ソレは突然現れた。
「な…なにあれ…?」
わたしは楽しげに「突入!!」とか言ったレイランに、思わず問いかける。ついでに一歩後退。
「原因」
「…簡潔な答えをありがとう…」
わたしの求めた答えじゃないけど…。
ソレはホラー映画にでてきそうなゾンピとかじゃないし、別に姿がコワイという感じはしない。
――そのはずなのに、なんだか、怖い。
あえていうなら影だけがそこにある、という感じ。
気持ちいい風はやんでいた。
「ヒトの言う『悪夢』の原因…というか、『悪夢』をより根深くするモノ」
「根深く…?」
わたしはレイランの言葉を繰り返す。
その時。パリンと、何かが割れるような音がした。
――瞬間。
「――えぇ…?」
まるでガラスが割れるように…はがれおちるかのように、世界が変わる。
遠く澄んだ青空は、暗く雲に覆われた曇天に。
風に揺れる草の海は、乾いた砂漠に。
「…なんか、さっきよりひどくない…?」
雲は更に暗く、重い色。
乾いた砂漠は、いかにも『不毛の地』という感じ。
「だから言ったでしょ? アレは『悪夢』をより根深くするの」
レイランのいう『アレ』…影は広がった。
霧のように。
「…突入って…どうすればいいの?」
「あ、ヤル気満々?」
「…相手がわからなくてどうやれと…?」
もう、影がドコにいるのかわからない。
遅いよ、とレイランは前置きをして腕を組んだ。
そしてわたしを見ながら、
「マヒルがトロイから消えちゃうんだよ」
…そう、ざっくりとおっしゃる…。
(トロイって…)
マイペースと言えば聞こえがいいかもしれないけど、あたしはどうもワンテンポ遅いとかズレてる、って言われることがある。
トロイ、って言われたことも。
(こっちがイタイこと平気で言うなぁ…)
なんとなく胸を押さえてしまった。痛いと思っても、実際に痛いわけじゃないんだけど。
「アレはね、夢のハザマにでてくるの」
「ハザマ?」
ソウ、とレイランは砂漠を見据えた。
「今、マヒルが夢を変えた。だから出てきた」
「…そうなんだ…」
納得するわたしに視線を向けてレイラン「なのに」と呟く。
「マヒルがトロイから消えちゃった」
…同じことを二度も言わなくても…。
わたしは「あぁ、そう?」と気のない返事をしつつ乾いた砂漠と暗い空を見つめた。
――ピピ ピピピピ…
どこからか、そんな音が聞こえる。
…あぁ、時間切れか…。
――ピピピピピ ピピピピ…
音の間隔はどんどん狭まって、近づいていく。
「今度は突入だから!!」
レイランの言葉に思わず「えぇっ?!」と声を出す…。
+++
ピピピピピ ピピピピピ ピピピピ…
「…ぇ…」
口が動いている。自分が、寝言を言っていたことがわかった。
「………――」
わたしはのろのろと置きだして、目覚まし時計を止める。
――夢を見た。
今日もちゃんと覚えている。
わたしはさっきまで見ていた夢を思いだす。
「…突入って…」
どうしろと…。
わたしは別れ際の…起き際、と言うのが正しいのか…レイランの言葉を思いだして、そんなことをぼやいた。
(あんな影みたいなのに…)
突入するというのか。
レイランの言葉を思いだす。
『アレは『悪夢』をより根深くするの』
「悪夢を根深く…ねぇ…」
ぼーっとしながらそんなことを呟く。
わたしはあくびをした。それから、目をこする。
今日は金曜日。
今日を乗り切れば休みだ!! …と、自分を励ます。
