り出しそうな暗い雲に覆われた空。…息苦しい感じがする。
「砂漠の真ん中…だね」
女の子は頷く。
――あれ、そういえば名前を知らないや。
そんなことに、今更気付いた。
「…ねぇ、名前をきいてもいい?」
「――名前?」
夢の中だからか、この天気のせいか、砂漠だというのに暑くはない。
…あ、でも砂漠って夜になると涼しい…とか寒くなるとか聞いたことあるなぁ…時間帯のせいなのかも?
「――レイラン」
「レイラン? っていうの?」
女の子…レイランは、唇を笑みのカタチに歪める。十歳くらいの女の子にしては随分大人びた仕草だ。
「アナタは?」
逆に訊き返されて「え?」と妙な声をだしてしまった。
「そういうアナタの名前は?」
「あ…えぇと…」
実は、自分の名前があまりすきじゃなかったりする…。
「…マヒル」
小さい声で、わたしは言った。
え、と聞き返してきたレイランに繰り返し「マヒル」と答える。
…さっきよりは多少、大きな声で。
「…マヒル?」
――変な芸名みたいだけど、名簿も生徒手帳も…戸籍も、ばっちりこの名前だ。
東堂マヒル。
――昼間に生まれたから、というのが理由らしい…。
ひねりもなにもない…。
だったら「女の子だから『花子』」…とかのほうがよかった…。
父親曰く「カタカナなのがこだわりだ」…とのことだ。
関係ないことだけど、わたしはカタカナの『ア』と『マ』の書き分けには自信がある。
下手に書くと『東堂アヒル』になってしまうから…。
「マヒル?」
「…何?」
呼びかけに答えると、レイランは笑った。
「ちょっと間違えれば『アヒル』だね」
(…人が気にしていることを…っ)
小さい子ってたまにイタイことを平気で言う。――レイランも例外ではなかったらしい…。
「それはさておき」
さておき、されちゃうんだ…。
ほっとしたような、…放置かよ、みたいな気もするような…。
複雑な気持ちのわたしを無視して(むしろ気にしてなさげ)レイランは「マヒルはどうすればいいと思う?」と言った。
「? どうすれば、って?」
突然の話題転換。わたしは首を傾げる。
レイランは一度ため息をついた。その反応に、ちょっぴりムッとなる。
そして――レイランは。
「…コレは、イイ夢だと思う?」
腕を広げながらそう言った。
わたしは視線をレイランから、レイランの背後に向ける。
広がる乾いた砂漠。
そのくせ暗い、どんよりとした空。
――とても『良い夢』とは思えない。
わたしはレイランの言葉に首を横に振った。
「デショ? だから…マヒルだったら、ここをどうする?」
「どうするって…」
「マヒルだったら、ここをどうしたい?」
「……」
繰り返された言葉。
わたしはもう一度、砂漠と…暗い空を見つめた。
――ピピ ピピピピ…
どこからか、そんな音が聞こえる。
…ものすごく聞き覚えのある音。
「あ〜…時間切れか〜」
ドコか見上げながら、レイランは言う。
「宿題だよ。考えてね」
――ピピピピピ ピピピピ…
音の間隔がどんどん狭まっていく。
「じゃ」
――また夢で。
+++
ピピピピピ ピピピピピ ピピピピ…
「………」
ベッドから抜け出さないと、目覚まし時計は止められない。
もぞもぞとどうにか起きだして、わたしはその音を止めた。
「………――」
――夢を見た。
変な夢だったせいか、妙に覚えている。
(麗蘭…みたいな女の子がでてきて…)
ん? と思う。
こんなようなことを昨日も考えたな、なんて思う。
(――ちょっと待て…)
麗蘭みたいな女の子…じゃなくて…。
(レイラン、だ)
あの子は自分でそう、名乗った。
「………夢…」
生まれて初めて、夢の続きを見た。
――もしかしたら、まだ続きがあるかもしれない夢を。
+++
「トードーは髪型変えないの?」
突発的に言われて、瞬きをした。答えるまでにちょっとだけ間を置く。
「たまには変えるよ」
「たまに?」
ちなみにわたしの大体の髪型はツーテール。
「朝、時間がないときとか気合入れたいときとか」
ちなみに時間がないときは髪を結ばなくて、気合を入れたいときは大抵ポニーテールにする。
「…しかしなんでまた急に…?」
聞き返したわたしに美奈ちゃん…岡元美奈ちゃんは「分け目から禿げないかと心配で」と言った…。
(なんでいきなりそんな心配を?)