別に学校が嫌いなわけじゃないけど、やっぱり休みがすき。
わたしは着替えると自分の部屋をあとにした。
+++
「…ん?」
いつもは見かけない顔に、首を傾げた。
教室は大体3分の1くらい埋まっている感じ。
朝のホームルームが始まるのは9時。
今は、8時半。
図書委員の当番がない日は大体この時間に来るのだけれど。
「おはよう」
いつも見かけない顔に、思わず声をかけてみたりして。
「んぁ…? あ、オハヨ」
「なんか今日、早くない?」
「昨日も今日くらいやったよ」と言いつつ、竹丘くんはあくびをする。
「眠そうだね?」
わたしは思わずそんなことを言ってしまった。
「変な時間に目が覚めちゃってなぁ…。も一回寝たら絶対遅刻する思って…」
言いながら、再びあくび。
うつ伏していた竹丘くんはどうやら寝ていたらしい。
「ごめん、安眠妨害して」
笑いつつそう言うと「本当にな」と冗談で返された。
ひとまず、席に着いた。机に今日使う教科書を用意する。
「タケ〜」
「…ぐぇっ」
「アハハッ! 蛙みてぇ」
「…人が寝てる邪魔すんなや」
白崎くんがうつ伏している竹丘くんにカバンを乗せた。
竹丘くんより後ろの席のわたしは、そんなじゃれあいが見える。
(リーダーと古文と…)
「タケ、この頃早いな。どした?」
「変な時間に目が覚めるんよ」
(…あ。古文の教科書忘れてきた…)
わたしはちょっとだけ考える。
「今の状態だとこれ以上遅刻はそろそろマズイからさ…」
「あ〜注意されてたしな」
(2組、今日古文あったかな? 尚子ちゃんに訊いてみよう…)
尚子ちゃんは中学のときのクラスメイト。
古文の教科書はなくても別に構わないことが多いけど…まぁ、一応。
わたしは立ち上がって、2組の様子を見に行くことした。
尚子ちゃんはもう、いるだろうか。
「変な夢見るんよ」
竹丘くんと白崎くんの横を通ったとき、ちょうどそんな声が聞こえた。
(…夢?)
竹丘くんの言葉に、聞き耳をたてている自分がいた。
+++
そして今日も、気付けば砂漠にいた。
「…ねぇ、レイラン」
「なぁに?」
今はまだ、影みたいなのはいない。
昨日、レイランは夢のハザマに現れるとか、夢が変わるときにでてくるとか言っていたような気がする。
影がいないのは、夢を変えてないせいかな?
「これって、誰かの夢なの?」
レイランはわたしの言葉にしばらく止まっていた。
…その間は何…? とか思っていたら…。
「今頃そんなこと言う…?」
レイランはそう言った。ザックリ、っていうのが一番近い気がする言い様。
(――今頃って言われた…)
一度ため息をついたレイランは、両手を腰に添える。…偉そうだ。
「これは、『誰か』の夢」
その答えに納得していたわたしだけど。
でも、と付け足される。
「これはマヒルの夢でもある」
「…え?」
聞き返したわたしにレイランは「当然でしょ」と今度は腕を組んだ。
「だってマヒルの夢でなければ、マヒルの意識はナイもの」
「…そう言われればそうかも」
再び納得して頷いたわたし。
「――マヒルってニブイよね…」
レイランのボソリとした一言にちょっとだけムッとする。
(昨日はトロイで今日はニブイで?)
なんで会って間もないレイランにズバズバ言われなきゃいけないのか。…というか、言い返せない自分もどうなのか、って話だったりするのかな…?