不思議な子だ。その妙なテンポがすきだけど。
「――心配してくれてありがとう…」
「どういたしまして」
「たまに分け目変えてるよ。大丈夫」
わたしは美奈ちゃんにそう付け加えておいた。
「誰が禿げんの?」
言葉に、わたしと美奈ちゃんは顔をあげた。
「え? トードー?」
美奈ちゃんの答えに「そうなんか、東堂さんっ!!」と妙なリアクションをしてくれる竹丘くん。
「いや、決めつけないでくれる?」
ビシッ、と裏手ツッコミを入れておいた。竹丘くんは笑う。
「そういえば昨日、布川くんに会えた? 一応伝言したけど」
「あ…あぁ、ありがとな」
竹丘くんはまた笑った。
だけど――なんだろう? なんか、笑顔っていうより…苦笑、っていう感じがする。
結局会えなかったのかな?
(なんか布川くんビミョーな顔してた気もするしなぁ…)
さすがにそこまで突っ込む気にはなれなくて、追求はしない。
「あ…そうだ。トードー数学やった?」
美奈ちゃんが竹丘くんからあたしに視線を戻して、言った。
今日は一時間目から数学。…アタマがイタイ…。
「やった。けど、全部はやってない」
宿題が全部終わってないっていうのもあるけど、どうも数学の角田先生が苦手だ。
わたしの答えに「なんやソレ」と竹丘くんが口を挟んだ。
話題が布川くんのことから変わって安心しているように見えるのはわたしの気のせいだろうか。
「3番の…なんだっけ? とにかくグラフの問題」
「グラフか」
「やっただけエライよ、トードー。あたしなんて、昨日数学開いてないから」
「アハハ。おれも」
竹丘くんが笑いながら同意する。
「…笑いごと?」
角田先生の性格的に、ネチネチ言われる気がするんだけど。
「わかりませんでした、って言えばいいよ」
(――後でくるイヤミ攻撃が嫌なんだよ、わたしは…)
美奈ちゃんの言葉を聞いてこっそりそんなことを思う。
「タケ〜」
呼びかけに、竹丘くんは顔を声のほうに向けた。
「なんや?」
そう答えて竹丘くんはわたしの席から遠ざかった。
「…竹丘くんって、大阪のヒト?」
立ち去る竹丘くんの背中を見つつ、美奈ちゃんが呟く。
「――さぁ?」
わたしは首を傾げた。口調に、たまに微妙なイントネーションの違いがあることは確かだけど。
そんなことを話しているうちにチャイムが鳴った。
+++
ぼんやりと明るい、場所。
ここは、と思う。
「考えてきた?」
聞こえた声にパッと振り返った。
「………」
――この子は…。
わたしはまじまじと、声の発信源である女の子を見つめる。
「…レイラン!」
昨日(今朝?)の夢の続きだ。
――また、夢の続きだ!!