そんなわたしのことなんか気にした様子を見せず、レイランは手をかざした。
「マヒル、夢を変えて」
レイランの言葉に…わたしはまた、レイランの手に重ねる…。
「で、今日は逃がさないようにね」
…重ねようとして、やめる。
「――で、アレに突入?」
「あれ、今回は察しがいいね」
(…今回はって…)
わたしは手を引っ込めた。思わず、背中に回したりして。
「…マヒル?」
静かな呼びかけ。
――自分でいうのもなんだけど、なんで十歳かそこらの女の子に気迫負けしてるの、わたし。
「アレに突入して、結局どうするの?」
ちょっと強い口調で問いかけた。…いや、勢いで言ったら強い口調になってしまった。
「それは突入後のお楽しみ」
――わたし自身強い口調だと思ったのだけど…レイランは平然と答える。
「…お楽しみぃ?」
全然楽しそうじゃないんだけど。
「まぁ、実践実践」
「は?」
間抜けな声をだしてしまったわたしの手をとり、レイランはわたしを見つめる。
「昨日の風…気持ちよかったでしょ?」
思いだして、と。
その声を聞きながら目眩を感じた。…一瞬のことで、気のせいとも思えるような。
「…昨日の…風…」
わたしは繰り返す。レイランが笑った。
「そう。昨日の空と草原と、風」
――月のような瞳がわたしを見つめる。
「アレは、マヒルの描いた風景」
わたしはその瞳を見ていた。
「…手を」
レイランの言葉に促されるまま、わたしは手をかざした。
レイランの小さな左手が重なる。
「マヒルはここをどうしたい?」
昨日と同じ言葉。
わたしは、昨日と同じように瞳を閉じる。
この雲がなくなった、広い空を。砂ではなく、緑を。
ここを吹きぬける風を。
昨日の情景を思いだす。…想像する。
より、澄んだ青を。より、深い緑を。
――風を。
手の甲が、熱を帯びた。
――ッ
風がふいて、頬を撫でる。
涼やかな風に、わたしは目を開いた。
果ての見えない草原。
青空が見えて、ところどころ白い雲がある。
「いい感じだよ、マヒル」
そんな声が聞こえた。
――風が気持ちいい。
わたしは思わず瞳を閉じた。
「マ・ヒ・ル」
「…なに?」
――嫌な予感がするから答えたくないと思ったのだけど…答えなかったらそれはそれで後がこわいような気がして、微妙な間を置いてから答えた。
「お客様がおいでだよん」
…目、開けたくないです。
「――マヒル?」
…だから、なんでいちいち威圧感があるの、この子は…?
わたしは目を開いた。
――予想していた存在がソコにいる。
「はーい、レッツゴー!!」
言葉と同時に。
「え?!」
――どん、と背中を押された。
「いぇぇぇっ?!」
そしてわたしは影に突っ込んで行った…。
+++
――ドウシテ…?
――トウゼン ダ…
――…サビシイ…
+++
わたしは恐る恐る目を開いてみた。
何かがあるわけではない。――周りが見えない。
「…真っ暗…」
思わずもらしたわたしに続いて「真っ暗ねぇ」という声が聞こえる。
「――レイラン?!」
発信源を探したわたしに「はぁい☆」…と、呑気な返事…。
「…どこ?」
声は聞こえるのに、姿は見えない。
問いかけた次の瞬間…ふわりと、空間を割るようにしてレイランが現れた。
闇の色のように思える紫色の髪をかきあげる。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃんじゃーん」
「…だから、そういうネタは一体ドコから…?」
しかも微妙にポーズまでとってたりして。
レイランは「色々とね」と答えなんだか答えじゃないんだかわからない返答をする。
そういえば、レイランが現れてから真っ暗だった周りがぼんやりと見えるようになった。
わたしはもう一度辺りを見渡す。
――ドウシテ…?
声が聞こえた。
…いや、『聞こえた』のとはちょっと違うかもしれない。
明確な『声』があったわけではなく頭に響いたというか…そんな思いに突然駆られたというほうが近い。
――トウゼン ダ…
…いくつもの『声』がとどく。
全て、あの影に入ってから聞こえるようになってきたモノ。
「あ」
「なに?」
宙に浮いたレイランが「『核』発見」と指さした。
わたしはレイランの指差す方向に目を向けて…一度、息を呑む。
そこにいた一人の姿に。
「――竹丘くん…?」
わたしの呟きが暗闇に広がる。
――パリンッ
(…え?)
ガラスが割れるような音がして、視界が歪んだ。
「! ヤバッ!!」
声が聞こえたのか、その人がわたしのほうへ顔を向ける。
その姿を見た瞬間、確かに竹丘くんだと思った。
――だけど。
「マヒル、出るよ!!」
「へ?」
レイランの声に間抜けな声で答える。
視界が歪んだ。世界が歪んだ。
――そして、暗闇から脱出した。