見るかな、見るんじゃないかなぁとは思っていたけれど。実際見るとやっぱりちょっとした感動だ。
「すごーい…」
思わず声が漏れた。
「ナニが? 砂漠が?」
可愛く首を傾げつつレイランが言う。
「……いつの間に移動してたんだね…」
ちょっとした感動がしゅっと引っ込んだ。
レイランの背後に広がっていたのは…昨日見た砂漠と低い空。
――相変わらずの。
「さぁさぁさぁ。マヒル、どうする?」
わたしを半ば睨むように、レイランは近づいた。
思わず一歩退く。
「どうするって…」
「宿題、って言ったじゃん」
わたしが退いた分、レイランは一歩近づく。
――なんだかなぁ…。
十歳…くらいにしかみえないのにどうしてこんなに迫力というか威厳というか…存在感? があるんだろう…。
わたし、負けてます。
「…とりあえず…」
おずおずと――というか本当になんで10歳の女の子に遠慮してるんだろう、わたし――言ってみる。
「空は、晴れてるほうがいいと思う」
「うん」
それで? と続きを促される。
「…砂漠…よりも草原とかのほうが気持ちよさそう」
「ふんふん」
………。
沈黙。
「――それだけ?」
レイランの言葉に頷いた。
じっとわたしを見つめるレイランに「だって砂漠で晴れたら暑そうだし」と、思わず付け足す。
しばらく間を置いて「そっか」と頷いた。とりあえず納得してくれたらしい。
じゃあ、とレイランはわたしの手に触れる。
「考えて」
「考える?」
わたしの右手を掴んで、レイランがつけた…と思われる…鮮やかな赤い模様を上向きにした。
「そう」と言いながら、わたしの手の甲にレイランの手が重ねられる。
レイランの手にも、わたしの右手にある模様と同じような模様がある。
レイランの手の模様と、わたしの手の模様が重なるような感じだ。
「これは、夢。――だから、マヒルの思うようになる」
ただ、思えばいい。ただ、願えばいい。
強く、強く…鮮明に。
レイランは言った。
「マヒルはココをどうしたい?」
その言葉に空を見上げた。…晴れればいいなぁ、と思う。
それから、広がる砂漠を見渡した。――ここが草原だったら、どんなに気持ちいいだろう。
(これは、夢)
繰り返す言葉。わたしは瞳を閉じる。
強く、強くイメージする。
雲がきれる。なくなる。――そして広がる、青い空。
わたしは思う。
砂漠ではなく、草原を。風に揺れる…草の海を。
レイランと重ねた手が、その手の甲が熱を帯びたと思った。
その、次の瞬間。
――ッ
風が、わたしの髪を揺らした。
――それは、乾いた風ではなく。
わたしは目を開く。
「…!!」
世界は変わった。
空を見上げた。
イメージした…それよりもっと澄んだ、遠い青。
辺りを見渡した。
思ったより…ずっと深い、風に波打つ緑。
「うわぁ…」
絵の中にいるみたいだ。
こんなところ、夢の中じゃなければないんじゃないかな…。
(…って、夢なんだっけ…?)
自分で自分につっこむ。でも…。
「スゴイ…」
たとえ、夢の中でも。ここにいられることが…奇跡みたいだと思った。
「ナイス、マヒル」
手のひらを重ねたまま、レイランは言った。
辺りを見渡す。
「…風がキモチイイねぇ〜」
そう言って、瞳を閉じた。
風の音に耳を傾けているのかな。…あぁ、風に揺れる草の音かも。
途切れることなく――でも、強くはない風がふき続けている。
わたしもレイランの真似をして、目を閉じる。風の音に耳を傾けた。
さわさわと。さらさらと…。
そよそよと…――ザワザワと…。
(…ん?)
何か、違和感があった。
「…来たわね」
レイランの呟きが聞こえた。
――その口調がどこか楽しげなのはわたしの気のせいですか?
なぜか敬語になってしまう程度に、嫌な予感がする。
重ねられていたレイランの手が離れた。
わたしは目を閉じたままだ。
――なんとなく、開きたくない。
「マヒル」
「…ナニ…?」
呼びかけに答える。
「アホ面してないで。目、開けて」
(…今、アホ面とか言ったよ、この子…)
確かに。開けたくない、とか思ってるから瞼に力がこもってて…下手すれば眉間にシワが寄ってるような雰囲気の微妙な表情になっているとは想像がつくけど。
ちょっとだけ、目を開けた。――というか、ちょっとだけ目を開けるつもりだった。だけど…。
「…ナニアレ…」
しっかり、ばっちり、目の前の『モノ』を見つめる。
あえて言うなら、影。暗く…そこだけ『違う』。
「ハイ、突入!!」
「は、突入?!」